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子育てベスト映画50

まえがき 

「子育て」が難しい時代になりました。

これだけテレビ・パソコン・携帯電話などのコミュニケーションのためのメディアが発達してきたというのに、私たちの周囲の人間関係は痩せ細っていくばかりです。

人間関係が痩せ細っていくのと平行して私たちの心も痩せ細っていっているのでしょう。大人の心が痩せ細っていくなら、そんな両親に育てられる子どもの心も痩せ細るのは当たり前のことです。

当然父親や母親が同じ屋根の下に生きている自分の子どもが考えていることがわからないという不安が生まれてきます。

生活の都市化、スピード化による家族間のお互いの擦れ違い生活もこういう事態と関係があるのでしょう。

また、生活が豊かになったことによる家族の生活の文字通り個室化などもこういうことと関係があります。

この本はこういう状況の中で「子育て」に頭を痛めている世の中のお父さん、お母さんに対して、難しいことを考えずに一緒に名画をビデオでゆっくり見れば、子どもの心も痩せ細ったりせず骨太になりますよということを紹介するために書かれたものです。

「子どもと一緒にテレビ番組を見ていますよ」

とおっしゃるお父さん、お母さんには、私は

「今のテレビはニュース番組・映画番組・科学番組・ドキュメンタリー番組を覗いて後はほとんどジャンク(くず、がらぐた)ですよ」

と言いたいと思います。

「子どもと一緒にシネマコンプレックスで映画も見ていますよ」

おっしゃるお父さん、お母さんには、私は

「今、親子で見ることができる映画というのはほとんどがアニメ映画か怪獣映画でしょう。素晴らしいアニメ映画や怪獣映画を見るのもいいことですが、もっともっといい映画もありますよ」

と言いたいと思います。

それに子どもはほっておいても自然にテレビを見ます。アニメ映画や怪獣映画をみます。

もっともっと素晴らしい映画が世界にはあります。子どもは名画を見ることによって心を深く揺さぶられます。

「わくわく・どきどき・はらはら」

すること、がEQ(Emotional Intelligence Quotient)を高め、IQ(Intelligence Quotient)を高めます。

英語で書くと難しくなりますが要するにEQとは「心の知能指数」です。IQとは「知能指数」です。

心の知能指数とは何でしょうか、分かりやすい比喩で言えば心という容器の中がビタミンやカルシウムなどの栄養で一杯だということです。

もちろん外からはわかりませんからもしかすると先ほど言ったジャンク(くず・がらくた)で一杯になっているかもしれません。

こういう人がIQが高かったとしても「心の痩せ細った大人」になってしまいます。またEQが高くなると必ずIQも高くなります。

人間に最も大切なのは「好奇心」と「感動」です。 

子どもは名画を見ることによって心が骨太になります。

そしてその結果、親による強制でもなく、学校の先生の指導によってでもなく、自分が観た名画のお陰で何かを自分の頭で考え始めます。

その時には子どもが自らの頭で学習環境と整えたことになります。

子どもにとって素晴らしい映画というものは子どもを囲む外界への触覚であり触媒なのです。子どもの心の未来を切り開く掘削機なのです。

そしてこれが最も重要なのですが、名画を見ることは子どもにとっては大人には信じられないほどのかけがえのない楽しい経験なのです。

それゆえほとんど半永久的に子どもの心に残る素晴らしい思い出になります。

第一章「名画」は「子育て」のベストヘルパー。

私には子どもが三人います。長男は現在信州大学医学部五回生。長女は茨城大学人文学部を今年の四月に卒業して九月から中国に語学留学の予定。次男は東京大学文学部三回生。

それぞれ親元を離れて生きています。

私は子育てにも子どもの勉強にも熱心な親だったわけではありません。ただそんな私にも子育ての方針というものは一応ありました。

それは実に単純明快なものでした。

一つは「しつけ」をきちんとすることです。

もう一つは「良書」を読み「名画」を見ればきっと人並みの人間には育ってくれるというものでした。

子どもを映画館に連れて行かなくてもかまいません

しかし、そんな方針の私が、実は子どもを連れて映画館に出かけたことがありません。

子どもを映画館に連れて行くのは妻の役割でした。妻が子どもたちにねだられて連れて行く映画は殆どがアニメ映画でした。ただこれも妻も子供も比較的時間があった小学生時代の話です。

