『花探』―はなさぐり―
廊下の先から、聞き慣れた足音が近付いて来る。
土方は、朝から文机に向けたままの視線を、閉じた障子の先に向けた。しかし、静かに進む足音は、ふいにピタリと立ち止まる。
全く動かぬその気配に、土方は、とうとう持っていた筆を放り投げてしまった。
「何をしてやがる・・・?」
忌々しげに呟いた時、柔らかな笑い声が土方の耳に届いた。どうやら、誰かと立ち話をしているようだ。それが誰であれ、面白いものでは、ない。
不機嫌に苛々と立ち上がり、障子の桟に手を掛けた時、足音が再び動き出した。今度こそ、真直ぐ此処へ向かっている。
土方は、小さく息を吐き、再び文机に向かう。これ程、己に堪え性が無かったものかと苦く笑った。
「沖田です」
「入れ」
障子に映る華奢な影に低く応え、土方は、ゆっくりと視線を上げた。
静かに開かれた障子から、遮断されていた冬の陽が入り込む。総司の姿を目に入れるより早く、甘やかな香りが土方の鼻孔をくすぐった。
視線の先の想い人は、その細い両の手一杯に、蕾をつけた花の枝を抱えていた。
総司は、無言で見つめる土方の横をさっさと通り過ぎると、部屋の中央で立ち止まる。その後から、土方に深々と頭を下げる隊士が一人。手には、大きな花瓶を抱えている。
「すみません、桜井さん。ここで良いです」
背後の隊士に笑いかけ、水の入った花瓶を畳の上に置いてもらう。柳腰から大刀を抜き取り、総司は花瓶の前に座り込んだ。
花瓶を置いた隊士は、土方と、二十歳(はたち)になったばかりの若い幹部に、再び深々と頭を下げ、部屋を辞す。どちらも隊服のままである。
「・・あれは、お前の隊の者だな」
障子の人影が消えていくのを見つめながら、土方は総司に声を掛けた。
「はい、桜井さんです。手伝って頂きました」
にこやかに応える総司は、花の枝を活けている。その所作は、無造作に入れているようにも、丁寧に形を作っているようにも見える。しかし、今日は巡察に出た筈。
「・・報告は?」
土方の低い声に、一瞬きょとんとした総司は、直ぐにっこりと微笑んだ。
「そうでした、すみません。いつも通り、特に問題はありませんでした」
「いつも通り?」
「はい」
「・・・では、それは何だ?」
土方は顎を上げ、部屋中に甘やかな香りを漂わせる枝を指す。
「これは、頂いたのです。花月屋さんに」
「・・かげつ?」
土方の知らぬ名である。
「はい。花に月と書いて。・・・私の馴染みの店です」
途端に剣呑な雰囲気を露にした端正な貌を、総司は面白そうに見上げる。総司の薄闇色の瞳に、みるみる悪戯気な色が浮かぶ。それに気付き、土方は更に憮然とする。
茶屋か、と問う前に、総司が笑い出した。
「四条にある、京菓子のお店(たな)ですよ」
「・・・菓子屋を馴染みとは言わねぇよ」
如何にも総司らしい応えに、土方も苦笑したが、心裡ではホッと息を吐く。それと同時に己に呆れた、つまらぬ妬心(としん)にも程がある。
「巡察の帰りに、もし良ければ、と」
「お前・・・それを隊服のまま、持って帰ってきたのか?」
「はい」
まだ、花も綻(ほころ)ばぬ、膨らんだ蕾の先が、やや色付き始めた白梅の枝。
新撰組、一番隊隊長ともあろう者が、花を抱えて往来を歩くとは。呆れ顔の土方を気にするでもなく、総司は続ける。
「花月屋の御主人は、元々江戸育ちだそうで、だから新撰組贔屓なのですよ」
「・・江戸育ちが京菓子屋か?」
皮肉気な土方に、総司は笑った。
「お店では、江戸風の饅頭も商(あきな)っていて、中々の味ですよ」
「お前は、素性が知れる程、菓子屋に通っているのか?」
