『天敵』
梅雨の、重く垂れ籠めた雲が、今にも泣き出しそうな様子を見せている。
「道場だと?俺は本道の医者だぜっ。骨接ぎなら、てめえの処でやりやがれっ」
込み合った診療所の奥から、腹に響く重低音が飛ぶ。怒声にも聞こえるそれも、患者達には慣れたものなのか、誰も、動揺する風でも無い。
玄関口の、井上源三郎は、首を竦めながらも、慌てて声を上げた。
「本道でいいのです。子供が高い熱を出したので、往診をお願いしたいのです」
「子供?」
奥から、のそりと男が貌を出した。頭を剃り上げた、若い医者だった。眉が濃く、目鼻立ちのはっきりとした大男である。
「昨夜から、熱が引かないのです」
医者は、眼光鋭く井上を見つめた。
「・・見ての通りだ。手が空いたら行く。場所はっ?」
「甲良屋敷の、試衛館道場です」
医者は、首を傾げた。
「坂の上の道場か?・・・あの芋道場に、子供なんて居たのかい?」
『芋道場』に、やや引っ掛かりを覚えたが、今は、それどころでは無い。
「九つの男の子です。早めにお願いします」
「おうっ」
診療所を背に、今一度振り向くが、医者は既に引っ込んでいる。患者は、あと十名は居るだろうか。老若男女と幅広い。
決して、優しげな面差しでは無かった。敢えて喩えるなら、熊そのものである。
背は、井上の知る誰よりも高く、体躯は、誰よりも大きかった。
名を道庵と、教えて呉れた水茶屋の女将は、腕は確かと太鼓判を押した。長崎で学問を修め、実家は何処かの藩の御殿医らしいと。掛かりも安価で、ある時払い、良い薬を惜しみなく使ってくれる。次々に教え込まれた情報を思い返し、井上は、深々と溜息を吐いた。
熊では、小さな少年の、医者嫌いに拍車が掛かりはしないだろうか。
ポツリと、井上の頬を雨粒が叩いた。
「・・・泣きたいのは、こっちの方だよ」
憂い顔で空を見上げ、踵を返すと、道場までの道を駈け出した。
一刻後、医師道庵は、試衛館道場を訪ねた。
玄関横で、番傘を振っていると、背に、凄まじい足音が響く。
駈け込んで来た若い男は、草履を履くのももどかしい勢いである。両の手に、何かをしっかりと抱えている。道庵は、目前に飛び出した。
「おいっ。往診に来たぞ、戻れっ」
腹に響く重低音と、のっそり現れた巨漢に、若い男は、一瞬身構える。
長身の、驚く程に際立った貌の若者だった。若者は、切れ長の目で、医者を睨み付けた。
「遅えんだよっ、このヤブッ。早くしやがれっ」
口は、悪い。
道庵は、若者の手元を見つめた。羽織に包(くる)まれ、しっかりと抱き締められた小さな子供は、まるで人形と、見紛う程に綺麗な造作をしている。
聞いたより、やや幼く見えるその貌は、容態の悪さが容易に知れた。
若者は、振り向きもせずに、廊下を駈け戻ってゆく。道庵は、慌ててその背を追った。
まだ二十歳(はたち)前だろうか。総髪で、武士髷ではないが、袴を付けている。容貌は、道庵の知る美男の群を抜いていた。腰を沈めて走る様は、相当な手練にも見える。
「・・・武士なんだか、役者なんだか、わかんねぇな」
道庵は、苦笑した。
部屋に入り、小さな躰を布団に横たえると、土方は、後に続いた大男を睨み付けた。
枕辺に座す医者は、目の前の患者に意識を向けている。
まだ三十歳(さんじゅう)前だろうか、若いが、つるりと剃った坊主頭は、剃り跡にも年季が見える。屈強とも言える躰付きは、近藤よりひと回りは大きいだろう。背は、自分よりも高かった。腹に響くような低い声。医者と言うより、まるで熊である。
廊下から、急くような足音が響き、青ざめた近藤が貌を出した。
「先生、如何でしょうか?」
しかし、応えは戻らぬ。小さな躰に触れ、脈を取っただけで、みるみる医者の背が張り詰めてゆく。
