『片恋』―かたこい―

 

 

土方は、久しぶりに試衛館へ戻った。

小野路村の橋本家へ、縁戚宜しく長滞在を決め込んでいたのだが、そこで、出稽古に訪れた近藤にバッタリと会ってしまった。

道場への長い不在を責めるでもなく、心から再会を喜ぶ親友に、今は、理由(わけ)有りの後ろめたさを覚えるばかり。

その上、近頃の世情の悪さを持ち出され、留守中の道場が心配と、切々と訴えられれば、流石に戻らぬ訳にも行かなかった。

竹馬の友に、試衛館には居たくない、とは、駄々のようでとても言えぬ。

 

 

土方は、憂鬱な思いに身を任せ、道程(みちのり)に、かなりの刻を掛けてみた。

しかし、生来の早足も災いし、無駄な努力を嘲るように、嫌でも夕刻には帰り着く。

暮れの陽に、試衛館の門柱が照らされ、らしくもなく煌めいて見える。

土方は、溜息混じりに門柱に凭れ、暫し玄関口を睨みつける。尚も往生際悪く、裏に廻ると、井戸端で念入りに遠出の汚れを落とし始めた。しかし、外での用など流石に少ない。

諦めの、深い溜息を吐くと、覚悟を決め、勝手口から台所を覗き込む。

 

しかし、夕餉支度の刻限なのに、そこに在る筈の人影は無かった。その上、明らかに支度の途中を投げ出した痕跡を見て、やや不審に感じたが、待っても誰も現れぬ。

安堵半分、心配半分で表に戻り、草履を脱いだ所で、誰よりも会いたくない者が、土方の背に、明るい声を掛けた。

「おかえりなさい。土方さん」

「・・宗次郎」

しかし、憂鬱な物思いなど、視界に入った白色に、一気に飛ばされた。

笑顔の宗次郎は、右手に厚く晒しを巻いている。手首まで巻かれた痛々しいそれに、何事かと問えば、包丁で切ったと、さらりと応えが戻って来た。しかし、右手である。

 

「一体、何故そんな事になった?」

「さあ・・・」

土方の渋い声に、宗次郎は困り貌になる。

細い手に、不器用に巻かれた真っ白な晒し。その色が、やけに土方の目に染みる。

景色が金色に変わる中、土方は、右手を睨んだまま動かない。宗次郎は、あいまいな笑顔を見せているが、無言のままの土方を、困ったように見上げている。

背の高い土方に、まだまだ届かぬ少年は、視線を合わせようと、大きく背を反らせている。薄闇色の瞳が、真直ぐに自分を見上げ、華奢な躰が、しなるように揺れる様を、土方は、なるべく直視せぬようにする。

 

「・・・見せてみろ」

「嫌です。やっと血が止まったのに」

「大体・・何故、右手を切る?」

「知りませんよ」

素早く右手を背に隠し、頬を膨らませる宗次郎は、十五になったとはいえ、まだまだ稚気が勝っている。常ならば、微笑ましいそれも、土方を呆れさせるばかりである。

 

 

試衛館に、戻りたくない理由。

それは、宗次郎と貌を合わせたくない為だった。

今は、何を置いても、自分の視界より遠ざけねばならぬ。騒ぐ心に、知らぬふりを決め込んでいたが、それも疾うに限界を超えていた。

いつとはわからぬ、この想いに、土方は愕然とした。

そして、それは忘れようにも、止(とど)めようにも、既に手遅れだった。

 

幼い頃から、ごく近くに居た少年の、あまりの危うさ無邪気さに、始終世話を焼いていた土方の、それは確かに兄のような気持ちであった。

一体いつ、何の切欠で、想いの種類が変わったのか。それすら、当人にはわからなかった。

気取られてはならぬ恋情に、最早、傍に居る事は出来なかった。それから、なるべく距離を置くが、今度はそれが辛苦となる。

 