土方の問いに、薄闇色の瞳が決まり悪げに、端正な貌を見上げる。
「非番の日に、たまたま巡察帰りの斎藤さんとお店の前で会って・・それで、私が新撰組の人間と知れたのです」
「非番にねぇ・・・」
土方は、じっと総司を見つめる。
いくら見知った貌があっても、たかが梅の花を渡す為だけに、浅葱の集団を往来で呼び止めるとは、その菓子屋の度胸も見上げたものだ。しかし、この邪気無い嘘つきを、何処まで信じて良いものか。薄闇色の瞳には、まだ悪戯気な色が見え隠れしている。
「近藤先生は、気に入って下さいましたよ?」
「近藤さんに菓子を差し入れるな。局長の体面ってものがあるだろうが」
「お好きなのだから、いいじゃないですか」
くすりと笑う総司に、土方は渋面を作る。
これは、かなり通い慣れていると見て間違いなかろう。
「・・で、その花月屋が、何故、梅の花を寄越すのだ?」
「お裾分けです」
「何?」
土方は、眉根を寄せた。どうも、この想い人は、時々土方が判じかねる事を言う。
「昨夜、ひどい雷があったでしょう?嵯峨野にある花月屋さんの寮の近くでは、大きな雹(ひょう)が降ったそうですよ。寮の梅林がそれに当たって、かなりの枝が折れてしまったそうです」
土方は、他の処が気に掛かった。
「花月屋とは、寮を持つ程の大店なのか?」
方向を転ずる問い掛けに、総司は端正な貌を見上げる。
「茶会などを開く為と、聞きましたが?」
「・・他にも商いを広げていそうだな」
総司は、声を立てて笑い出した。
「土方さんは、何でも気になるのですね」
土方は、仏頂面になる。
そうで無ければ、新撰組の副長など勤まらぬ。京に上って一年足らず、今は、何より情報が欲しい。
しかし、そうは言っても、菓子屋の店(たな)では埒も無い。此処はひとつ、総司の縄張り・・いや、遊び場と任せておくか。却って意外な情報が入るかも知れぬ。そこまで思考を巡らせた土方の、心の底を見透かすような総司の応え。
「何か気になる事があれば、情報は入りますよ?」
花の顔(かんばせ)は、薄闇色の瞳を薄く引いて微笑む。
相変わらずの察しの良さに、土方も、ゆっくりと目を細めた。
「お前に、監察の真似事なんざ出来ねぇよ」
総司は笑い出した。
「そんな事はしません。花月屋さんでお茶を頂く位ですよ」
「だから・・菓子屋に入り浸るな」
土方は、貌を顰めた。
「夜中の雷か。・・・あの時、雹も降ったのか?」
漸く、話の筋を戻した土方に、総司は頷いた。
「はい。雹が降ったのは、嵯峨野辺りだけだったようです。でも、雷は壬生(ここ)でも凄かったですよね」
屈託なく笑う想い人を横目で見ながら、土方はボソリと呟く。
「お前は、雷を恐がらないから、つまらん」
途端に総司の手が止まり、身が強張るのが見て取れた。
土方は、文机に向けていた体の向きを転じた。見事な速さで、貌から耳、項(うなじ)までを真っ赤に染め、自分を睨む想い人を、面白そうに眺める。
「それとも、雷どころじゃあ無かったのか?」
「土方さんっ」
昨晩の、熱の余韻を思い出したのか、総司の顔色は戻らない。綺麗に染まった貌を堪能し、土方は腕を伸ばす。
「総司、おいで」
しかし、伸ばされた腕より早く、細い躰は俊敏に身を引いた。
「駄目です、花を活けないと。・・それに、まだ日のある内から・・・」
怒ったように小さく応える姿が、土方の目には、何とも艶(あで)やかに映る。
「ならば、夜ならいいのか?」
つい、出てしまう意地の悪い問いに、朱に染まった貌のまま、薄闇色の瞳が怒っている。
「知りませんっ」
