『約束』



果てなく続く田舎道は、何処も彼処も、淡い茜に染まりはじめている。

群れる赤とんぼが、その身を更に赤く染め、透けた羽根を、煌めかせながら飛び回っている。

稲刈りも始まり、綺麗に刈り取られた田には、整然と金色の稲架(はさ)が並ぶ。

刈り取りを待つ、ふっくらとした稲穂の波は、重たげに頭(こうべ)を垂れている。

今年は、豊作のようだ。


島崎勝太は、いつもより一刻程遅く、日野宿へ到着した。

出稽古先、佐藤彦五郎屋敷へ荷を降ろし、挨拶もそこそこに屋敷を後にした。

茜に染まる田舎道を、ある家作へと、急ぎ歩を進めている。

畦道に、群れるように咲く彼岸花も、茜の色に、繊細な赫い花弁を輝かせている。

心地良い風が吹き渡る度に、遠方から、祭囃子が微かに流れてくる。

隣村辺りで、小さな祭りでも開かれているのだろうか。

心の弾む、音色である。


目当ての家作、沖田家の門を潜ろうとした時に、小さな塊が、勢い良く勝太に飛びついてきた。

勝太は、避ける事もままならず、慌ててそれを受け止めた。

まだ、幼い少女だった。

伏せた貌を見ることは叶わなかったが、小花を散らした薄紅色の着物に、夕映えと同じ、鮮やかな茜の帯を締めている。

解けた髪は、柔らかく肩の辺りで揺れていた。

しかし、この家作には、居るはずのない小さな女の子である。

(・・誰だろう?)

