生きる糧としての
吉本隆明・叡智の言葉(1)
はじめに――どうして吉本隆明なのか
大学生の頃から吉本隆明の本を読んでいます。私の経験から言って、時代が混迷すればするほど、価値観が混沌とすればするほど、また何が正しくて何が間違っているかの判断基準が曖昧になり、世間の表面に正義面したイカモノ連中が跋扈すればするほど、吉本隆明の言説は光り輝いてきます。といっても私は必ずしもいい読者とは言えないと思います。彼の断簡零墨まで読もうとしてきたわけではありません。また体系的に読んで「知的研鑚」に励もうとしてきたわけでもありません。怠惰な私の性格のせいか、また能力のせいか吉本隆明の三部作と云われている「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論」などには眼は通しはしましたが、正直言って自分で理解したとは到底言いがたいと思っています。ただ私は人生に行き詰まった時、失意におちいった時、人間関係がうまくいかなくなった時、などなどに不思議なほど自然に書棚にある吉本隆明の本を手にとるようになりました。そしてそのたびに私は新しい生きるための光を見つけまた何か新しい発見をして心を励まされてきました。吉本隆明の著作を読むことが自分の生きる糧だった時もあると言っても過言ではありません。私にとって学生時代よりもう三十数年近く継続的に読んでいる「表現者」は吉本隆明以外にはいません。まずどうしてそんなに吉本隆明が私にとって魅力的なのか語りたいと思います。
1 このことはあくまで私の印象であって吉本さん自身が何かの文章において断言しているわけではありませんが、一九四五年(昭和二十年)太平洋戦争が終るまで「軍国少年」であったと自ら語る吉本隆明は、旧い言葉ですが戦後市井に生きる独りの「民草」(人民の意)としてその生涯をまっとうしようと決心したのではないかと私は想像しています。
2 吉本隆明は大学の教壇に立とうと思えば充分立てたはずなのにあえて立たずに、またいかなる党派・政治集団にも属さず独立独歩で発言をしてきました。また自己の肩書き(例えば★★大学教授)や集団の威力(例えば★★党)を利用しまたその陰に隠れて発言したこともまったくありません。これは若い人にはわからないかもしれませんが、長い間世間で生きてきた人々にはどれほど凄いことか分かっていただけると思います。
3 吉本隆明は戦前独りの読者として当時の文学者であった小林秀雄や太宰治が太平洋戦争について何と言うか、どのように向き合っていくのかを発表することを期待していました。そして戦後自分自身が「表現者」となった時に読者が「吉本さんは何と言うのか」と期待していた時にあたう限り誠実に答えようとした唯一の「表現者」だと言えると思います。
4 具体的に言えば、私が大学生になったのは一九六六年(昭和四十一年)ですが、それ以降、中国文化大革命・全共闘運動・三島由紀夫事件・赤軍派粛清問題・オイルショック・バブル・いじめ問題・阪神淡路大震災・オウム真理教・反核問題・ベルリンの壁崩壊・ソ連を中心とした東欧共産圏の崩壊・湾岸戦争・イラク戦争など様々な問題が起こりました。これらの事件について吉本隆明はどう考えているのかと読者が思っている時に「表現者」として、世間・マスコミ・エセ権威からの孤立を恐れることなく、あたう限り真摯に答えてくれたのです。
5 吉本隆明の言説は常に独創的で理論的でその言説の有効性のスパンは実に長いものがあります。このことは今回この本を書くために再度読み直して痛感したことの一つです。戦後の日本においてこのような表現者は残念ながら他に見出すことはできません。
6 吉本隆明は含羞の人です。それは吉本さんの文章を長い間読んでいてわかってきました。舌鋒鋭く論敵と対峙しながら絶対正義の立場に立ったりはしません。必ず自分の限界も自ら指摘しますし、論敵の困難な立場にも最低限の理解を示すことを忘れません。