むくれたように、土方から目を逸らし、枝を花瓶に挿し続ける。それを苦笑混じりに見つめながら、土方も文机に体を戻した。
「もう、梅の季節か」
静かな声に、総司は貌を上げた。横を向いた端正な貌は、もう仕事に集中している。その姿に、総司は薄闇色の瞳をやさしく細める。
「洛中では、もう綻(ほころ)んでいる所もありますよ。嵯峨野は少し寒いから、頂いたこれは蕾ばかりですが」
「蕾だけでも、匂うものだな」
「ええ。長く楽しめそうですね」
嬉しそうな総司の様子に、ふと土方が振り向いた。
「明日は非番だな?」
「はい」
「ならば出掛けよう。たまには良い」
「どちらへ?」
「花見だ」
「花見?」
総司の不思議そうな貌に、土方は口元を引いて頷いた。
「梅の花を、な。・・香りを頼りに探す」
「へえ・・・面白いですね。土方さんは、梅の花が一等お好きですものね」
興味深げな総司の様子に、土方は再び興が起こる。
「朝の内に出掛けるぞ。・・・今夜は手加減してやる」
「・・・っ」
一瞬、呼吸を詰めた想い人は、薄闇色の瞳を倍にも見開いた。動揺を隠せぬ、震える細い手は、とうとう白梅の一枝を取り落とす。
そんな過剰な反応が、土方を楽しませる。見つめたままでは、更に怒るだろう想い人の為、土方は慌てて書類に目を戻した。
背に、射るような視線を感じながら、土方は漸(ようよ)う、笑いを堪えている。恐らく、赤い貌で睨んでいるだろう想い人が、その背に小さく溜息を吐いた。
「ところで土方さん。副長室は、白梅で良かったですか?」
何とも妙な物言いに、土方が文机からの視線を上げた。
「何?」
「もし、紅梅の方がお好きでしたら、取替えますよ」
「・・どういう意味だ?」
「え?」
土方の疑問がわからずに、総司は、不思議そうに端正な貌を見上げた。
「・・紅梅もあるのか?」
苦笑混じりに言葉を補われ、コクリと頷く。
「ありますよ。紅梅と白梅、両方頂きましたから」
「お前・・・」
言葉に詰まった。ここへ来た時、総司はその両の手に、持ち切れぬ程の白梅の枝を抱えていた。何とも嫌な予感が、土方の背を冷たく走る。
「まさか、とは思うが。花を抱えて戻ったのは、お前だけじゃねぇのか?」
「はい。沢山頂きましたから、皆で持って帰りましたよ」
あっさりと応え、総司は挿し終えた白梅の様子を眺めている。
「皆・・・」
「はい。一番隊の皆で」
重い花瓶を、床の間に上げながら、総司はにこやかに笑う。
いくら巡察帰りとはいえ、新撰組の精鋭である一番隊が・・・。土方は低く唸った。
俄かに増した眉間の皺に、総司は小首を傾げる。
「どうしたのですか?土方さん?」
「・・・・」
眉間の皺を更に増やし、新撰組の鬼の副長は、この無垢な想い人を一体どう叱ろうかと、暫し思考を巡らせる。
土方が、恐れる以上に、屯所は梅の花で溢れ返っていた。
幹部の部屋は云うに及ばす、大部屋、玄関、果ては台所に至るまで、花器を始め、手桶に盥(たらい)まで総動員で飾られた花々。
一番隊の連中が、一人残らず、両の手一杯に花を抱えて歩く姿が、誰の想像にも難(かた)くない。
屯所の、そこかしこから梅の奥ゆかしい香りが漂っている。
(花見になんぞ、行く必要も無ぇ)
総司を叱る算段を思いあぐね、渋面のまま局長室を訪ねたが、近藤は呑気に、総司が活けてくれたと喜んでいる。土方はガックリした。
(全く・・・)
心裡で舌打ちする。総司の邪気無い行動を諌めるのは、「宗次郎」の昔から、土方の仕事のようなものである。しかし・・・と、八つ当たりは一番隊の隊士にも及ぶ。
(連中、誰も、何も言わなかったのか?)