勝太は、首を傾げながらも、袴に張り付いたままの少女を見つめた。


その時、家作から、今度は良く知る娘が飛び出してきた。

「宗ちゃん。待って、髪を――」

勝太は、驚いた。

娘は、沖田きん。勝太より二つ歳下、十五になる宗次郎の次姉である。

勝太は、袴に張り付いたままの幼子(おさなご)に、恐る恐る声を掛けた。

「・・・宗次郎、なのか?」

「・・若先生?」

勝太の声に、ぱっと見上げたその貌は、紛う事無き小さな少年のもの。

勝太を見上げる薄闇色の瞳は、いつものように屈託が無い。

「若先生、こんにちは」

勝太は、仰天した。


「勝太様」

きんは、その手に、櫛と簪(かんざし)を持っている。

「きん殿・・」

混乱する勝太を余所に、袴にくっついていた宗次郎が、ぱっと勝太の後ろへ隠れた。

「佐藤様のお屋敷に、出稽古でございますか?」

きんは、ゆっくりと近付くと、にこやかに勝太を見上げる。

目鼻立ちの整った、美しい娘である。印象的な漆黒の瞳は、勝気な色を抱きながらも、どこまでも深く澄んでいる。

強い瞳とは対照的に、頬の辺りには、まだまだあどけなさが残り、それが、美しさよりも可憐さを際立たせている。兎にも角にも、人目を惹く少女である。


勝太を間に、きんは、弟に声を掛けた。

「宗ちゃん。髪を結うから、此方にいらっしゃい」

「やっ」

きんは、困ったように弟を覗き込む。

「・・結わなければ、出掛けられませんよ?」

姉の声に、勝太の袴をぎゅっと握り締める。

「白粉の匂い、嫌い」

きんは、苦笑を洩らした。

「ごめんね、宗ちゃん。お化粧は、もうしないから大丈夫よ」

「・・・本当?」

おずおずと貌を出した宗次郎は、よくよく見れば、ほんのりと紅い唇をしている。

元々が、人形と見紛う造作の宗次郎である。

その形(なり)は、幼いながらも見惚れる程の出来映えである。

勝太は、あんぐりと口を開けてしまった。


きんは、決まり悪げに勝太に笑い掛けた。

「紅をさしてみたら、とても可愛らしくなったので、白粉も刷こうとしたのです。・・逃げられました」

「・・はあ」

気の抜けた応えを返す勝太を、きんは面白げに見つめている。

宥められ、漸く勝太の後ろから出て来た宗次郎に、きんは優しく微笑んだ。

「髪を結ったら、出掛けましょうね」

「はい」

「・・一体、何処へ行かれるのです?」

勝太の問いに、きんは、ぱっと笑顔を見せた。

「勝太様。丁度良い処で、お会い出来ました」

勝太は、困惑顔のまま、年下の少女を見つめる。

「これから、お祭りに行くのです」

「祭り?」

「はい」

漆黒の瞳が、茜の陽を受けて、きらきらと輝く。

「二人では、少々心細かったのです。お付き合いくださいませ」

宗次郎が、姉の言葉に、大きな薄闇色の瞳を輝かせた。

「若先生も、一緒?」

「今、お誘いしている処ですよ」

きんは、笑顔で頷いた。


「・・・それは構いませんが、宗次郎は、何故このような格好を?」

きんは、戸惑う勝太を見上げ、にっこりと微笑む。

「可愛いでしょう?」

漆黒の瞳に、真っ直ぐに見つめられ、勝太は、思わず赤くなった。

「・・それは、勿論、可愛いですが・・」

見上げる宗次郎も、笑顔を見せた。

勝太は、益々狼狽(うろたえ)た。


「姉上が、武家の男子が祭りを覗くのはならぬ、と申しますので」

きんは、悪戯気な笑みを浮かべる。

「・・それで、女子(おなご)に仕立てたのですか?」

「はい」

「・・光殿の言うのは、そう言う意味では無いと思いますが・・」

「ええ、わかっています」

きんは、くすくすと笑う。

困惑のまま見つめれば、宗次郎は、可愛く首を傾げている。

「・・・この事、光殿は?」

「勿論、内緒です」

きんは、唇に指を当て、にこりと笑う。

「内緒・・」

「はい。夜まで、義兄上(あにうえ)と出掛けておりますので」

「・・留守番は、いいのですか?」

「二人が帰る前に、戻りますので」

きんは、悪戯気に笑う。


「・・光殿が、先に戻られたら?」

勝太の問いに、宗次郎が不安気に姉を見上げた。

「その時は、お説教です」

可愛く舌を出し、きんが笑った。

それを見て、宗次郎も屈託無く笑う。

「いつもの事です」

きんの行動は、ただただ勝太を混乱させる。



一年と半年前、日野には珍しい、武家の一家が居を構えた。

珍しさも相まって、噂はすぐに広まったが、昨今の武家にありがちな、武張った所のない気安さや、人を選ばぬ礼儀正しい様子に、土地の者は見る間に一家に打ち解けた。

中でも、末のやんちゃな男の子は、その無邪気さ、あどけなさが、土地の皆に愛された。

然しながら、いくら何でもこの格好で出歩くのは、流石に憚るものがある。


混乱したままの勝太は、戸惑うように宗次郎を見つめた。

「・・この着物は、きん殿の物ですか?」

きんは、頷いた。

「子供の頃の物なのですが、宗ちゃんには大きいから、少し詰めてみました」

薄紅色の着物は、誂(あつら)え物のように、綺麗に仕上がっている。

「本当は、浴衣を着せたかったのですが、余計に叱られますし」

きんは、笑いながら弟の頭を撫でた。


勝太に言わせれば、弟の姿を見た時の、光の怒りを思えば、浴衣も着物も大差はないように思える。

勝太は、ゆっくりと腰を屈めた。

「・・・随分と、可愛くなったものだな。宗次郎」

宗次郎は、薄紅の袖を広げて見せる。

「きぃちゃんが、着せてくれました」

「宗ちゃんは、家(うち)で一等可愛いから、絶対似合うと思ったのです」

姉弟は、それぞれに胸を張っている。

見た目、長姉の光に瓜二つの宗次郎は、どうやら性格の方は、おきゃんな次姉に似ているようだ。


『宗ちゃん』に『きぃちゃん』。可愛らしい呼び合いに、勝太は微笑んだ。

しかし、この姿を見れば、光も林太郎も、間違い無く卒倒するだろう。

勝太は、困ったように姉弟を見つめる。

「・・どの道、叱られると思いますよ」

きんと宗次郎は、貌を見合わせた。

「あのね、若先生」

宗次郎が、爪先立って勝太の耳元へ唇を寄せた。

「二人共ね、いっつも叱られているから、平気なの」