次の文は過去の吉本隆明の著作から私が印象に残った文章を文字通り恣意的に選んだものです。吉本さんの文章のスパンの長さ、すなわち、その射程距離の長さと普遍性を理解してもらいためにできる限り情況論的その場限りの問題の如き文章は排除しました。もちろん一見すると情況論的に見えながら普遍性があるというのが吉本さんの文章の一大特徴です。この本に選択した叡智に溢れた文章を読んだだけでも読者の皆さんは必ず吉本隆明の偉大さを感じることができると思います。最後に私は予備校の教壇に立っていますが数年前、教えていた浪人生に「この本を読んでみたら」と吉本隆明の一冊の本を勧めたことがあります。後から読んだ浪人生が二三人来て「読んでこれから生きる自信が湧いてきました」などと言ってくれました。その時の笑顔が忘れられないのでこの文章を書きました。このHPにアクセスしてくれた方で世の中にどう対峙していくか、何を心の糧に生きていくのか、などなど、様々な問題に悩んでいる多くの若い人たちに読んでいただければ幸いです。
註 本文中、「全著作集」とは「吉本隆明全著作集」剄草書房 をさします。また「試行」は吉本隆明が編集発行する不定期な個人雑誌をさします。現在は発行されていません。
1
胎児はまだ言葉はあまりできませんが、出てきたときにだいたいギャ―と泣きますから、そのときにものすごく怖い体験をしているとおもいます。それは、われわれが漠然と死というものをかんがえていて、死のときには怖いにちがいないというふうにおもっているのと、ちょうど同じくらい怖いんだとおもいます。胎内から出てきたときというのは、そうとう環境が激烈に変りますから、それはものすごく怖いことだとおもいます。ですから、人間はまるでほかの世界に行ったみたいに怖いことというのは、たぶん人生で二回体験するので、それは生まれたときかと、死ぬときだろうとおもいます。これがぼくのまず言いたいことです。その生まれたときの怖さというのは、生まれてこれから違う世界へ行って生きるという、はじめての体験に対する怖さであるわけですし、死ぬときの怖さというのは、そうではなくて、終ってしまうところの怖さだとおもいます。しかしどんなに宗教的でも、死は、胎児が胎内からこの世に出てきたということと同じで、死の向こう側には、格段に違う世界だけれども、もうひとつ世界があるんだというふうにかんがえているとおもいます。ぼくはそういうふうにはおもっていませんが、ただ死ぬとき、あるいは<死>についての怖さというのと、生まれたとき、あるいは<誕生>についての怖さというのは、構造はおなじだろうとおもうわけです。新 死の位相学 春秋社
《私の想うこと》
2
沈黙していても他者の心は相互によくわかり、どうすれば他者は慰み、どこにその悲しみがあるのかを、黙って推測し、いたわりも温もりもただ沈黙のうちで了解できるといった古風なものしか、交友はなりたたない。それ以外は、交友はない。ただ現実上の必要から事務をまじえた交渉がなりたつだけである。全著作集7 「鮎川信夫」
《私の想うこと》
交友というものはお互いの現世の打算や計量や言葉を越えた「なにもの」かなのでしょう。私は現在五十五歳ですが、歳をとればとるほど、この言葉は美しい言葉のように思えてまいります。そして美しい言葉の裏には鋭い棘があります。いったい現在のようなせちがらい世間でこのような交友をしている人は何人いるのでしょうか。このような交友がたった一人の他者と成立するならばそれはそれで現世を生きた価値があるように思えてまいります。そしてそのような交友が持てるのは吉本隆明の好きな言葉で言えば「契機」ということになるのでしょうか。たまたま幼い頃に近所に住んでいたとか、小学校・中学校・高校・大学で同じクラスだったとかという偶然の理由で発生した交友がこのようなものになっていくならばそれはほとんど奇蹟に近いように思えてまいります。「交友」(友情)の至福と至難を考えさせる一文です。
3