振り向き様、道庵は怒鳴った。
「馬鹿野郎っ、何故もっと早くに呼ばなかったっ」
小さな躰が、ビクリと震えた。
あまりにも理不尽な恫喝に、近藤は色を失い、土方は怒髪天となった。
「ふざけるなっ、呼んで一刻も待たせたのは、てめえの方じゃねえかっ」
道庵は、土方を睨み返す。
「昨夜の内に、何故呼ばなかったと聞いているっ。馬鹿野郎共がっ」
「何っ?」
「二人共、止せっ」
近藤の声も、掴みかかる勢いの、二人の耳には届かない。
「こんなになるまで、何もしねぇとはっ。呆れてものも言えねぇっ」
「何もしねぇ訳がねぇだろうがっ。馬鹿かっ、てめえはっ」
「歳っ」
「この状態じゃあ、何もしてねぇのと同じだっ」
「何だとっ」
腰を浮かせた土方を睨み付け、道庵は全く動じない。小憎らしい程の落ち着きぶりに、土方の怒りは膨れ上がった。
昨日の夕刻には、既に熱のあった宗次郎だが、季節の変わり目に、律儀に体調を崩す事は、共暮らしの半年で、試衛館の住人の知る処となった。
常ならば、土方の商う家伝薬の他、幾つか扱う薬種で事足りていたのだが、今回ばかりは、それも全く効かなかった。
悪い事は重なるもので、道場主の周助は、日野へ出掛けたばかりだった。
留守を預かる三人は、元来、病とは縁が無い。明けて、医者を探し、道庵を訪ねるまで、焦れて過ごした三人だった。
医者の恫喝で、虚ろな瞳を開けた宗次郎は、止まらぬ怒鳴り合いに、とうとう、震えながら泣き出した。高熱の為、細まった喉が、苦しい呼吸を強いられる。
喉奥から、笛に似た乾いた音が鳴り、近藤が、慌てて小さな躰を抱き上げた。
「二人共、いい加減にしろっ」
震え、泣きじゃくる躰を抱きかかえ、押えた声音が怒気を含む。しかし、怒鳴り合う二人の耳には届かない。近藤が、再び口を開いた刹那――。
「いい加減にせんかっ」
背後からの一喝に、医者は、その声量に驚き、声の主を知る者達は、その人物に驚いた。
険しい貌で、部屋を睨んでいるのは、手盥を抱えた井上だった。
静まった部屋の中、苦しげな泣き声が、細く伝う。井上は、部屋の中を睨み付けた。
「病人を放って、一体何をしているっ」
日頃、春風の如く穏やかなだけに、とてつもない迫力である。
「道庵先生。あなたは、患者を診る為に、お出でになったのでしょう?」
「・・・はい」
「歳さん。心配はわかるが、今は宗次郎が先だっ」
「・・・」
気まずく黙った二人の目に、追い討ちを掛けるように、近藤の怒り貌が見えた。
震える躰を抱え込み、静かに背を撫でている。大粒の涙を零す宗次郎は、ますます息が細くなる。
「宗次郎・・・歳も先生も、お前の事を怒っているのではない。泣くな」
優しい声に、小さな手が震えながら、近藤の襟元を握り締めた。
「・・わか・・・せんせ・・・」
近藤は、宗次郎を優しく抱き締める。
「大丈夫だ、泣くな。熱が上がるぞ?」
「・・・すまん」
詫びの言葉は、道庵と土方、同時に洩れた。
再び小さな躰を横たえ、近藤の指が、頬の涙を拭った。汗で張り付いた前髪を、優しい指が、そっと掻き上げる。
道庵は、小さな躰に触れる前に、今一度、深く頭を下げた。
「すまなかったな、驚かせて。今、診るからな」
熊が笑うと、人懐っこい笑顔になった。
震える躰に、道庵の手がゆっくりと触れる。大きな薄闇色の瞳に、涙が溜まっているのを見て、土方は、決まり悪げにそっぽを向いた。
襟をくつろげ、胸に耳を当てていた道庵が、ゆっくりと貌を上げた。
「・・・熱は、いつからだ?」
井上が、応える。
「昨日の夕刻には、かなり高くなっていました」
「飯は喰ったか?」
「いえ、昨夜からは何も・・・」
「昨日の昼餉も、かなり残していたな」
近藤の呟きに、井上は愁眉を寄せた。
