![]()
Copyrights of these sentences belong to the
author. The reproduction of without permission
reprint is prohibited
親十戒
第十戒 汝、わが子を珠玉と思い慈しめ
人は自分が他者から受けただけの愛しか他者に返せないと申します。
私は父や母から受けた愛の何パーセントを父や母にお返ししたのだろうかと考える時暗澹たる思いに囚われます。
自分の反省はさておき、人は他人から愛されることを教えられて他人を愛するようになるのです。
そのことを親が忘れてしまっては話になりません。
「愛される」ことによって「愛する」意味がわかるのです
もし、私が子どもに100パーセントの愛を与えたと言ってもそれは嘘でしょう。
自分の胸に手を当てて考えればもっともっと愛情を注いでやればよかった、もっともっと一緒に愉しく生きればよかったと後悔している今日この頃です。
しかし、私の子どもに対する愛情の何パーセントを子どもが報いてくれるかと考えると私は正直に言ってほとんど期待をしていません。
親とはそういうものなのではないでしょうか。
しかし、「子どもを愛する」ということと「子どもに媚びる」「子どもを甘やかす」ということは現象的には同じように見えてもまったく違うことです。
私は子どもに媚びたり甘やかしたりすることを絶対に勧めません。
子どもに媚びたり甘やしたりすると子どもはひたすら増長していきます。
この増長はとどまるところをしりません。
そして何時の間にか家族の中の専制君主となってしまうのです。
簡単に子どもを甘やかすとどういうことが起きるかというと、
@起きない A 片付けない B 手伝わない
この三無主義に一発で子どもは転落してしまいます。
小学生の頃からこういう生活を送ることが常態化した子どもがどういう大人になるか誰もがわかることでしょう。
一時騒がれた「学級崩壊」なんてその典型です。
厳しい躾をされたことのない子どもが、歳月が過ぎて大人になり、今度はどう自分の子どもを躾たらいいかわからないまま、子どもを小学校に放り込む。
これでは、小学校の先生もたまったものではありません。
小学校で躾をやれと親は言っているのでしょうか。
私は昔を美化する気持ちはあまりありませんが、私が子供の頃には、躾は厳しいけれど、子どもにはやさしい親はたくさんいたという記憶がしております。
これは単純な印象批評の域を出ておりませんが私にはそうとしか思いません。
子どもは敏感ですから、親が自分のことを愛してくれていると分かりさえすれば多少の躾の厳しさなど何も気にしないのです。
そのことを忘れている親がやたら多くなっているような気がして仕方がありません。
子どもを愛することと、子どもを甘やかすこと、子どもに媚びることはまったく別なことなのにこのことをどの程度親は理解しているのかと思ってしまいます。
子どもを愛するということはどういうことか
子どもを愛するということは簡単に言えば、世の中を子どもが一人で生きていけるように準備をしてやることです。
獅子は生まれた我が子を千尋の谷に突き落とすと言われています。
これも子どもが自然世界において自分ひとりで生きていくための自立を促す一緒の愛情ではあるでしょう。
私たち人間はそのプロセスを20年近くかけて実行しているだけです。
我が子にやさしい言葉をかけるのが愛情のなせる業ならば厳しい言葉を投げかけるのも愛情です。
子どもに耳の痛いことを言うことも時には必要です。
私は子どもを褒めなさいと書きましたが、しっかり叱りなさいとも書きました。
最近の親は折檻を繰り返し、子どもを物理的に痛めつけるか、まったく逆に自由放任主義で育て実にわがままな子どもにしてしまうという両極端に走りがちに見えます
。褒めることと叱ること、その二つをバランスよく実行することをいつも意識することです。
子どもは自分が親から愛されていることがわかれば多少の厳しい叱責の言葉も快く受け入れるものです。そういう心の強さを子どもにも与えるようにしなくてはなりません。
風邪を引かないようにするのに厚い着物を着て温かくするということも必要ですがいつも薄着をして寒さに対する免疫を子どもにつけることも必要なのです。
子どもは「未成の大人」です
子どもは「未成の大人」です。
また「未成の親」なのです。
そのことを肝に銘じて子どもに愛情をもって接してあげればきっと子どもは立派な大人になります。
そのことさえ忘れなければ後は子どもと愉しく生きていくことを考えるだけです。
私のように子ども三人が大きくなって離れて生活するようになりますと、
@
子供の頃にもっと一緒に遊んでやればよかった。
A
どこか、旅行に連れて行ってやればよかった。
B
もっともっといろんな話をすればよかった。
と、後悔だけが先にたってまいります。
子どもは必ず物理的にも精神的にも親から離れていくものです。
どうして私がこのことにこだわるかと申しますと、私が大学に進学するために東京に出て以来、帰省する為に田舎の実家に帰ったのは2年に一回程度です。
そうすると私は現在まで36年間でたった18回程度しか帰省していないことになります。
それもいつも実家に2,3日滞在するだけのあわただしい帰省です。
その間に冒頭に書きましたように私の父親は亡くなってしまいました。
私が上京して以来、父親と話したのはいったい何時間しかなかったのかと考えると暗澹たる思いがあります。
今になって思えば私は父親ともっともっと話をすべきだったのです。
私も子どもが家から出て行った今、私の父親と同じ運命が待っているかもしれません。
もしかしたら皆さんにも。
いつも子どもと言い合っている方も、意見が合わない方も、本当に子どもがいなくなると親なんて寂しいものです。
せめて子どもと一緒に生きている間くらい子どもと愉しく生きていくことを今以上に心がけることが親の務めではないかと思います。
ここまで親十戒を書いてきました。これらのことを日頃考えていれば自然に素晴らしい父親・母親になれるでしょう。