人間と人間との<関係>のなかで、傷つくのはいつもおおく心を与えたものである。またよりおおく<関係>の意識の強度を体験したものである。もっとも人間が傷つかない世界は<習慣化>された世界である。そして人間はじぶんをその傷つかない世界に馴致させることで生存を防護している。しかし、いつまでも人間と人間の<関係>に慣れることができない<資質>があるとすれば、その<資質>は、つねに、そして時を経るにつれて、ますます深く傷つかなければならないはずである。全著作集9 「島尾敏雄」
《私の想うこと》
人間、誰もが多かれ少なかれこういう<資質>を持っています。例えば、学生が集まってコンパをします。精一杯、廻りに気を使い、楽しくその場を盛り上げ、酔いの勢いも手伝い、冗談を言い、馬鹿騒ぎをし、また今度、みんなで集まりましょう、などと言いながら、いざ自分のアパートに帰って独りになった時のあの絶望感は何なのでしょうか。学生のコンパでさえこうです。まして市井の生活のおいておや。人間はこのような自分の傷つく事態をひたすら「習慣化」してことによって自分が傷つことを防止します。これを世間では「成熟」と呼びます。しかし「成熟」できない人間は? この一握りの人たちが「表現者」を志すのでしょう。この本を読んでいるほとんどの人がこの吉本隆明の言葉は自分のことを言っているのではないかと思うのではないでしょうか。
4
遠山啓氏は「きみのように他人に嫌がられるほどしつっこく頭を下げるということを知らないものは、いつまでたっても生活してはいけないよ。他人がきみが自分自身を思っているほどきみのことをおもっているわけではないよ」とあるときなに気なしにわたしにいった。これも至極当然の言葉だが、わたしはわたしの人性上の核心をつかれたように、手痛い批判を感じた。わたしが何か人間と人間の関係について、現実について、自己について新しい地平を垣間見たとおもったのは、このときの体験が最もたるものである。全著作集7 「鮎川信夫」
《私の想うこと》
この文章こそ吉本隆明が敢えて若い人に対して書いた言葉のように思えてまいります。私はこの文章を最初に読んだ若い時以来、他人とぎくしゃくしたり、自分が倒産したりするなどの人生の苦難に遭遇するたびに「他人がきみが自分自身思っているほどきみのことをおもっているわけではないよ」という言葉を心の中で何千回と反芻してきました。今でも反芻しています。他人とのスタンスの取り方、そこに本当の「インデビィデァリズム(個人主義)」の確立があるのかもしれません。
註 遠山啓:数学者。東京工業大学名誉教授。大学時代の吉本隆明の恩師。
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今は昔。わたしや友人たち、つまり挫折したりしなかったりの政治青年や文学青年のあいだでは、いよいよ政治も社会も生活も行き詰まりになったら、「屋台を曳く」とか「煙草屋の店番をする」とかいった冗談とも真面目とも安らぎを求める夢とも受けとれる会話が、よくまじわされたものだ。こんなことが仲間うちで話題になったのは、たぶんわたしたちがじぶんの生涯を無償なものとみなしたい気持ちが、見栄としてどこかにとぐろを巻いていた証しだとおもう。消費のなかの芸 ――ベストセラーを読む ロッキング・オン
《私の想うこと》
私も昔友人と話していると冗談にお互い「売れない古本屋のオヤジになりたい」とか「山小屋の番人になって生きていきたい」とか話し合ったものです。そこに他者との関係を厭い誰にも妨げられずに生きていたいというある意味で世間知らず、ある意味で純粋な夢があったのかもしれません。今の若者でいえば「フリーターで生涯生きる」とか「山奥で自然と暮らす」という言葉に該当するのでしょうか。「生涯を無償に生きる」。素晴らしい言葉です。これこそ若い時にこそ言えるある意味で夢のある言葉です。違うように言えば心情的なことにさえ見栄を張れるほど若い時代は誰にでもあるものです。そして歳月が過ぎてやってくるその美しい言葉が単なる見栄にしかすぎなかったという自省の苦さ。
6