その後は子どもたちは自分で勝手に映画を見に行くようになりました。

高校生の頃には東京に映画や演劇を見に行きました。私はそれをとめもしませんでした。

私はもっぱらテレビで放映される映画やそれをビデオに録画したもの、またはレンタルビデオ屋や図書館で借りてきたビデオで映画を見ていました。

現在、ビデオというソフトに変わってDVDが登場しています。

これからはDVDがビデオ(VHS)よりも市場を席巻するだろうと新聞は予測しています。

DVD、ビデオ、どちらにしても、映画館で映画を見るよりは着実に経済的に安くかつ何度もみることができるでしょう。

映画館に見に行くと大人であれば1800円、子どもでも1000円近い入場料が必要です。

これがレンタルビデオ屋であればどんなに高くとも1本500円。週に一度程度のディスカウントデーであれば何と1本200円程度でDVDであれビデオであれ名画がレンタルできるのです。

まして公共図書館でDVDやビデオを借りると無料です。

家族全体が自分のことで忙しく動いていたりする家庭でも週に2時間家族が集まる時間があれば名画を一緒に見ることができます。

1週間が無理なら1ヶ月に一回でもかまいません。

それだけでも家族と一緒に名画を見ることが子どもにとっては至福の時間になるでしょう。

映画は子どもの脳を活性化します

映画は総合芸術であるとよく言われます。

総合芸術はどういう意味かという定義はさておき、子どもにとっては映画一本を見ることによって

 

@        外国語も含めて言葉の多様性がわかります。

A        人の性格・行動は様々であるがわかります。

B        自然への興味が湧いてきます。

C        社会の構造というものがおぼろげながらわかってきます。

D        歴史というものを理解できるようになります。

E        音楽の美しさを理解できるようになります。

F        人間の心理の機微がわかるようになります。

G        自分が生きている世界とは別な世界があることを認識します。

H        愛情・差別感情などをわかるようになります。

I        素晴らしい映画の世界という友人ができます。

 