「元々、食の細い子なのです。具合が悪いと、何も食べられなくなる」
道庵は、井上を見上げた。
「薬は、飲ませたのか?」
応えたのは、仏頂面の土方だった。
「熱さましの薬湯を、昨夜から飲ませている。だが、明け頃に、熱が跳ね上がった」
道庵は、枕辺の薬湯を口に含んだ。
「・・まるっきり、検討外れな薬でもねぇな」
やや口元を引く。
「熱は、肺腑が炎症を起こしている為だ。この子は、少し肺腑が弱いようだな」
道庵は、薬箱から薬包を取り出した。
「こいつを煎じて、夕刻までに全部飲ませろ。湯飲みで二杯も作ればいい」
「はい」
井上が、押し頂くように受け取った。
「喰うのは、後だ。先ずそれを飲ませろ。汗をかいたら直ぐに着替えだ。それと・・・」
道庵は、三人を見据えた。
「いいか?よく覚えとけ。俺は、午(ひる)までは、てめえの足で歩いて来れる患者を診ている。外は全て往診だ。夜中だろうが構わねぇ、叩き起こせっ」
腹に響く、重低音である。
「此処の主は?」
「・・・養父(ちち)は、日野へ出掛けて居ります」
応えた近藤を見つめ、道庵が問う。
「あんたが息子か?・・母御は?」
「他出中です。それに・・・」
「あの人は、他人の子供を気に掛けるような人じゃねぇよ」
言い淀む言葉を引き継いだのは、仏頂面の土方だった。道庵は、腰を上げる。
「場所を変える。皆、来い」
別室で、ドッカリと腰を下ろした道庵は、三人を見比べた。
「・・誰も似ちゃいねぇが、お前等、兄弟って訳じゃねぇんだな?」
近藤が、頷く。
「皆、道場(ここ)の門人です」
道庵は、近藤を見つめた。
「あの子は、下働きかい?」
「いいえ、宗次郎も門弟です」
道庵は、暫し考え込む。
「・・あの子は、雪で拵(こしら)えた人形のように、脆い躰の作りをしている」
三人が、息を飲んだ。
「里へ帰せ。あの子は、剣術をやるような躰の作りをしていねぇ」
「馬鹿言うなっ。あいつには天稟があるっ」
喧嘩の相方が、気色ばんだ。
「お前、名は?」
「土方」
道庵は、視線を井上に転じた。
「・・井上、源三郎です」
「若先生に、土方。それと源三郎だな」
道庵は、大きく頭(かぶり)を振った。
「天ってのはな、選ぶ人間に大盤振る舞いはしねぇ。天稟を授かっても、脆い躰、これも間違いなく天からの授かりものだ。天稟は、無理に使うなとの戒めさ」
皆、押し黙った。宗次郎の躰の弱さ、それは、周りの者の危惧であった。
初めて見(まみ)えた医者に、たった一度の診察で言い渡されたそれが、三人に、完膚なきまでの衝撃を与える。
「・・宗次郎は、まだ九つです。憂慮だけで、先を摘むのは・・・どうかと思いますが」
遠慮がちな井上の声に、近藤、土方は兄弟子を見つめた。
「成長と共に、丈夫になるのでは?」
「・・・それは、何とも言えねぇな」
道庵は、表情を変えない。
「まあ、常に枕から頭が上がらねぇって訳でもねぇようだな」
「普段は、やんちゃな子なのですよ」
井上が、相好を崩すのを見て、道庵は笑った。
「ならば、兄貴分が気を付けてやれよ」
「はい」
複雑な表情のまま、三人が頷いた。
「そうだな・・・月に一度、必ず俺の処へ寄越せ」
「月に一度?」
近藤の声に、道庵は頷く。
「念の為に、だ」
「わかりました」
「必ず寄越せ。月末(つきずえ)でも、朔日(ついたち)でもいい。日を決めろ」
「じゃあ、中日(なかび)だ」
「歳っ」
そっぽを向いた土方に、道庵は、豪快に笑った。
「何とも毛色の違う兄貴達だぜ」
夕刻、再び現れた道庵は、四角と丸と、二つの風呂敷包みを下げていた。
迎えた井上を従え、ズカズカと部屋に上がる道庵に、枕辺の土方は、露骨に貌を顰める。それを面白げに見ると、道庵は、眠る宗次郎に視線を落とした。