いまから五年ほど前、失業していたとき、街を職をさがしに歩きながら、何か用事あり気に路をゆく勤め人や商人が、別世界の人間のように羨ましくてならなかったことがある。わたしとそれらの人々とは、たかが明日はどうなるかわからない職を持っているか、いないのかのちがいにすぎないのに、まるで別世界の人間のようにこっちだけが窪んでみえるのはどうしたことか、おれの思想は、この程度のことに耐えないものなのか、こういった自問自答をなんべんもこころに繰り返して歩いていた。全著作集7 「石川啄木」
《私の想うこと》
限りなく「ひきこもり」に近い心情というものは人が若ければ若いほど強く存在するものなのでしょう。私は大学を中退し、ブラブラ生きていた時や、せっかく就職した会社を辞めて明日の生活に追われていた時など、街を歩いているとこのような心情にしばしばおちいりました。その頃、私に映っていた街の姿や人々の姿はきっと歪んでいたと思います。その歪みの中に人生の苦しみというものが現実に存在していたのでしょう。自分は他人とは違うのだという「優越感」と、同じコインを裏返しにしたような、こんな歳をして俺は何をやっているんだろうという「劣等感」。この狭間に追い込まれると誰もが、他者や世間との「異和感」にさいなまれます。現在のように「勝ち組み」「負け組み」とか「競争社会」とか「不況」とかの記号で表現される時代には、若い人は、その人がものを真摯に考える若者であればあるほど、昔以上に切迫感を感じているのではないかとも思えてきます。もしかしたら吉本隆明が書いている心情は青春時代に人が一度は通らなければならない「通過儀礼(イニシエーション)」なのかもしれません。
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<義>は<義>に感応し、<義>の立場につけば、<義>の構造は問われずに免罪されるものだ、などと考える男は、幸福な男である。<不義>とおなじように<義>もまた、苛酷にその骨の髄まで疑われ、問いただされることを、免れるものではない。そして、どんなに疑われ、問いただされても、なお耐えうるときに、<義>もまた<自然>に、あるいは必然の固さにはじめて触れることができる。試行 NO38 情況への発言 試行社
《私の想うこと》
昔、二十六歳の頃、この文章を初めて読んだ時にウンウン唸りながら考えたことを記憶しています。この場合の<義>は辞書に云う「物事の理にかなったこと」「人間の行うべきすじみち」、つまり「正義+真理」を指し示しているように読めます。社会表層的<義>から付和雷同的に<義>を考えたり支持したり実践したりしては駄目だ。それは自分自身で<義>の構造を正していないから駄目なのだ。自己の研鑚努力から<義>を生み出せと吉本隆明は力説しているように思えます。
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パラノイアは愛だけにかかわっている病気だといっていい。だが現在まで分類されたどんな妄想形成をかんがえてみても、正常と異常という病気の境界をきめることは、ほんとうは難しいといわなくてはならない。むしろ不可能というべきで、「愛する」という対象的な心身の行動の全体を病気に至る道とみて、妄想形成の過程をかんがえるほうがよいとさえおもわれてくる。そして妄想を剥離してゆくために人間は生涯を費やすように出来ているという言い方もできる。母型論 学習研究社
《私の想うこと》
他者を愛した経験のある人はパラノイア患者の経験があるのでしょう。愛する対象の言葉、ふるまいに過剰な意味付けをして一喜一憂し、ひどい時は死にいたるのかもしれません。そう考えると「純愛」という言葉と「盲愛」という言葉にはほとんど距離はなくなります。同時に「正常」であるか「異常」であるかの区別もなくなります。後は社会的にノーマルなのか、法律的に、リーガルなのかという問題が残るだけです。これは愛の対象が家族・異性・同性・人間以外の有機物・無機物であっても変らないでしょう。そうすると当然、物神崇拝(フェティシズム)におちいっている人とストーカーの間に距離はなくなります。また子どもの教育に異常な執念を燃やすいわゆる「教育ママ」の情熱もパラノイアの一種であることは間違いありません。とわかったようなことを私は書いていますが、最後の「妄想を剥離してゆくために人間は生涯を費やすように出来ている」という言葉はいつ読んでもドキッとさせられます。吉本隆明は恐ろしい人だなあという気がしてしまいます。なぜならこの言葉はどこか人とその人との「家族」との関係を言い当てているように思えてならないからです。註 パラノイア:体系だった妄想を抱く精神病。分裂症のような人格の崩れはない。偏執病(へんしつびょう)
