第55号  母 その3

母 その1 その2」について、他の会報では、いただいたことのない量のメールや掲示板への書き込みををいただきました。「母」とは、それほど、インパクトのあるものかと思い知りました。
『ごめんなさい、おかあさん、改心しました。尊敬してます。ありがとう。その1その2では、ああ言っちゃいましたが、ホントはおかあさんのことが好きでした。』
心の底からそう思えたらどんなに楽でしょう。そう思いたい自分と全くそんなこと思えない自分が入り乱れて、とにかく、後味の悪さばかりが残っています。それで、その後の心境を書きたくて「母 その後」を書かずには、いられないのです。
母は今年70歳になりますが、病気ひとつせず、元気に暮らしています。でも、いつ病に倒れるかわからない歳になってきたのは事実です。このまま、「お母さんなんか嫌い」なんて脳天気に言ってる自分がいかにも親不孝に見え、自責の念に押しつぶされそうにもなります。生きていてくれているうちに母のことが大好きになり、母に会いたいなんて心から思えるようになれたらいい・・・と思うのですが、どうにもそうは思えないのが苦しいのです。今、私は、母を許せないと思う怒りの感情はありません。ただ、言ってほしくなかった言葉がいくつかあったなぁとさびしく思う気持ちは消せません。


中学1年のとき、数学で「ねじれの位置」というのを教わった。
2本の直線があって、お互いに平行な平面に書かれている。
直線の向きは違っているのに、その2本の直線は絶対交わることがない。
先生は、両手の人差し指を出し、指同士がくっついていないバッテンを作ってみせた。
「これが、ねじれの位置だ。」

私は、人差し指と人差し指を出し、バッテンを作ってみた。
指と指が触れないように。
「これがねじれの位置だ。」

私は思った。
うちだ。これは、うちだ。うちの家族は、ねじれの位置にいる。
友達に私は言った。
「私の家族って、ねじれの位置よ。
みんないっつもしゃべっているの。
笑いながら、和気あいあいと仲良く楽しく。
でも、誰も人の話を聞いてないの。
みんな、別の話をしているの。
4人いれば、4通りの話をいっぺんにみんながガヤガヤしゃべっているの。
みんないろんな向きで話しているのに、絶対交わらないの。
話が平行な面上にあるからよ。」

母との会話は20年たった今もねじれの位置だ。
母に話は通じない。
Aと言ってもA’或いはBという答えは返ってこない。
Aと言ったら「いろは」とかいう答えが返ってきたりする。
一見、会話に見えるが、会話になってない。
自分の言いたいことだけ言っている。
人の話は全く聞いていない。

「いい人なのよ。」
姉は母をそう評価する。確かにそうだろう。私もそう思う。
よく働く。よく気を配る。よく人の面倒をみる。いい人だ。

そう。いい人なのよ。
孫がくると、おもちゃをいっぱい買ってくれて、母は言う。
「アッという間に壊れても、アッという間に飽きて捨ててしまっても、
もらった瞬間、ニコッとしてくれる顔を見られればいいんだ。」
母はいいんだろうけど、たいして欲しくもないおもちゃや、
すぐ飽きていらなくなるようなものを買って貰った孫の気持ちはどうだ。

孫が母親を求めて泣くと、「全くお母さんが一番いいんだってさ」と、
孫がすごく悪い子でもあるかのような言いぐさをし、
「泣いて死んだ子はいないよ。」と言って泣いてる赤ん坊を抱き続け、
赤ん坊が泣き過ぎて鼻血を出したら、たちまち、慌てて放り出す。
なんとも自分の心に正直で素直でくったくないおばあちゃんだ。
確かにいい人に違いない。


でも、いい人なら、なにを言ってもいいのか。
娘を傷つけるつもりなんかなかったのだろう。
思ったままを思った瞬間に言ったに過ぎないのだろう。
そう。いい人だから悪気があったわけじゃない。
悪気がなければ、なにを言ってもいいのですか。

まるで幼児が病院でお医者さんのおなかを力まかせに足蹴りするかのように、
なんのためらいもなく、他人には絶対言えないようなひどい言葉を
なぜ、娘に対しては平気で言うのですか。
母親には、そんな権限があるのですか。

夫にそんなことされたら、たちまち、喧嘩だ。
「私はこれこれで痛く傷ついた。謝ってほしい。許せない。」
と、言うだろう。夫は夫で、私に何故そうしたか激論をぶつけてくるだろう。
しばらくは、むかついて、家出さえしたくなるけど、そのうち、頭が冷えてくると、
自分の非も認めることができるようになって
夫ばかりを責めていたことを反省してみたりすることができる。
同じ平面上で会話をしているからだ。

母とは、それができない。母に抵抗していた時期もある。
でも、「お前の指図は受けない」と言われたとき、もう、なにも言いたくなくなった。
なにも指図なんかしたわけじゃない。私の意見をちょっと言っただけなのに。
許せない母の言葉はみんな心の奥に閉じこめた。
母との会話は相変わらずねじれの位置だ。
私は自分の娘たちと同じ平面上で会話をしたい。
誰との会話でもだ。

私の子どももいつか、私のことを
「こんな最低な親みたことない」と思うときがくるかもしれない。
でも、そんな最低な親でさえ、許してくれて、
そんな欠点だらけの親を愛してくれたら幸せだ。
私も、もう、いい加減、母の欠点に文句をつけるのは止めて、
母を好きになった方がいいのかもしれない。



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