以上のようなとてつもなく多くのメリットがあります。

これらのものはすべてがすぐに身に付くものではありませんが、無意識のうちにこれらのものが醸成されていくことによって子どもの心が豊かになりEQが発達していくのです。

裏返して言えば名画を見る限り子どもの精神が硬直したり萎縮したりすることはありません。

また子どもが精神的ゾンビのような大人になることもありません。名画というものはその程度の力はもっています。

名画を見ることを子どもに強制する必要はありません

私は子どもに名画を見ることを強制したことはありません。

子どもというものは実に自分に正直な面白い生き物です。自分が面白いと思ったものは度を越えて熱中しますが、面白くないと思えばプイと横を向いて見向きもしません。

私の子どもが小学生か中学生の頃の話です。

私が居間でテレビに向って名画のビデオを見ているとします。

私はいつも座椅子にもたれています。少しすると背中に人の気配を感じます。子どもが背後霊のように黙って立っていたりします。最初は

「父さんは何のビデオを見ているのかな。面白いのかな」

という程度の好奇心でしょう。

こういう場合、私は子どもの存在を黙って無視します。するとその後、子どもはどういう行動をとるのでしょうか。

5分くらいすぎて背後を振り返ると子どもがいなくなっている時にはそれは

子どもにとっては楽しくない映画だったということです。

こういう場合、私は別に子どもを叱ったりしません。

 逆に5分過ぎても子どもがまだ立っていればそれは子どもにとって面白い映画なのです。

そしてその時には子どもは私に

「面白そうな映画だね。お父さん、一緒に見てもいい」

と言い出します。私が

「いいよ、いいよ、一緒に見よう」

と返事するとその場に座り込んで真剣に見始めます。

 今度はちょっと違う状況を考えて見ます。子どもに私が

「この映画は絶対に面白い映画だから一緒に見よう」

なんて見始めます。

子どもにとって面白ければ最後まで見ます。もし面白くなくても最初の10分ほどは我慢してみるでしょう。

しかし、その後は各自様々にその場を脱出します。

「父さん、俺、宿題があるから」

「お父さん、私、読まないと駄目な本があるから」

なんて言い訳するのはまだいい方です。

トイレに黙って立ったまま戻ってこない時もあります(笑)。

こういう場合も私は叱ったことはありません。叱ることに何の意味もないからです。

子どもは名画を見抜く力を持っています

「子どもは無限の可能性を持っている」という言葉があります。

私はこの言葉は嘘だと思っています。これは子どもを励ますために、また自分の子供時代を懐かしんで大人が作った言葉です。

しかし、私は「子どもは名画を見抜く力を持っている」という言葉には経験的に正しいと思っています。

このことを私が30年来つけている日記で簡単に証明してみます。

日記の不用な部分は省略しています。

 

1990年(平成2年)4月14日 土曜日

帰宅、レンタルビデオ屋から黒澤明監督の「七人の侍」借りてきて隆正(長男)旅男(次男)と見る。旅男、三船敏郎が演じる「菊千代」がひどく気にいった様子である。

 

私自身はこの時以前に二、三度、「七人の侍」は見ています。

子どもはこの時初めてこの映画を見ました。それも最後までです。私を驚かしたのは翌日の日記の記述です。

 

1990年(平成2年)4月15日 日曜日

 2時過ぎに帰宅すると麻季(長女)も加わり、子どもたち、再び最初から「七人の侍」を見ているので驚く。

 

 この年の4月は長男が中学一年生、長女が小学五年生、次男が小学三年生になったばかりの頃です。

この連中が4時間近い映画をもう一度嬉々として見たのですから、これは凄いことです。

子どもたちには別に名画を見ているなんて意識はどこにもなかったでしょう。長男はともかく黒澤明が何者かも知らなかったかもしれません。

それに「七人の侍」は1954年制作の映画です。その頃でさえもう36年前の映画です。それでも「七人の侍」の力は衰えることがありませんでした。 

制作から半世紀が過ぎようとしている今でも同じでしょう。

ただただこの映画のもたらすエネルギーが文字通り時空を越えて子どもの心を揺さぶったのだと思います。きっと手に汗握る思いで見たのでしょう。

これこそ子どもにとって至福の時だったでしょう。

こう書いている私自身が子ども達が小さい頃にこういう至福の時を持てたことを羨ましく思ってしまいます。蛇足ながら「七人の侍」についての別な日記の記述。

 

1992年(平成4年)3月12日 木曜日

 帰宅して、子どもたちに、合格した生徒二人からお礼にいただいた品物の中味は何だと思うと尋ねると、包装紙を透視するように真剣に見つめる。両方ともウイスキーだよと3人が答える。自分もウイスキーだと思って包装紙を解くと、何と両方とも偶然ブランディーだったのである。世の中は高級嗜好に向っているのか。子供たちと一口づついただく。「なかなかいい味がするじゃない」と隆正が偉そうに言う。「苦いわねえ」と麻季。「この一杯おろそかには呑まぬぞ」と旅男が志村喬の演じた「七人の侍」の勘兵衛の真似をする。おろそかに呑まなかったせいか、旅男、腹痛起こす。

 

