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新連載 「まったり禁煙:ほのぼの健康」
      
 協賛 「みんなで喫煙を楽しむ会」「ハイライト愛好会」「健康ファシズム反対連盟(準)」
 

初めに

今年(2005年)5月29日(金)の朝、布団の中で目覚めた時に思い立って煙草をやめる決心をしました。
それまで40年近く一日60本から80本吸ってきた煙草をやめるのです。
その時には別に決心というほどのものではありませんでしたが、現実に今日にいたるまで2週間近く
煙草を吸っていません。いつまでこの禁煙が続くか本人自身もまったく自信がありませんが、多少なりとも
このホームページにアクセスしていただいている皆様に管理人の体験が役にたつならばと思い
連載することを決めた次第です。

第1章 私の喫煙四十年全史(簡略編)
 2005年6月11日記。

私が煙草を吸い始めたのは1966年、つまり昭和41年の4月、

大学に入学するために上京した時でありました。

もちろん、当時は田舎の真面目な高校生、煙草を吸った経験もなければ

確か、喫茶店に入った経験さえもありませんでした。

まして煙草を吸いたいと正直思ったこともありませんでした。

ただ、煙草と私の縁で言えば小学生の頃、職人だった私の父に

よく「煙草を買って来い」と言われてお金をもらい近所の米屋兼

煙草屋さんに買いに行かされたことを覚えています。

私が小学生といえば昭和30年代初頭であり西暦で言えば1950年代であります。

当時、煙草の自動販売機があるわけがありませんでした。

ただ、私の淡い記憶では近所の八百屋さんなんかでも月末にお金を払ったりする

貸し売りをしていたように覚えていますが、煙草だけは現金で払っていました。

父が当時吸っていたのは「しんせい」という煙草。漢字をあてれば「新生」(?)

「新しく生きる」という意味の「新生」、戦後の雰囲気がよく出ています。

この金額が確か当時40円だったのでしょうか。

もちろん、今のようなフィルター付ではなく誰も使わなくなった言葉ですが

フィルターのない「両切り」というやつでした。

その後、父は多少生活が楽になってから1960年(昭和35年)に売り出された

「ハイライト」を吸い出したように記憶しています。

ただ父が煙草を吸っているのを見ながら私がその姿に憧れるということも

別にありませんでした。

私が大学生になって煙草を吸い始めた時には毎日吸う煙草の銘柄はまだ

固定していませんでした。

最初、フィルター無し両切りの「ピース」を吸っていたような記憶がしています。

当時は喫茶店の全盛時代、純喫茶に名曲喫茶に同伴喫茶。

喫茶店で何時間も座っている学生連中が暗いブルー色の「ピー缶」(ピースの缶詰)