少年の姿は、見つめているのも苦しい程に、土方の心の全てを占める。

それを振り切る為、夜毎、色街へ通っても、敵娼(あいかた)に、ほんの髪の一筋でも、ほんの僅かな仕草でも、想い人の俤(おもかげ)を求めている事に気付いた時、もう、一つも身動きが取れなかった。

 

よりにもよって、親友の近藤と、師である周助が、手元に置き、誰より慈しみ愛おしむ、大事な大事な愛弟子である。

――この想いは、誰に言えよう筈もない。

なのに、試衛館に戻れば、途端に身も心も想い人を探し始める。土方の裡で、常に争う心と理性。その、稚気とも言える鬩(せめ)ぎ合いに、もう、己を罵倒する気力も起こらなかった。

その姿を見る前に、心をきつく引き締める。普段と変わらぬ態度で、変わらぬ応えを返せるよう、暴れる心に、固く箍(たが)を締め上げる。

 

 

「夕刻のせいか、出血がひどくて驚いたんだよ」

焼酎を小脇に抱え、晒しの残りを巻き取りながら、井上が人の良い笑顔を見せる。

「見せてみろ」

厳しくなった土方の声に、井上と宗次郎は、驚いて土方を見上げた。

「土方さん?・・・血は止まったし、もう大丈夫です」

「いいから見せろっ」

端整な貌に睨まれて、二人は困ったように目を合わせる。

「見るのは良いが、歳さん。そんなに心配は要らないよ」

にこやかに応えた井上は、夕餉支度に腰を上げる。それに、宗次郎は明るく声を掛けた。

「源さん。すぐ行きますから」

「いいよ。その手じゃ無理だ」

「でも・・・」

「構わないよ。直に夕餉だ。早く診てもらうといい」

笑顔で促がすと、井上は廊下の先に消えていった。

 

土方は、宗次郎の細腕を掴むと、勢い良く廊下を進む。手を引かれる宗次郎は、自然小走りとなった。

土方の部屋へ入ると、引かれた力のまま、宗次郎は、行儀良く腰を下ろす。

「一体、どうしてこんな事になった?」

「どうしてって・・夕餉の支度をしていて・・・」

そこで、宗次郎は小首を傾げた。

自分でも、どうして切ったのか分っていないようだ。土方は、ガックリと項垂れる。

剣において、誰もが認める天稟を持つ者が、よりにもよって、包丁で利き手を切ったなど、呆れ果てて言葉も無い。

 

「大体・・・何故、右手を切る?」

繰り返された苦い問いに、宗次郎は笑い出した。

「ああ、そうでした。手がね、滑ったのです」

「滑った?」

眉根を寄せた土方に、宗次郎は笑顔で頷く。

「芋剥きをしていて・・・つるっと」

「・・・で?何故、包丁を持つ手を切る?」

「だから、つるっと滑って・・・その滑った里芋を取ろうとして・・・」

そこで、再び小首を傾げる。花の顔(かんばせ)が眉根を寄せ、真剣に状況を思い出そうとしている。見れば手が、包丁を握る仕草をしていた。そんな、あどけない姿までも、切ない胸を騒がせる。

 

「ああ、そうだ。滑った里芋を押えようとして、つい」

「つい?」

見上げる薄闇色の瞳が、悪戯気に輝いた。

「包丁を持ったまま、里芋を押えようとして」

「・・・で?」

「握り締めたのです」

「・・・包丁ごと、か?」

「はい」

「・・・・」

土方の目に、晒しの白が揺れた。

 

「お陰で、里芋が一つ駄目になってしまいました」

「・・・ばか・・」

「すみません。でも、里芋も血まみれで・・・」

「芋の事じゃねえっ」

怒鳴り出した土方を、宗次郎はきょとんと見上げた。薄闇色の瞳に、苦りきった自分の姿が取り込まれ、二つに分かれて見つめ返している。

土方は、それを睨んだまま、身の内が震えるのを押えられない。

――どうして、いつもこうなのか。

手に触れただけで、貌を見ただけで、狂い出しそうな想いを必死に堪えているのに、その身を簡単に傷付け、尚も全く頓着無い。

土方は、肺腑から全ての息を吐き出した。

 