私はこの記述を見ながら一人で笑ってしまいました。

しかし、子どもは恐ろしいものです。あの「七人の侍」の重要なポイントになっている場面をチャンと理解しているのです。

貧しい村を襲う野武士の群れから村を守るために武士を探している百姓がいます。

自分たちは(あわ)(ひえ)を食べながら雇い入れようとしている武士には白米(はくまい)を食べさせています。

雇われる武士の一人である志村喬がこのことに気づき

「この一杯おろそかにはいただかぬぞ」

と言う場面です。 

映画の中で黒澤明が力を入れた場面であることは間違いありません。小学校3年生の子どもがそのことを無意識に見抜いているのです。 

子どもは名画を受け入れる大きな大きな器なのです。

突然ですが香港のアクション俳優ブルース・リーの真似をして言えば

「容器(名画)に対して子どもは水のような存在なのです」

容器が四角であれば四角になる。容器が丸ければ丸くなる。実に柔軟な心を持っているのです。そんな子どもたちの心をジャンク(ごみ、がらくた)で一杯にしてはなりません。

子どもに感想を強制してはいけません

名画を見ると子どもはきっと感動して見終わった後、ペチャクチャペチャチャおしゃべりするかもしれません。

子ども同士でもどこが面白かったかなんて話をしますが、その時もなるべく親は口を挟まないようにしましょう。

子どもはその時の年齢・個々の感性によって感動する場面、印象に残る場面が違うかもしれません。

兄弟で話すことによって無意識にお互いの価値観を確認しているのです。

それを親は黙って聞いてあげる。これが一番です。

親は何かを語りたい衝動を襲われている子どもの話を聞いてやることです。

これが一番大切なことです。

けっして自分の印象とか感想を強制してはなりません。そんなことをすると子どもは自分から名画を見ていこうという気持ちを失うでしょう。

お父さんやお母さんが楽しい映画を見せてその上自分の話を黙って聞いてくれるということが子どもにとって一番うれしいのです。

教育者のように映画についての自分の感想を無理矢理押し付けたり説教したりすると名画を見せたこと自体がマイナスになります。

もしその時にはわからなくとも十年後、二十年後に子どもは

「お父さんはあんないい映画を見せてくれたのだ」

と感謝するかもしれません。

それこそユンケル黄帝液のような即効的効果を求めてはなりません。

長い時間をかけてその効果を待つんだという気長に考えるのが一番正しいのです。

 

第二章 子どもにとって「名画」とは何か

 さて私はこれまで名画という言葉を何の定義もなく使ってきました。改めてこの場で名画を定義しておきたいと思います。

例えば子どもにとっての良書、名画というとすぐに「夏休みの課題図書」とか「文部省特選映画」とかをまず思い出す方がおいでになるかもわかりません。

同じような意味において「児童図書」とか「教育映画」とかというものをこのカテゴリーの中に入れている方がおいでになるかもわかりません。

しかし、こういう本や映画について私は常に懐疑的です。

私は私の子どもにこういう種類の本や映画を特に見せようとしたことはありません。

それは私の経験からもわかります。

例えば本で言えば私たちが小学生の頃に使った国語の教科書で覚えていることはどういうものでしょうか。

けっして子供向けに書かれたお話ではありません。大人が読むにたる、または大人用に書かれた小説や詩の類を覚えています。 

宮沢賢治の詩や童話はと言う方がおいでになれば宮沢賢治は別に特に子ども向きに書いたのではありません。

こんなことは今や親としての常識だと思いますが、あえて書いた次第です。

映画についても具体的に書いておきましょう。

東映映画「仁義なき戦い」は名画なのか

 こういう命題を作れば話はわかりやすいと思います。

率直に言って「仁義なき戦い」は私に言わせればまごうことなき名画です。

「仁義なき戦い」は五部作ですが、全作に渡って人間の狡猾(こうかつ)さ、組織の非情さ、やくざの虚しさなどなどの現代的問題が鋭く提起されています。

だからと言って私は子どもに見せるべき映画だと思っているわけではありません。

昔、妻の誕生日のことでした。家族で妻の誕生日のパーティーの用意をしながら、私は借りてきたビデオで「仁義なき戦い」を見ていました。

するとそのころ高校生だった長男が珍しく起こった顔をして

「父さん、母さんの誕生日のお祝いにそんな映画を見ててどうするんだよ」

と私に怒鳴りました。私はすいませんと言ってビデオを急いで切りました。

その長男が大学生になって偶然「仁義なき戦い」を見たのか

「父さん、あれはいい映画だね」

と話していました。

つまり、私が言いたいのは、名画といっても親と子どもが一緒に見る必要がない映画もあるということです。

この手の映画は機会があれば子どもが成長して勝手に見る映画なのです。

アニメ「紅の豚」は名画なのか

 アニメ映画についても私の日記を参考にしてふれておきます。

 

1992年(平成4年)7月26日 日曜日

 真夏日。隆正、麻季、旅男、前橋の映画館へ「紅の豚」見に行く。帰宅して三回連続して見たと聞いてあきれる。

 