を置いて雑談していた姿を記憶しています。

しかし、フィルター無しの両切りというのが利便性にかけていたのか

いつかこの「ピース」は姿を消していきました。

わかりやすく言えば、乗用車を乗り出した人が最初「オートマチック」で乗り始めると

「マニュアル」に乗るのにすごく難儀するのに似ています。

いったんフィルター付の煙草を吸うと両切りのフィルター無しの煙草を吸うのには

なかなか技術が必要となります。

力をいれて唇で煙草を少しでも噛むと唇に煙草の葉が残ります。

また力を入れなくとも吸い方が下手だと唇の中の唾液が煙草の葉を

濡らしてしまい一回煙草を吸うごとに「ペッ、ペッ」とその葉を吐き出さなくてはなりません。

要するにいったんフィルター付煙草を吸うともう両切りのフィルター無し煙草に

戻ることは不可能なのです。

私も一年ほど、この両切りのピースを吸ったり、ハイライトを吸ったり、はたまた

気取って洋モクである「キャメル」や「ゲルベゾルテ」を吸ったりもしましたが

結局、落ち着つ先は当時「労働者の煙草」として最も人気の高かった「ハイライト」になりました。

私が吸い出した時のハイライトの値段は記憶の限りでは80円でした。

家に転がっていた「朝日新聞社」発行の

「戦後値段史年表」週刊朝日編 朝日文庫

を見ましても煙草については細かい数字はなく

ただ昭和43年(1968年)のピース(10本入り)が50円となっています。

またネットで調べますと昭和37年(1962年)にハイライト(20本入り)は70円。

私の記憶のハイライト80円と10円のずれがありますがもしかすると70円が正しいのかも。

それから40年近くハイライトを吸ってきました。

今になって考えればどうしてハイライトを愛煙するようになったのか分析してみても

1 父親が吸っていた。

2 当時の国産煙草の主流はハイライトだった。

3 「労働者の煙草」として社会の中にある地位を獲得していた。

てなことくらいしか思い浮かびません。ただ歴史を振り返ってみると

以下のことは言えると思います。

1960年代末期の大学生は現在団塊の世代と呼ばれる「昭和20年敗戦から

昭和23年頃までの第一次ベビーブームによって生まれた世代をさします。

この世代あたりから完全に「大学生=エリート」という図式は日本社会では

崩壊していったように思えます。ただまだまだ現在のような大学進学率50%近くになる

という極端さまでにはいたっていませんでしたからプチエリートと言えば言えたかもしれません。

しかし、当時既に「学生=大衆}という図式はそのイデオロギーに関係なく出来上がりつつありました。

逆に言えば学生の政治運動からの後退がある意味で日本の近代化、豊かさの実現で会ったことも

紛れもない一つの現実でしたから。

こういう中で労働者の煙草として大学生の多くが「ハイライト」を吸っていたのもわかる気がします。

「労働者」という理念がある意味で崩壊し「市民」という新しくかつ怪しい(?)理念が

台頭しつつある時にまるで一周遅れのランナーの如く「労働者の煙草」ハイライトが全盛を極めたのも

何やら皮肉な気もしてまいります。

また、私は30歳くらいまで煙草を吸う時にはマッチを使っていた記憶があります。

煙草に火をつける時にマッチの燐の匂いが気になりだしてライターを使うようになったのは

30代以降だったように覚えています。

第2章 禁煙にいたる動機を考えてみます。 2005年6月11日記。

5月29日(金)の朝、布団の中で目覚めた時に思い立って煙草をやめる決心を

した理由は実に単純です。

その二日前の5月27日(水)に私がいつも行く清水内科に高崎市の

「みどりの検診」という市民に対する無料医療サービスを受けに行きました。

行った理由は前日から右目の前に何か蜘蛛の糸の如きものが見え始めたからです。

これが終日続き、今までそんな経験はなくひどく不安になりました。

これが最大の不安でした。もしかして糖尿病・・・?。

この「みどりの検診」は必要検査として

尿検査、肝機能 脂質 腎機能 血糖 心電図 眼底 血球数 ヘモグロビン

などの検査をします。

その時、診察室で採取した私の尿を見ながら看護婦さんが

「どうしたの、吉本さんの尿、汚れているわよ」

と言われました。

「汚れている」

という言葉が何を具体的に意味するのかはわかりませんでしたが、

その言葉はひどいショックを私に与えました。

「もしかして重い糖尿病なのでは?」