「見せろ」

「血は止まりましたよ?」

「いいからっ」

荒れ狂う心を押えながら、急くように右手の晒しを解いてゆく。厚く巻かれたそれを解き、油紙の下から見えた傷に、土方の双眸は、瞬時に厳しい光を湛えた。白い指の内側は、その全てに刃物の痕が深く残っている。

「・・・全ての指を、切っているじゃねぇか」

「そうですよ。里芋と一緒に握り締めましたからね」

「だからっ、芋の話はもうするなっ」

土方は、怒りながらも、傷の具合を丹念に調べる。指を開かせ、ゆっくりと動くそれを睨みつける。それから手を添え、指を伸ばさせると、宗次郎が僅かに貌を顰めた。

「痛むのか?」

「大丈夫です」

嫌と言う程に聞きなれた、判で押したような宗次郎の応え。土方は、とうとう怒りを爆発させた。

 

「宗次っ、痛むか痛まないかを応えろっ」

あまりの剣幕に、宗次郎は薄闇色の瞳を見開いた。土方は、驚いた貌を見て、漸(ようよ)う怒りを封じ込める。

「・・お前の利かん気は、今は要らん。大事な事だぞ?」

「少しだけ・・・引き攣れた感じがします」

ぎこちなく応える宗次郎に、土方は、何とか優しい声を絞り出す。

「いい子だ。・・大丈夫かどうかは、今は俺が決める」

「はい」

傷痕を、再び丹念に調べると、土方は、奥の行李を引っ張り出した。

宗次郎は、広い背中越しに、行李の中身を覗き込む。中には、様々な薬種、薬包が並んでいた。

 

「土方さんの、商売道具ですね」

好奇の色を隠さぬ少年を横目に、土方は、目当ての物を探し出す。

「元、商売道具だ」

宗次郎は、笑った。

「そうでした。すみません」

「手を寄越せ」

土方は、応えも待たずに手首を掴み、乱暴に膝の上に乗せた。手際良く膏薬を塗り込むと、それぞれの指に、丁寧に油紙を巻いていく。更に、晒しを細かく裂き、これも指に巻きつける。

「・・・器用ですね」

「源さんが、不器用なだけだ」

乱暴な応えに、柔らかな笑い声が降り掛かる。

 

「縫合の必要はないが、そこそこ深い。・・暫く痛むぞ」

「はい」

宗次郎は、作業に没頭する土方を見つめた。

「土方さん・・・今迄、何処に居たのですか?」

「橋本の家だ」

宗次郎は、くすりと笑う。

「若先生に、戻るように言われたのですか?」

「五月蝿え」

貌を上げぬ耳元に、宗次郎の声が近い。

 

「ずっと戻らないから、若先生が寂しそうでしたよ?」

お前は?と、心裡が騒ぎ出す。その稚気に、土方は己を叱咤する。

「・・・近藤さんを幾つだと思ってる?二十五だぞ?」

「寂しい気持ちに、歳は関係ないでしょう?」

「坊やとは違うよ」

宗次郎が、頬を膨らませる気配がした。

「土方さん、この所ずっと出掛けているでしょう?何処かに好きな人が出来て、居続けしているんじゃないかって大先生が言っていましたよ?」

「・・大先生じゃあるまいに、そんなんじゃねぇよ」

「大先生は、土方さん程には、白粉の匂いに近付きませんよ」

土方は、貌を上げた。間近に、薄闇色の瞳がある。

「・・お前・・・」

「何ですか?」

目の前に端座する花の顔(かんばせ)は、逸らす事無く端整な貌を見上げる。しかし、ほんの一瞬、ほんの僅か、声音に険(けん)は無かったろうか?