この時にさすがに私もあきれて子どもたちに

「お前たちが3回も続けて見たりすると映画館が潰れるじゃないか」

といい加減なことを言うと次男が

「俺と姉さんはもう帰ろうと言ったのだけど兄さんがどうしてももう1回見るからって結局3回も見る羽目になったんだよ」

と真剣な顔をして弁解していました。

私はこの映画は見ていません。しかし、三人揃って一日に3回も連続してみるのですからやっぱり「名画」なのでしょう。

 私がこの子育てのためのベスト五十の映画の中に「紅の豚」のようなアニメ映画はいれませんでした。

アニメ映画が教育的見地から、また映画芸術としての見地から見るとレベルが低いなんて思っているわけではありません。

「宇宙船館ヤマト」とか「耳をすませば」「千と千尋の神隠し」などは素晴らしい映画であることはわかります。

しかしいいアニメ映画というものは親がほっておいても子どもは勝手に見に行きます。

親が口出す必要はまったくないのです。それこそ子どもにまかせておけばいいのです。

ただ先ほども書きましたが親は親でアニメ映画以外に

「もっと、もっといい映画があるんだよ」

ということも子どもにわからせることが必要だということです。

子どもの集中力には恐ろしいものがあります

 これは父親としては実にお恥ずかしい話ですが、ある日、家族全員で借りてきた映画ビデオを見ていました。

子どもはテレビ画面に見入って真剣そのものでありました。

私が偶然にその日にプロ野球のテレビ中継をしているのを思い出し、途中経過が知りたくなりました。それで思わず

「ちょっと悪いけれどビデオ切るから」

なんて言ってテレビのチャンネルを廻すと、突然、居間の雰囲気が凍りつきました。後は罵声の嵐。

長女「父さん、いい加減にしてよ」

次男「だから父さん、勝手過ぎるんだよ」

長男「オヤジ、いい加減にしろよ」

なんて父の権威も何もあったものじゃありません。

私もさすがに少し頭に来ましたが、泣く子と地頭には勝てぬ、ということわざを地でいくごとく慌ててビデオ映画に切り替えました。

これで子どもも満足しただろうと勝手に思って降りましたが、これが甘い考えでした。それから半年近く

「お父さんは本当に勝手なのだから」

と子どもたちに攻めまくられました。まるで針のムシロに座っている状態です。恐ろしいのは熱中している時の子どもです。

あの集中力は誰も勝てないのではないでしょうか。

子どもは名画の内容をすべて理解する必要はありません

子どもはその一人々々が感受性が違います。また名画を見た時の年齢差によって受け取り方も違います。

 その上、私たち大人と同様にその名画の意味をすべて理解することはありません。

大人でさえ同じ映画を見ても見た時の自分の気分のあり方によって映画の印象が違いますし、見た年齢によっても全然違います。

大切なことはその映画のワンカットでも断片でもが子どもの心に焼き付けられ子どもがそれをいつか思い出せさえすればそれで十分なのです。

子どもと一緒に映画を見る意味

子どもと一緒に映画を見ることによって親は何を得るのでしょうか。私に言わせれば多くの物を得ることができます。

1 子どもと一緒にいることができる

 二時間も黙って子どもと一緒にいたことがあなたはありますか。

それだけでも「子育て」をしていることになるでしょう。

2 あなたも勉強になります

 名画を見ると大人ももちろん考えることがいっぱいあります。

見終わって楽しかったなあという思いともっとなんとかしないと、と思わせるのがきっと名画なのです。

3 子どもに集中力が身につきます。

どんなにバタバタして動き回って落ち着きのない子どももいざ楽しい映画が始まるとおとなしくなり画面に集中します。

もしお父さんとお母さんが横でペチャクチャ喋ったりしていると「うるせーな」とそれこそ思っているかもしれません。

名画に集中できる子どもはきっと勉強をしていても遊んでいても集中することができるようになります。

親も映画を見ながらおおいに笑いおおいに泣こう

 子供たちと名画を見ながら今になって思えば一つだけ失敗したことがあります。それは私が映画を見ながら子供以上に笑いながら、泣きはしなかったことです。

何か父親としての権威や面子が許さなかったのでしょうか。

いつもクシャミをしたり横を向いたりトイレに行くふりをしながら涙を隠していました。