なんて不安が頭を掠めました。

その後、担当の医師に

「血圧が高いなあ」

と言われ

「尿から蛋白が出ているね」

とも言われましたので

「右眼の前に何か蜘蛛の糸のようなものが見えます」

と言うと

「それは飛紋症という奴で吉本さんの歳で体が疲れてくるとなってしまうんですよ」

と説明され続いて

「吉本さん、疲れているんじゃないの。疲れているんじゃないの」

と何度も尋ねられました。

疲れているのかなあ。

結局、血圧降下剤を2週間朝に一錠飲むことになりました。

それから仕事に出かけ帰宅しました。

一日過ぎた29日の朝、目覚めて私の頭に浮かんだのは

「俺はもうハイライトを40本も50本も吸う体力がなくなっているのでは」

という思いでした。この思いは私にとっては決定的だったと思います。

実は私はつい最近まで口では疲れた、疲れたと言いながら自分の体力には

かなり自信を持っていました。58年生きてきて病気になって入院したのは

中学生の時に脚に軟骨が出来て手術した時と社会人になって腰痛で

二回入院したくらいで大病というものになったことがありませんし

薬を飲むという習慣もありませんでした。

この10年ほども「みどりの検診」で清水内科に年に一回訪れるくらいでした。

ただそういう私が最近気づいてきたこと。

1 まったく爆睡ができなくなりました。眠りが浅い。夜遅く眠っても早く眼が醒めてしまう。

2 ほんの1、2年前なら、4時間や5時間パソコンの前に座りノンストップで作業を

継続できましたがどことなくその粘着性が無くなって来ている。

1時間作業をすると5分は休むようになりました。

3 固有名詞が思い出せなくなりました。人の名前がなかなか覚えられなくなりました。

4 見た映画、読んだ小説の内容をすぐに忘れてしまいます。

以上のことは単純に言えば「老齢化現象」「加齢現象」にしかすぎないものかも

しれませんが本人にとってはかなり深刻なものがあります。

まあ以上のようなことでなんとなくまったりと禁煙しようと思ったのが本当のところです。

第3章 禁煙に別に深い意味はなかった。 2005年6月12日記。
                    
そもそも私にとって喫煙に深い意味がありません。単なる嗜好の問題です。

要は好きだから煙草を吸う、それ以上の能書きはあったとしてもそれほど意味はないでしょう。

喫煙がこうですから禁煙に深い意味がないのも当然でしょう。

禁煙の理由として誰もが考えるのは、常識的には健康の問題か金銭的問題の二つしかありません。

私の場合、医者から高血圧であると言われたのがまず第一のパンチでした。

なんせ、最高が180台、最低が100台の血圧ではいくら能天気な私でもビビッテしまいます。

ただそれ以上に先刻も申しましたように、

「自分には煙草を吸う体力がもうないのでは」

と思ったのは大きいと思います。

こう書いてもよくご理解いただけないかもしれませんのでもっと具体的に書きます。

一日にハイライトを60本も吸いながらこの10年ほど何となくしなくなったことがあります。

それはまず寝煙草です。これはよほど長い間布団の中で読書をしている場合を

除いてまったくしなくなっていました。

次に朝起きてからの布団の中での一服です。

これはもうまったくしなくなりました。

どうしてしなくなったのかと言えば、これはもう無意識の体からの

警告ではないかと今となっては思っています。

喫煙があまりに習慣化し喫煙の楽しみというものが摩滅してしまい

ただ無意識、惰性で喫煙していてもやっぱり寝煙草、朝布団で一服という

パターンは避けてきたというのが実情です。

私自身、振り返っても喫煙のおいしさよりも喫煙しているという精神的安心感を

求めていたようにも思えてきます。

そしてその精神的安定感はストレスが大きい時には特に重要なものとなります。

精神的鬱も喫煙で救われることも経験上よくわかります。

禁煙を決意した朝も別に眦(まなじり)を決してという大げさなものはありませんでした。

現実に禁煙を開始した5月29日の朝以降、私は禁煙に関する巷に溢れているマニュアル本を

一冊も読んでいません。

また禁煙グッヅなども何も持っていません。

禁煙のためにガムも噛んでもいません。

もう10年近く前にも禁煙をしようとしてマニュアル本の指導に従い偉い目にあいました。

禁煙で口が寂しいことを解消するためにガムを5日ほど噛み続け、

顎は痛くなる、胃はおかしくなるという悲惨な結果を招いたことはここに書いておきます。