――今度こそ、土方は自分に呆れ返る。心裡は、更に暴れて始末に負えぬ。

 

「・・・どうやら、筋は痛めていないようだな」

無理に話を引き戻し、安堵を見せた土方を暫し見つめ、宗次郎は、すぐに屈託無い笑顔を見せる。

「ありがとうございます」

「傷が塞がるまでは、稽古も水仕事も駄目だぞ」

「それは・・・」

厳しい双眸に、宗次郎は開き掛けた口を噤んだ。

「わかったな?・・源さんと近藤さんには俺が話す」

「・・・でも」

「でも、何だ?」

「その間、土方さんが試衛館に居てくれるのなら」

悪戯気な笑みを浮べた宗次郎に、土方も苦笑した。この少年が、声音に険など含めよう筈も無い。

 

「・・・台所は、やらねぇからな」

「わかっています」

「それから、風呂も諦めろよ?」

「え?」

「駄目だ。俺がいいと言うまでは、な」

「・・はい」

土方は、溜息を吐く。

「剣が使えなくなったらどうするつもりだ。大事にしろ」

「はい」

大きな手が、乱暴に少年の頭を撫でる。手に触れる柔らかな感触に、土方は、再び小さな溜息を吐いた。

 

 

「歳さんが、戻ってくれて良かったよ」

固く絞った手拭を渡しながら、井上は宗次郎に笑い掛ける。

「あの人は、何でも器用だからな。お前も、箸が持てて良かった」

「はい」

井上の手を借り、宗次郎は風呂場で躰を拭いている。

「源さん。・・土方さんは?」

「今さっき出掛けたよ。折角戻って来たと言うのに、あの人も落ち着かないな」

苦笑する井上に、宗次郎は押し黙った。

「それにしても、歳さんがお前の世話を焼かないとは珍しいな」

「・・何ですか?それは」

「歳さんは、お前の世話を焼くのが常じゃないか」

井上は笑った。

 

「また・・」

小さな呟きは、湯を汲む井上には届かなかった。

(また、色街に出掛けたのだろうか?)

何故だか、声に出すのは嫌だった。憂い顔の宗次郎に、井上は笑顔で言った。

「稽古が出来ないのは辛かろうが、たまには休養もいいさ」

「はい?」

「・・傷が塞がるまでには、時間が掛かると、考えていたんじゃないのかい?」

笑顔の井上に、宗次郎はぎこちなく頷いた。

 

 

床についても、宗次郎は寝付けなかった。

障子を通し、淡く射し込む月明りに、ぼんやりと視線を向ける。傷は、疼くように心の臓と同じ音を刻んでいた。

「久しぶりに会えたのに・・・」

小さく溜息を吐く。目を瞑ると、微かに廊下の軋む音が聞こえた。その内、目の前の障子が静かに開き、さあっと、月光が部屋に入り込む。土方だった。湯を使ったのか、濡れ髪が艶やかに輝いている。

 

「・・・そんなに目を開いていると、零れ落ちるぞ?」

揶揄(からか)い声が、ゆっくりと近付くと、無言で見つめる宗次郎の傍に腰を下ろす。

そのまま大きな掌が、宗次郎の額に触れ、返す手の甲は、頬で止まる。

宗次郎は、くすりと笑った。

「土方さんの、癖ですね」

「・・お前が、熱ばかり出すからだ」

「子供の時の、話でしょう?」

抗議の声に、土方は片頬で笑った。

「まさかとは思うが、今が、子供じゃないと言うつもりか?」

「もう、十五です。子供じゃありません」

土方は、声なく笑う。

 

「傷は、どうだ?」

「・・少し、痛みます」

「どうした?やけに、素直じゃねぇか」

宗次郎は、別を問うた。

「・・・出掛けなかったのですか?」

「近藤さんの留守に、勝手も出来ねぇだろ?」

宗次郎は、ニコリと笑う。

「何だ?」

「いえ・・土方さんから、そんな言葉を聞こうとは思いませんでしたので」

「言いやがる」

「何処へ、行っていたのですか?」

「・・・ちょっとな」

言葉を濁す土方を、宗次郎は横臥したまま見つめた。見上げる端正な貌は、月影に隠れ、表情までは読み取れぬ。それを捉えようと、宗次郎は薄闇色の瞳をやや細く引いた。

 

土方は、宗次郎の姿が、月に淡く照らされる様を、黙って見つめている。

「・・・少しは、月が似合うようになってきたな」

「何ですか?それは」

土方は、笑んだ。

「大人になったと言ったのさ」

「・・・褒められているのでしょうか?」

「さあな」

陽の光が、何より似合った少年が、成長と共に、月の光にも負けぬ艶(あで)を見せ始めたと言ったら、この無垢な少年は、一体どんな貌をするのだろうか?