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他人の善意や好意の大小や軽重を、不慮の事故のときの反応で決めたりするのは、独りよがりで、そうしてくれた人々にすまない下卑た心の動きの気がする。しかしじかに見舞いの便りや行動で、心配の気持ちをあらわしてくれたことは、悪意の反応に出たものでないことだけは確かだ。こんな言い方に含まれた傲慢さを打消したくていうのだが、わたし自身がある契機から、知人、友人の不幸に立ち会うことを諦めたので、自己弁護したかっただけだというべきだろうか。・・・・・の人々に幸いあれ。新 死の位相学 春秋社
《私の想うこと》
この文章は具体的な情況を書かなくては読者の皆様には分かりにくいと思いますのであえて説明しておきます。吉本隆明は一九九六年八月三日に伊豆の西海岸で遊泳中に溺れて死の淵を彷徨いました。救急車で担ぎ込まれた伊豆の病院から東京の日本医科大学付属病院に転院して八月十三日に書かれた入院中のメモの一部がこの文章です。一読した時には、正直に言って、自分が生死の境を彷徨ってまだ十日もたたないうちに何をクドクドと複雑骨折したようなわかりにくい文章を書いているのだという思いでした(笑)。今回この本を書くために読み直して感動しました。例えば、人が不意の自己で入院したとします。ある知人はお見舞いとしていくばくかのお金を包んでくれた、ところがそこには当然人によって金額的差があります。またお見舞いの花を持ってきてくれた人もいるでしょう。激励の手紙、葉書を寄越した人もいるでしょう。そういう人たちの心配してくれた想いの軽重を考えるのが「下卑た行為」のように本人には思えたのでしょう。また吉本隆明本人から考えると「表現者」として常に世間の「悪意」に吹きさらしにされていたという今までの想いもあったのでしょう。ところがいざ自分が事故に遭遇してみるろ意外と「悪意」ばかりではなかったということを実感しました。しかし、だからと云って自分は独りの「表現者」として世間に対する態度は変えないぞという気持ちとが言外に読み取れます。そのような想いが謝辞・留保・自己弁護が入り混じった文章にしてしまったのだと想像されます。私は今回この文章を読み直して吉本隆明が他者に対して誠実であるのと同様自己に対してもまた「表現者」としても誠実な人であることをシミジミ感じました。
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だから僕に言わせれば、何か特別な、死を迎える心構えがあると考える必要はないんじゃないでしょうかということです。そういうことを体験することは本当はない。外側から死なら死を対象化してみていると、こういうときにはこうなって、こういう心構えでいれば楽なんじゃないか、助かるんじゃないかと思うわけでしょうけど、実際にそういう場面に自分が直面したときには、まずそういうのはない。意味がないといいうふうに考えたほうがいいと僕は思っています。幸福論 青春出版社
《私の想うこと》