「少しは、熱が下がったか?」
「・・・下がらなきゃ、敷居は跨がせねぇよ」
「歳さんっ」
井上の声に、土方はそっぽを向く。
「まだまだ青いな、若造が」
笑い含みの道庵に、土方は、怒気を露にする。
「てめえは、一体幾つだよっ」
「俺は二十四だ。あんたよりは、目上に違いねぇだろ?」
「二十四だと?」
思ったより、かなり若い。
「・・・私と、同じ歳です」
道庵が、驚いて井上を見る。
「老け顔だな。源三郎」
お互い様である。そこへ、近藤が貌を出した。
「道庵先生、何度も申し訳ありません」
「おう、若先生。短気な弟子で大変だな」
不機嫌を隠さぬ親友と、満面笑顔の医者に、近藤は苦笑した。
道庵は、小さな患者の容態を診る。まだ、熱は高い。
「薬は、飲んだのかい?」
「全部、飲ませた」
土方が、ぶっきらぼうに応えを返す。
「そうかい」
道庵は、四角い風呂敷包みを解いた。
三段の重箱の、一番上には薬が入っていた。
「夜からは、これを煎じて飲ませろ。ちいと苦く出来ている。嫌がるようなら白湯で薄めて構わねぇぜ。水を欲しがったら、代わりに飲ませりゃいい」
道庵は、真直ぐに土方を見た。
「お前、この子に関しては、少しは気が長いようだな。任せたぜ」
土方が、睨むように頷くのを見て、道庵は笑った。
「どうやら、大事な順番は、心得ているようだな。色男」
「喧しい、熊医者っ」
「歳っ」
近藤が、慌てる。どうもこの医者は、親友の癇癪を起こして、楽しんでいるようだ。
二の重には、小さく切った西瓜が並んでいた。良く冷えているようで、重箱にびっしりと水滴がついている。
近藤に、小さな躰を抱き上げさせ、道庵は、その貌を覗き込む。
「おい、チビちゃん。口を開けな」
虚ろな薄闇色の瞳が、ぼんやりと道庵の貌を捉える。大きな熊が、にっこりと笑った。
暫しそれを見つめ、宗次郎が、僅かに笑顔を作る。
小さく開いた口に、道庵は、そっと西瓜を含ませた。その甘さに、乾いた喉がこくりと鳴った。
「・・・っ」
貌を顰めた宗次郎に、道庵は笑い掛ける。
「喉には辛いが、我慢しな。喰わなきゃ戦には勝てねぇよ」
飲み込むのに、難儀な様子を観察しつつ、次の西瓜を含ませる。
「おい、色男。こっちへ来な」
「大概、物覚えの悪い熊医者だぜ。土方と、言ったろうが」
土方は、道庵の隣に乱暴に胡座をかいた。
「いいか?こうやって喰わせろ。嫌がる間を与えるなよ」
言いながら、素早く三つ目を口に含ませる。宗次郎は、目を瞑ったまま必死に口を動かしている。
「医者なんてのはな、元来、無用の長物じゃなきゃいけねぇんだ。食い物に勝る薬なし。此処の暮らしを続けさせるなら、まず躰をしっかり作ってやれよ」
最後の言葉は、真直ぐ近藤に向かっていた。近藤は、しっかりと頷く。
「夕餉には、粥と一緒にこれも喰わせろ」
三の重には、卵焼きや煮魚等々、滋養の付きそうな物が並んでいた。
「全部、甘めに拵えてある。今は、喉を楽に通る方がいい」
「・・・これを、先生が?」
目を丸くする近藤に、道庵は笑った。
「小者の爺さんが作った。腕は確かだから安心しな」
「御妻女は?」
「俺は独り身だよ。包丁も、たまには握るが、作るのは酒の肴ばかりだな」
「・・・この時期に、西瓜など、よく手に入りましたね」
感心する井上に、道庵は応えた。
「患者の払いは、金ばかりじゃあ無いって事さ」
「ああ・・・」
「実入りは少ねぇ。だが、食い物には困らん。初物(はつもの)なんぞ、しょっちゅう喰える。江戸っ子冥利だぜ?」
次の西瓜を、口に放られた宗次郎は、堪らず近藤の胸に貌を埋めた。道庵は笑いながら、重箱を土方に渡す。
「おい、土方。敵は、白粉の敵娼(あいかた)よりも手強いぞ。しっかりやんな」