隊長でありながら、一番若年の総司を、剣の腕と人柄とで、隊士達が慕っているのは知っている。それにしても・・・。一番隊の面体を、それぞれ思い起こし、土方の眉間の皺は更に増える。
(花を抱えて似合う奴なんぞ、総司の他には居ねぇじゃねぇか)
心裡の悪態は止まらない。
(誰か、止めろってんだ)
吐いた溜息は、海より深い。
深更、訪(おとな)った総司の部屋にも、やはり梅は活けてあった。
灯りを落とした中、よくは見えぬが、紅梅、白梅と両方あるようだ。
土方は、もう幾度目かもわからぬ溜息を吐く。
夜着の上から抱き締めると、その華奢な躰からも、甘やかな梅の香り。
深いくちづけの後、甘い吐息を洩らした想い人の耳朶に、土方は低く囁く。
「花の匂いがする」
「・・・移ったのかな?」
闇の中、夜目にもわかる白い肌の主は、薄闇色の瞳を細め、無邪気に微笑んだ。その目元にくちづけると、柔らかな黒髪からも花の香り。土方は嘆息した。
「・・・酔いそうだな」
「花の香りに・・?」
見上げる薄闇色の瞳が、潤んでいる。
土方は、形の良い唇を啄ばみ、白い首筋を甘噛みした。途端に震える躰を抱き止め、夜着の襟元に掌を差し込む。その胸元からも仄かに花の香り。土方は低く笑った・・もう、笑うしか無い。
「これ程、躰に染み込んでは・・・香りを頼りの探梅(たんばい)なぞ行く必要もない」
「明日には消えますよ?」
「どうだかな。屯所中、花だらけだ」
「でも・・・」
「でも、何だ?」
「出掛けないと。・・・作れませんよ?」
闇の中、総司がくすりと笑う。薄闇色の瞳に浮かんだろう、悪戯気な色など見ずとも知れる。端正な貌が、やや顰められた。
「豊玉宗匠は、御苦吟されないのですか?」
「少し、黙れ」
不機嫌な声音に、柔らかな笑い声が混ざり合う。それを封じる為に唇が重ねられた。
土方の大きな掌が白い胸元を撫で上げる。その、やさしい感触に、総司は目を閉じ、土方の首に細い腕をまわした。胸の彩りに辿り付いた指先に、痺れるような熱を与えられ、甘く小さな吐息を洩らす。
閨(ねや)の中、途端に静かになる想い人に、土方は、やっと妙案を思いついた。
やさしく動く手指に翻弄され、躰の何処もかもが蕩(とろ)けるようになってゆく。総司は、零れ出しそうな声を押し殺す為、必死に土方の胸元へ貌を埋める。
その仕草に目を細めながら、土方は夜着の裾を割り、細い両腿に右の掌を這わせる。左の掌は、もう何の役目も果たしていない帯を解き、そのまま全てを剥ぎ取ってゆく。露になった細腰に触れられ、総司は咄嗟に逃れようとする。しかし、強い力に難なく押さえ込まれ、奥へ指を差し入れられた。華奢な躰はビクリと強張る。
指を奥深く抜き差しして、そこが熱く、蕩けるようになるのを確認してから、土方はゆっくりと腰を割り入れる。灼けつくような痛みに、華奢な躰は仰け反った。息を詰め、強張る躰を宥めるように、大きな掌がやさしく細い躰を撫でる。
「・・力を抜け、総司」
「・・・っ」
「力を抜かないと、辛いぞ?」
土方の背に、痛みを堪える細指が震えながら縋りつく、それでも尚、耐えきれずに爪を立てる。必死に声を殺す想い人の、そのいじらしい様が、土方には愛しくも有り、不満でもある。その声が聞きたくて、更に深く抉り込む。想い人の喉の奥から短い悲鳴が洩れ、薄闇色の瞳から涙が零れ落ちた。
「総司・・・」
宥めるように、低く掛かる声が、総司の耳朶にやさしく染みる。
嵐のような衝撃が過ぎ、漸く少しずつ力が抜け、僅かに甘やかな吐息が洩れ始めた想い人に、土方は、緩やかな熱を深く与え続け、ゆっくりと、だが確実に、想い人を際(きわ)まで追い詰める。薄闇色の瞳が恍惚に揺れ、今にも崩れ落ちそうに潤んできた。
「・・っ・土方・・さん」
限界を告げるような甘く細い声、懇願するように薄く開かれた薄闇色の瞳を見据え、ふいに土方が動きを止める。広い背にまわされていた細腕が僅かに震えた。
「仮にも二本差の者が、往来を、花を抱えて歩くなぞ論外だ」
「・・・え?」