この文章を読みながら吉本隆明が別なところで、禅宗の高僧が鬱になりある日寺院の廊下の梁に紐をかけ縊死したという新聞記事を読んで感想を書いていたことを思い出しました。私はその文章を探しましたが、見つかりませんでした。ただその新聞記事は読んだ記憶があります。その記事を読者はある種の驚きを持って読んだものと思われます。正直、私も驚きました。「あんた、何のためにこれまで何十年も厳しい修業を積んできたのよ」なんて揶揄したくもなりました。確かに吉本隆明の言葉の通り、死を対象化して研究しても自分の死に対する覚悟ができるものではないという気もしてまいります。別に、医師・坊主・葬儀関係者など、日頃人の死についてそれなりの研究・修業もし、かつ人の死に行く姿を見慣れた人であっても自分が現実にどう対応するかは自信がないのが正直なところではないでしょうか。
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死に関することはあんまりとび離れたことを言うと、いやな感じになってしまいます。じぶんからは死の怖れがすこしもなくなっていないのに、あたかもなくなったかのようなことを言ったり、あるいはこうやるとなくなるぞみたいなことを言ったりするのは、いやな感じなわけです。死の怖れは、知れば知るほど少なくなっていくと言いましたが、そのくせぼく自身は、ちょっと熱が出ると、もうくたばりかけたみたいになっちゃって、娘たちによく大げさだと言われるんです。だから、いざとなったら、人並み以上のふるまいができるわけでもなんでもありませんから、それはあらかじめお断りしておかなければいけません。しかしぼくは、人間というのはそういうものだ、というふうにおもっています。つまり、いくら死について知ることができていったとしても、そしてそれによって死の怖れがふだん、より少なくなっていたとしても、そのことと、いざ死にかけたときに大騒ぎするかどうか、怖い怖いと叫ぶかどうかというのは、またくべつな問題だというふうに思います。死とはそういう存在のしかただとおもっています。新 死の位相学 春秋社
《私の想うこと》
先刻の文章と同じ内容に近い文章をどうして選択したのだと訝っている読者の方もおいでになると思います。この文章を読むとおわかりいただけると思いますが、私がこの文章を選んだ理由はまず吉本隆明という「表現者」が「悟り」とか「円熟」とかとは無縁の人であるとことを確認して欲しいためです。日本の「表現者」は歳老いていくと自然に帰依したり天皇制に結びついたりして、最後の最後まで自分の論理を貫くという一貫性があまりないように思えます。その点だけでも吉本隆明は異質です。次にこの文章の中にあるそこはかとない吉本隆明のユーモアを理解していただきたいと思います。私は吉本隆明の本を読みながら時々その卓抜な「ユーモア」に声を出して笑ったりします。もちろんわざと読者を笑わそうとして書いているわけではないのでしょうが。これから吉本隆明を読んでみようと思う若い人は「戦後最大の思想家」なんて世間がつけた看板に、何か難しいことが書いてあるのかなんて、ビビらずに読むと意外といいのではないでしょうか。
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人間とは、生まれ、子どもとなり、青年となり、壮年となり、老人となり死ぬまでの間に、何か為すべきことを程度に応じて為すために生涯があるのだ、というような軌道をまったくはずれて、とにかく、どんな微細な事であれ、巨大な事であれ、事の大小にかかわりなく、その事のために膨大な時間を浪費することのできた人間の精神的な生活が書物のなかにあるとき、その書物は事件のようにわたしのこころを動かすのではないか。読書の方法 なにを、どう読むか 光文社
《私の想うこと》
私たちが 吉本隆明が言うような書物に出逢えるのかということが問題になると思ますが、吉本隆明の時代と違い、また私の時代とも違い、確かに今の若い人には読書以外に自分がやるべきことの選択肢が多すぎて難しいのではないかと思えてきます。ただ何かそういう本を一冊読んでおくことは長い人生の間には絶対必要なのでしょう。それも若い頃に必要です。なぜならそれが読者の人生のバックボーンとなりまた自分の進路を決定する可能性もありますから。テレビやテレビゲームやパソコンでは得られないものが書物の中にあるのは確実です。