「一々、五月蝿えんだよっ」
「それと」
丸い風呂敷包みを差す。
「初物の、お裾分けだ」
道庵は、うんざりと頭を振った。
「・・暑い頃に、デカイ西瓜を作るとか言いやがって、薬礼に、摘んだ西瓜ばかり持ってくる奴が居るんだよ。いい加減、見飽きたぜ」
「ありがとうございます」
近藤は、豪快な医者が気に入った。チラリと、西瓜を食べさせる土方を見る。
仏頂面の親友も、恐らくはこの男が気に入った筈だ。しかし、どうもこの二人、性分が良く似ている。互いに素直にはなれぬだろう。近藤は、笑いを堪えた。
曇天の、隙間を縫うように、幾筋も陽が射し込んでいる。
射せば射したで、蒸し暑さが増し、俄に具合の悪くなる者が増える。
午(ひる)も疾うに過ぎた頃、漸く患者の途切れたのを見計らい、大きな背に声が掛かる。
「先生、そろそろ昼餉に致しましょうか」
「おうっ。今日はやけに客が多かったな」
「急に、暑くなりましたからね。それと先刻、弥平さんが、西瓜を届けに来ましたよ」
「またかよ。・・・徳さん、今度の払いは青菜を頼め」
老爺は、笑った。
「金子じゃ無くても、宜しいので?」
「あいつに、金などあるものかい」
老爺が笑いながら引っ込むと、道庵は、唸り声と共に背を伸ばす。その時、玄関口に背の高い影が映った。道庵は、にやりと笑う。
「おうっ、入ってきな」
応えの無いままに、仏頂面の土方が引き戸を開けた。片腕に、小さな躰を抱いている。
土方の首に、両の手を回した宗次郎が、にこりと道庵に笑顔を見せる。
「こんにちは」
「おうっ、来たか。お人形さん」
渋面の土方は、黒地の帯に、紺の細縞を着流し、片裾を絡(から)げている。腕(かいな)に収まる少年は、空色の着物に紺の帯。二人揃って、一幅の絵のようである。
「・・武士なんだか、役者なんだか、わかんねぇよ」
道庵は、笑った。
「しかし、あんたも大概甘いねぇ。何も、抱きかかえて連れて来る事もねぇだろうに」
土方が、口元を引く。
「あんたが嫌で逃回っているのを、捕まえて来たんだ。感謝しな」
「俺が嫌いじゃなくて、医者が嫌いなんだろ?俺は、誰からも好かれる性分だぜ?」
「てめえで言う事かっ」
道庵は、豪快に笑った。
「どれ、お人形さん、口開けな」
その場で、口の中を覗き込む。
「良し。腫れは引いたな。ちゃんと喰っているかい?」
「はいっ」
「こらっ、元気に嘘をつくな。雀の涙くれえしか喰わねぇくせに」
土方の渋い声に、薄闇色の瞳は困ったような色を湛えた。
「歳三さん。昼餉は、残さなかったよ?」
「当たり前だ。たった半膳の飯を、残されて堪るか」
道庵は、笑った。
「チビちゃん、それじゃあデカクは、なれねぇぞ?」
土方が、ピリリと眉を吊り上げる。
「人形だの、チビだの。こいつには、宗次郎って名前があるっ」
「歳三さん?」
小さな面が、端整な貌を覗き込む。鼻先が、触れるほどに近い貌は、不思議そうに首を傾げた。
「歳三さんは、いつも、チビ助って言うよ?」
道庵は、破顔した。
「面白れぇ相方が居て、良かったな。土方」
「喧しいっ、熊医者っ」
「・・・おめえは、本当に、目上の者に失礼な奴だな」
呆れた風の道庵に、土方も応戦する。
「尊敬出来る処があれば、いつでも礼は尽くすぜ?」
「この若造がっ」
二人の啀(いが)み合いを、興味深げに見つめていた宗次郎に、道庵が白い歯を見せた。
「そうだ、チビちゃん。西瓜があるぜ、持って行きな」
宗次郎は、薄闇色の瞳を大きく見開き、必死の体で首を振る。覗き込む道庵から逃れようと、土方の首に、しがみついた。
「・・・あんたのお陰で、嫌いが増えたぜ」
土方の渋い声に、道庵は笑う。
「なあに、これから長い付き合いだ。俺が、全部直してやるさ」
了