この「ベスト五十」に上げた映画の中で「泥の河」とか「七人の侍」などで思わず涙が滲んだりしましたが、いつもそれを隠そうと努力しました。

今になって考えれば子どもの前でもっと泣いておいてもよかったとも思います。

子どもが父親とか母親とかの地の部分を見ても悪い気はしないでしょう。  

もしかすると子どもも感動して涙が流れるのを我慢しているのかもしれないからです。

第三章 子育てに役立つベスト映画五十

 ではいよいよ私が子育てに役立つと思うベスト映画五十を発表します。

最初にどういう基準でこれらの映画を選んだかを説明させていただきます。

1 先刻から書いていますように「アニメ映画」は子どもが自ら進んでみるでしょうからベスト50から除きました。

2 新しい映画にも素晴らしい映画はいっぱいあります。

しかしこの本においては原則として子どもと一緒に見た映画を取り上げました。

ですから旧い映画がかなり入っています。ただ私が取り上げたのは全てが映画の「古典であると認識しています。

3 基本的に私がすべて実際に見た映画、それも家族全員、または子ども達、子ども達の誰かと見た映画を選びました。

もっといい映画もあるのでしょうが、自分が観ていない映画を上げたりすると私が名画であることを保証できませんので。

4 現在、ビデオ化されている、またはDVD化されている映画を選びました。

またNHK、民放テレビによって放映されることもある映画を選びました。

これらの映画は公共図書館、またはレンタルビデオ店などで入手可能だと思います。

5 ベスト五十の紹介順序は必ずしもその名画のランクを意味してはいません。

ランクをつけるということは無駄だと思います。

6 ただ子どもの年齢によって感受性・理解力には違いはありますので便宜的

に入門編・初級編・中級編・上級編と分類しました。

7 入門編は幼稚園児・初級編は小学生の低学年・中級編は小学生の高学年・上級編は中学生と対象としています。

もちろんこれは著者である私の経験からの分類でありあくまで大体の目安にしかすぎません。

8 どうしてこの映画が選ばれているんだというご意見が必ずあると思いますが、あくまで子どもが見て楽しいし役に立つという基準で選びました。

9 各映画にコメントをつけていますがこれは映画の筋の解説でも映画のレベルの評価でもありません。

私が子どもと見ながらその時に子どもがどういう風に反応したのか、

父親として私がどう思ったのかをできるかぎり具体的に書くようにしました。

ではそれぞれの映画にコメントをつけながら発表させていただきます。

第一部 入門編

1 キートンの大列車追跡

*一九二六年 *アメリカ *クライド・ブラックマン監督

無声映画です。バスター・キートンの傑作です。

最初に子どもたちがこの映画を見た時にはさすがにそのハチャメチャさに茫然としておりました。

世の中、こんなにわけのわからぬ「おっさん」がいるのかという雰囲気です。

ところが途中からただひたすら意味もなく列車を追いかけるキートンのドタ
バタ的奮闘に子供たちも一喜一憂、

完全に画面にのめり込んでいました。
自分がバスター・キートンになった気分なのでしょう。

まるで初めて「動く写真」すなわち、「映画」というものを見た人間のような興奮の仕方でした。

バスター・キートンの映画はもしかすると子どもたちに「意味はないけれど何か感動的なもの」

世の中にあるのを初めて教えたのではないでしょうか。


子どもにとっては名画に理屈はないのかもしれません。

 ゴジラ

*一九五十四年 *東宝 *本多猪四朗監督

世界的に有名な「ゴジラ」です。ハリウッドでもリメイクされました。

「ゴジラ」シリーズの中ではやはり一作目のこの映画が最高でしょう。

子どもたちにこういう映画を見せてこういう世界があるのかと知らせるのは楽しいものです。

私は小学生の頃にこの映画を見ています。それから三十年過ぎて子どもたちとこの映画を四・五回も見ました。

子どもたちに人気があったのはアイ・パッチをした平田昭彦の演じる芹沢博士でした。

「オキシデント・デストロイヤー」でゴジラをやっつけた芹沢博士がゴジラと一緒に海に沈んでいく場面では

子どもたちもなにか「叙情性」というものを感じたのではないでしょうか。

伊福部昭の音楽も子ども心に訴えるものがあったのかよく子どもたちがハミングしていました。

