第55号 母 その2

私の母は、「勉強しなさい」とは、あまり言わなかった。
が、何故か「お前は本を読まない」と言って嘆いていた。
「本を読む子」=「頭のいい子」のイメージが母にはあったらしい。
母から読み聞かせをしてもらった記憶はない。
母自身が雑誌や新聞を読んでいる姿というのを見たこともない。
母は自分が本を読まないことについては、少しも嘆いていなかった。
が、娘が「本を読まない」姿は許せなかったようだ。
ある日、母は「中江藤樹」という日本偉人伝を買ってきた。
私は、その本が苦痛だった。
表紙のちょんまげオヤジの顔を見ただけでうんざりした。
母はことあるごとに「中江藤樹は読んだのか」と責め立てた。
見かねた姉が私にその本を読んでくれた。
大人になって、その話になった。
母が言うには、「中江藤樹は修身の時間に習った偉い人なんだ」そうだ。
修身の時間に習った・・・・偉い人・・・か。
姉は、全然私がその本を読まないことが見ていられなかったそうだ。
「せっかく買ってもらったのに、お母さんに悪い。」
それで、私に読んでくれたのだそうだ。
![]()
私が生まれて初めて自分で読んだ本は「ヘレン・ケラー」だった。
小3のとき、教室の学級文庫にあった本だ。
私は、なにに惹かれたのか、ヘレン・ケラーがたまらなく好きになった。
何度も何度も借りて読み、しまいには、ヘレン・ケラーの年表みたいなのを書き写した。
そして、まだ生きていると実感すると、心から「会いたい」と思った。
ある日、私は近所の本屋で学級文庫にあったのと全く同じ「ヘレン・ケラー」の本を見つけた。
胸が高鳴り、いてもいたってもいられなかった。
数日間、思いあぐねた末、とうとう、母に「ほしい」とうち明けた。
母は「買っていい」と言ってくれた。自分で買いに行った。
その本を胸にかかえて走って帰った。
家に帰ってドキドキしながら、その本を手にしている私を見て母は言った。
「学校で何度も借りた本なんか買って来て。」
![]()
あなたは、中江藤樹を知っていますか。
彼は、少年時代、親元を離れて宿舎付きの学校に入ります。
冬の朝、薬売りが手荒れ止めの薬を売り歩いているのを見かけます。
母のガサガサした手を思い出した藤樹は、その薬を買って、母に届けます。
雪の中、自宅へ戻った藤樹は、その薬を母に手渡そうとします。
ところが、藤樹の母はこう言います。
「お前は、母さんに会いたくなって、こんなものを届けにきたんだろう。
こんな薬欲しくない。さっさと帰って、勉学に励みなさい。」
日本の立派な母は力強くそう言うのでした。
そして、藤樹は母の厳しい言葉に叱咤激励され、
反省し、勉学に励み、立派な大人に相成ったのであります。
母は、雪の中、帰っていく息子の後ろ姿を見ながら目に涙を浮かべ、
厳しい言葉を息子に言った自分の凛々しさに酔いしれるのでした。
私はこの話にどうしても深い感動を覚えることができませんでした。
息子が薬を持ってきてくれたことがうれしくて涙しているのに、
どうして、素直に「ありがとう」「うれしいよ」と言わないのだろう。
厳しく「帰れ」と言われると、どうして息子は立身出世するのだろう。
私はこの欺瞞に満ちた二人の関係が嫌いだった。
母にとって、このお話の魅力は、”立派な母”がポイントだったのだろう。
この話に共感しない私を母は
「偏屈」「へんぽうらい」「変わり者」「へそまがり」と評価しました。
そう、まさにそういう言葉で私を評価しました。
中江藤樹をなぜ私に与えたのか。
今になってようやくわかる。
「うれしい」という気持ちを「帰れ」という厳しい言葉で表す母。
母の奥深い気持ちを察して、母の期待に応える子ども。
そんな母子像が、母の中にはあったのかもしれない。
が、現実はそうではなかった。
ストレートな言葉とストレートな感情しか理解できない私のようなタイプの子どもは
母のイメージに、さぞ、そぐわなかったことだろう。