低く静かに降る声に、総司は濡れた瞳を見開いた。良く通る低い声が、痺れる頭の芯にゆっくりと届く。
言葉の意味を判じようと、薄闇色の瞳は端正な貌を見上げる。暗闇の中、静かに見下ろす双眸は、驚く程にやさしい色を湛えていた。しかし、そのやさしさとは裏腹に、背にまわされていた大きな掌が、ゆっくりと総司の躰を離れてゆく。
その、熱の離れる感覚に、薄闇色の瞳が困惑に染まる。土方は口元を薄く引いた。
「ましてや、隊服のままなど言語道断」
「・・土方さん・・・?」
土方は、更に身を引く。総司の、身の内深くに入り込んでいた熱が、一気に引き抜かれた。薄闇色の瞳は、驚きに大きく見開かれる。
熱がどんどん奪われてゆく感覚に、華奢な躰は、脅えるように小さく震える。必死の思いで腕を伸ばすが、触れるより先に、土方はゆっくりと身を引く。白い腕は、虚しく闇を泳いだ。
「土方さん・・・」
「お前は、一番隊の責任者なのだぞ?」
「・・・土方さ・・ん」
声が掠れる。再び、縋るように伸ばした手を今度は、大きな掌が受け止めた。指先を絡め取り、土方は、それにゆっくりとくちづける。しかし、それ以上は何処にも触れぬ。絡めた指が残酷な程、静かに引き離された。
「土方さん・・・」
「・・・どうした?」
総司はもう、涙声だ。
土方の声は、驚く程にやさしい。見下ろす瞳も、更にやさしい色を湛えている。しかし、重なっていた躰はどんどん離れ、もう触れている所は何処も無い。
「・・・ど・・うして・・」
「どうして?・・・訊ねているのは俺だぞ?」
端正な貌のやさしい眼差し、やさしい声音。それに反して離れる熱。
薄闇色の瞳から涙が零れた。震える両の掌で、総司は土方の頬に触れる。土方は、触れられるままに今度は全く動かない。
身の内に籠る、灼かれるような熱い感覚が・・苦しく、痛い。
「土方さ・・ん・・」
総司は続く言葉を、音に出せない。その唇を、肌を、熱を、抱擁をねだりたいのに、恥じる心がその声を封じ込める。
この身の熱を鎮めて欲しい。・・・たった一言が声に出せず、とうとう、薄闇色の瞳が、溢れ出る涙と共に固く閉じられた。
――その瞬間、愛しい男がほくそえむのを、その瞳は映さなかった。
「・・・俺の言う事が、わかったか?」
土方は、総司の耳朶にゆっくりと言葉を刻み込む。
声の代わりに、総司は、土方の胸に手を這わせ、その首に細い腕をまわした。そのまま強くしがみ付き、土方の唇に、震える自分のそれを重ねる。切なげな色を浮かべる薄闇色の瞳から、幾筋もの涙が零れ、土方の頬を静かに濡らす。
・・・そして、ほんの一瞬の事だった。
土方の頬に触れていた、想い人のそれが、揺れるように、震えるように微かに頷いたのは。
想い人の、精一杯の稚(いとけな)い仕草に、土方は、込み上げる愛おしさを押えきれない。意地もこれまでだった。
「いい子だ・・」
唇で涙を吸い、想い人に再び、自分の熱を強く、深く与える。
この華奢な躰から、この愛しい者から離れるのは、土方の方が余程に辛い。
果てを告げる細い声が、花の香りよりも甘やかに、土方の耳朶に切なく届いた。
「花など探しに行かずとも・・・」
意識を手放し、土方の胸に重みを預ける華奢な躰を、そっと抱え直す。
頬に残る涙を唇で吸い、眠り続ける想い人に、土方は、愛しげにくちづけを降らせる。この想い人は、常に自分を甘く酔わせる。
「疾うに手に入れた・・な」
大切な、大切な、自分だけの花。
後日談。
斎藤一率いる三番隊の面々が、巡察帰り、浅葱の隊服を待ち構えていた、花月屋主人に捕まった。
池田屋事件の後(のち)、体調を崩した沖田様への見舞いにと、恰幅の良い老爺は、にこやかに、しかし、有無を言わせぬ迫力で、大量の品々を手渡した。
浅葱の厳つい男達が、揃って大きな風呂敷包みを下げ、往来を並んで歩く姿が、四条から壬生までの数多(あまた)の人に目撃されている。
――さて、鬼の副長の、知る所で有ったか、無かったか。
了
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