3 チャップリンの黄金狂時代

*一九二十五年 *アメリカ *チャールズ・チャップリン監督

 ゴールドラッシュ時代のアラスカを舞台に繰り広げられるチャップリン得意のドタバタ喜劇。

私の子どもたちが喜んだのはチャーリーとビッグ・ジムが吹雪の山小屋に閉じ込められ

寒さと飢えに靴がガチョウに見えそれを食べようとしたりお互いが美味しい豚のように見える幻想シーンです。

このシーンは子どもたちは面白くて一生忘れないでしょう。

最後にチャーリーとビッグ・ジムは金鉱を掘り当て大金持ちになり

その上チャーリーは恋人とも結ばれめでたし、めでたしで終わります。

何と言ってもこの映画は閉ざされた断崖絶壁にある山小屋がユラユラ今にも落ちそうになりながら

先刻のシーンが展開される場面です。


どんな子どもでもこの場面を見れば辛いことも忘れてしまうでしょう。

私の子どもたちはこの映画を一週間連続で見ていました。

4 キングコング

*一九三三年 *アメリカ *メリアン・C・クーパー監督

後にリメイクされた「キングコング」よりもこちらの方が映画としては素晴らしいものがあります。

映画全体に言えることですが、リメイク版よりも常にオリジナル版の方がいいものです。

南の島で記録映画を撮ろうとしていた人たちに捕獲された巨大ゴリラはニューヨークへ連れて行かれ見世物にされます。

その見世物を見にきた群衆に興奮したゴリラが自分を縛っていた鎖を断ち切って大暴れします。

そして終始自分に好意的であった女性を連れてエンパイア・ステートビルに上ります。

飛行機が攻撃をしますが、この場面のスリルとサスペンスに私の子どもたちも息を呑んで見ていました。

最後にキングコングは美女を救って自分はエンパイア・ステートビルから落ちていきます。

この映画で子どもたちにもっとも印象に残ったのは凶暴だったキングコングが

自分を理解してくれる女性に対しやさしくふるまったことです。


そしてキングコングの悲しげな表情です。

子どもたちが見終わって言ったことは「キングコングがかわいそうね」ということでした。

5 スターウォーズ 

*一九七七年 *アメリカ *ジョージ・ルーカス監督

 宇宙を舞台にした勧善懲悪映画の代表です。

私が子供のころなら「チャンバラ映画」だったのが宇宙に取って代わられました。


正義の人々は正義の人々らしく悪人は悪人らしく実に子どもにとってはわかりやすい世界です。

それにSFXを駆使した技術は素晴らしいものがあります。

私の長男はアレック・ギネスが演じた共和国のジェダィ騎士団の生き残りの勇士オビ・ワンが気に入り、

長女と次男はC―3POとR2―D2のロボットの惚けた味が凄く気に言っていました。

二人ともこのロボットの歩き方を真似したものです。

子どもの心の中にある「変身願望」をおおいに刺激されたのでしょう。

子どもはそういう点は本当に面白い存在です。

ある日長男と次男が押入れで寝ているので「お前たち、何やっているの」と尋ねると

「俺たち、ドラエモンだよ」と返事をした時には思わず笑ってしまったものです。

6 砂漠は生きている

*一九五三年 *アメリカ *ジェームス・アルガー監督

「入門編」最後に教育映画っぽい映画を一本上げておきます。

一九五三年度アカデミー長編記録映画賞受賞作品です。

制作は今は「ディズニー・ランド」で有名となったウォルト・ディズニーです。

日本には広大な砂漠がありません。

その砂漠に生息するサボテンに始まりトカゲとかスカンク・禿タカ・山ネコなど様々な植物や生物の生態を詳細に描いています。

私も私の子どもたちも感動したのは砂漠に豪雨が降り大洪水が起こりますが

それも日がたつうちに元の乾いた砂漠に戻っていく場面でした。

私はこの映画を小学生の頃に学校の先生に引率されて町の映画館で見ました。

みんな感動しましたね。
自分の子どもたちにも見せようと図書館から借りてきました。

今の子どもたちには無理かなと内心思いましたが、意外や意外、三人とも熱心に最後まで見ました。

こういう映画が映画館で上映されていたことも今になって考えれば不思議ですが、

いい映画というものはどんな時代になろうといいのだということを子どもを通して私が確信した映画でした。

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