胃が弱い人は禁煙をする時にガムを噛むなどは禁物です。

また自分でもおかしくなりますが、禁煙を決意する5月29日の前日夕方に

私はコンビニに行きハイライトを1パック(10箱入り)を買っています。

ハイライト1パック2700円を買うとどの系列のコンビニでも100円ライターを

一個無料サービスしてくれます。

29日朝に私はそのうちの吸っていた1箱のハイライトのうち残った1本を

屑箱に捨て、残りのハイライト9箱はいまだに開封しないまま本棚の本の上に保存しています。

そのハイライトの入ったビニール袋は私が眼を上げさえすればいつも見えます。

こう書くと私の「意志の力」が強力だと錯覚する人がいるかもしれません。

しかし私は「意志の力」を信じる「ナチス」党員ではありませんし、

「意志の力」なんてかなりエエ加減だと日頃思っています。

ただ現在まで禁煙が成功しているのは実に単純なことです。

結局、決意した朝から職場である予備校に出勤する2時間近くの

間にハイライトを一本も吸わなかった事に尽きると思います。

喫煙していた時代には私は朝起きて朝食をいただいた後に

朝刊を読みながら2、3本、テレビを見ながら2、3本、

車で職場に着くまでの20分近くに2、3本。

そして職場に到着すると講師室の片隅にある講師用喫煙室で

2、3本吸って授業に臨むという習慣を繰り返していました。

最初に禁煙を決意した日に起きてから2時間の間、この習慣を

まったりとした気分で打ち破ってしまったということが大きいと思います。

その後はただ時間を意識の中で小刻みに分割してその中で煙草を吸わないように

心がけてきただけです。

第4章 禁煙当初の副作用を書いておきます。 2005年6月12日記。

これはなかなか強烈なものがありました。

何せ40年近く「ハイライト」を吸い続け、他の煙草、例えば

「マイルドセブン」などを吸うと下痢をしそうになるという症状を

呈したりしたのですから、その「ハイライト」が切れたらどうなるのか

やはり怖いものはありました。

また私は「アレルギー」的なものは何もありませんし、煙草は吸うし、

お酒も飲むますが、「リポビタンD」「ユンケル黄帝液」「リゲイン」「アリナミン」

などの栄養ドリンクは体質的に受けにくく、一本でも飲むと血圧が急上昇し、

心臓の鼓動が速くなるのを自分でわかりましたのでこの手の栄養ドリンクは

ほとんど飲まないようにしていました。

喫煙とのこのアンバランスな感覚は私自身にもよくわかりませんでした。

禁煙した翌日はまず頭がボーとなりました。

多少、オーバーですが意識が焦点を結びません。

結んでも持続力がありません。

すぐに頭が痺れたような感覚になり「あくび」が出てきます。

これは車を運転していてもまったく同じです。

煙草には巨大な意識を覚醒する力があるのだということが一日にしてよくわかりました。

頭が痺れて極端に言うと寝ぼけた状態が持続してる雰囲気。

ですから禁煙してから二・三日、車の運転には正直怖いものがありました。

食事がおいしいという感覚にはなかなかなりませんでしたが、

間違いなく食欲は増加したみたいでした。

もう一つの特徴は無意識のうちに手が煙草、灰皿などを探しているでした。

車を運転している時に無意識に左手がワイシャツの左胸ポケットに行きます。

煙草をとろうとしているのです。

もちろん煙草はもうポケットにないことを途中で気づきますが。

居間の座椅子に座っていると今度は左手で灰皿を探しています。

どこか脳の中に煙草、灰皿、百円ライターなどが身の回りに存在している

という残像がまだ残っていてそれが私の意識に指令をしているような気になりました。

頭の痺れは日が過ぎる毎に薄れていきましたが、煙草の薬物的作用に影響を

受けていたのかと考えると怖いところもあります。

夜、布団に入ると10分も過ぎないうちに眠るようになりました。

これは驚くべき副作用です。

私は布団に入るといつも最低1時間から3時間の間読書をする習慣がありましたが

これがピッタリやんでしまいました。

現在、布団の中での読書は最大30分が限度です。

すぐに眠気がやってきます。

これは厳密には禁煙のせいなのか、単なる加齢現象なのかはわかりかねるものがありますが。


                      ・・・・続く・・・・・

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