聞け、と、つまらぬ稚気が湧き上がる。騒ぎ立てる心裡を、土方は、力の限りに押さえ込む、それが切なく遣り切れぬ。

 

常と違い、途切れがちになる会話を、宗次郎の柔らかな声が繋いでゆく。

「暫くは、試衛館に居てくれますか?」

「お前の傷が塞がるまでは、見張ってやるさ」

宗次郎は、嬉しそうに笑った。

「治ったら、一番に稽古して下さいね」

「お前は、そればかりだな」

「だって、土方さん強いから」

「・・他に、褒める処は、無ぇのかよ?」

苦笑混じりの土方を見つめ、宗次郎が屈託無く笑う。

「土方さんの事は、大好きですよ。一緒に居て欲しいのに、近頃は出掛けてばかりだし」

土方は、黙った。その表情(かお)が見えぬ不安に、思わず手を伸ばした宗次郎が、僅かに貌を顰める。

 

「痛むのか・・・?」

心配そうな声音に、宗次郎は、首を振る。

「・・傷が熱いだけです。脈動が響いて、心の臓が、手にあるみたいな感じです」

「寄越せ」

土方は、細指を手繰るように引き寄せ、自分の頬に押し当てた。宗次郎の脈動が、熱と共に強く伝わる。それに知らぬふりを決め、土方は、そのまま指にくちづけた。自分の唇が、滑稽な程に、震えを伝える。

「・・・っ」

宗次郎が息をのみ、指先の鼓動が、跳ね上がるのを唇が感じた。

 

宗次郎は、土方から目を逸らせない。その行動を判じかね、胸の鼓動が、どんどん跳ね上がってゆく。その音が、痛い位に耳に響き、傷に伝わり、そして、土方の唇に届く。

瞳を見開いたまま、真っ赤な貌で、自分を見つめる宗次郎に、土方はゆっくりと口を開いた。その表情(かお)は、やはり見えぬ。

「お前の、好きは・・・」

「・・・土方さん?」

その時、突風が木立を騒がせ、月が隠れた。

雲に断たれた白光が、少年の表情(かお)にも翳りを落とす。

 

「・・もう、寝ろ」

細い手を布団に仕舞い込むと、乱暴に頭を撫で、土方は、逃げるように部屋を出て行った。解せぬまま、宗次郎は、ゆっくりと身を起こす。跳ね上がる右手の鼓動に、そっと左の手を重ねる。

「・・・土方さん・・・?」

(まよ)い子のような細い声は、届く事なく闇に流れた。

 

自分の部屋に滑り込むと、土方は、渾身の力で障子を押え付けた。桟の軋み音()が、そのまま己の悲鳴に聞こえる。

「宗次郎・・・」

掠れた声が、闇を這う。

「・・・お前の好きと、俺のは、違う」

くぐもるような苦しい声音は、闇の中、深く重く固まった。

 

 

本当は色街の、すぐ手前まで出掛けた土方だった。

他に、ぶつけねば、堪え切れぬ想い。それを晴らすつもりが、艶やかな灯を前に、足がその場に縫い止められた。

 

・・・代わりなど無いのだと、心が悲鳴を上げている。想い人への恋情は、何かで埋められるものではない。誤魔化されるものでは決してない。そんな真摯な心の叫びが、弱気の土方を打ちのめす。

 

「まだ、十五・・・」

嘗て経験した事のない、片恋の切なさに、常らしからぬ声音が零れた。

 

――この恋は、叶う事など決してない。




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