勝太は、吹き出してしまった。

「しかし・・この形(なり)は、余計に目立ちますよ」

きんは、暫し勝太を見つめる。

「駄目でしょうか?」

「いつもの格好が良いです」

きっぱりと告げる勝太に、きんと宗次郎は、目を見合わせる。


「それに・・あの祭囃子は隣村のものです。行って戻るには、少々遠すぎます」

二人は、がっかりしたように項垂れた。

ピタリと合ったその様子に、勝太は吹き出しそうになる。

「もう少し待てば、ここでも祭りがあります」

宗次郎が、ぱっと貌を上げた。

「本当?若先生」

勝太は、頷いた。

「その時は、光殿に許しを貰って一緒に行こう」

「きぃちゃんも、一緒?」

「ああ、一緒だ。約束するよ」

勝太は、宗次郎の頭を撫でた。

「では、勝太様。今日は、別の処にお付き合いくださいませんか?」

「どちらへ?」

「宗ちゃんが、薄(すすき)原に行きたいと言っていましたので、其方へ」

きんの言葉に、勝太は頷く。


「でも・・・まず、宗次郎は着替えませんか?どうも落ち着かない」

きんは、小さな弟を見つめる。

「お気に召しませんか?」

「そう言う事では、ありません」

困ったような勝太を、きんは面白げに見つめる。

「あまりに可愛くて、目の遣り場に困りますか?」

「え?」

目を丸くする勝太に、きんは笑い掛ける。

「宗ちゃんは、姉上にそっくりですものね。勝太様は、姉上の事がお好きなのでしょう?」

勝太は、耳まで赤くなる。

「きん殿っ」

きんは、笑いながら弟の手を引いた。

「すぐ、支度します。待っていて下さい」

家作に消えた姉弟を、勝太は呆然と見送った。

「嫁した人を、好きなどと・・」

勝太は、困ったような、怒ったような呟きを洩らした。

きんに掛かると、勝太は、いつも調子を崩されてしまう。



茜の色が濃くなる道を、いつもの格好に戻った宗次郎を間に、ゆっくりと歩を進める。

「・・武家の子は、村の祭りなど、覗いてはならないのですね」

少し寂しげな勝太の声音に、きんと宗次郎は、きょとんと貌を見合わせた。

そして――。

「お百姓様が、一番偉い」

声を揃えた二人に、勝太は、ポカンと口を開ける。

「姉の口癖です」

「・・光殿の?」

「はい」

きんは、頷く。

「お百姓様は色々な物を作ります。それは、何よりも尊い仕事です」

(そら)んじたように続ける少女を、勝太は見つめる。

「武家の者は、天子様や上様をお守りするのと同じ位、お百姓様を大切に思わねばならない」

「・・天子様や、上様と同じ?」

宗次郎も、コクリと頷く。

「だから、武家の者は、お百姓様の祭りの邪魔をしてはならぬ、・・と言う事なのではないでしょうか?」

二つの花の顔(かんばせ)は、じっと勝太の応えを待つ。

実際、武家の子弟が、祭りを覗かぬと言うのには、厳然たる身分の差等、別の意味がある筈である。

何とも優しい光の教えに、勝太は、暖かい気持ちになった。

この、風変わりな武家の一家は、実(まこと)に心が温かい。


「若先生」

宗次郎が、勝太を見上げた。

「どうした?宗次郎」

「あれを、取ってもいいですか?」

視線の先は、一面の薄原。尾花の穂は、出たばかりか、まだ白い。

この辺りでは、珍しい光景でもない。

「・・花穂か?」

「姉さんに、お土産にします」

「よし、宗次郎。おいで」

勝太は、小さな躰を抱き上げると、軽々と肩車した。

「高ーいっ」

勝太の頭上から、大きな歓声が聞こえてきた。

「薄の葉は、鋭いからな。花穂の首の辺りを握って、ゆっくりと引いて御覧」

「はい」



陽の沈んだ田舎道を、白い月が、明るく照らしている。

その白光を背に受け、きんの歩みに合わせるように、勝太は、ゆっくりと歩を進める。

背中の宗次郎は、小さな寝息を立てている。

しっかりと握られた花穂が、時折、勝太の首筋を擽る。

「そう言えば・・・勝太様は何か、御用の向きでもございましたか?」

きんの問いに、勝太は頷いた。

「宗次郎に、届け物がありました」

「宗ちゃんに?」

勝太は、頷く。


「歳が奉公に上がる時、宗次郎から貰い物をしたとか」

きんは、目を丸くした。

「宗ちゃんが、歳三様に・・?」

「ええ」

きんは、首を傾げた後、思い当たった風に笑い出した。

「ああ、お守り」

「・・お守り?」

今度は、勝太が首を傾げる。

「お守り代わりに、渡したのですが・・・」

中々笑いの収まらぬ様子に、勝太は年下の少女を見つめた。

笑う仕草は、宗次郎と良く似ている。

「お守りと言うよりも、宗ちゃんのお願いです」

「お願い?」

益々、わからない。


「歳三様に、早く日野(ここ)へ戻って欲しいと、和歌と竹とんぼを渡したのです」

「・・和歌に、竹とんぼ?」

きんは、頷いた。

「古典の恋の歌と、竹とんぼは、歳三様に作って頂いたものです」

そう言えば、源氏物語の手解きを受けていると聞いていた。

「・・・源氏物語ですか?」

驚いたように勝太を見上げたきんは、更に笑い出した。

「源氏物語なら、「雀の子」で、姉上も諦めました」

「それは・・随分と早く、逃れることが出来たのだな」

勝太も、笑った。


「渡したのは、小倉百人一首の、恋の歌です」

「・・次は、百人一首か」

気の毒げな声音の勝太を、きんは、面白そうに見上げる。

「私が、教えたのです」

「きん殿が?」

きんは、頷いた。

「歳三様に、早く戻って欲しいと文を書きたいと言うので、想いの篭った歌を教えました」

「・・恋の歌を、ですか?」

きんは、笑いながら首を傾げた。

「恋しいと想う気持ちは、同じものでしょう?」

あの仏頂面の親友が、どんな表情(かお)でそれを読んだものか。

勝太は、可笑しくなった。



少し会話が途切れた後、きんが口を開いた。

「勝太様」

「何でしょう」

「私、お嫁に参ります」

勝太は、驚いた。

「・・それは、おめでとうございます」

きんは、薄く微笑んだ。

「だから、宗ちゃんと一緒に居られるのも、あと少しなのです」

勝太は、背の、軽い重みに意識を向けた。

「・・宗次郎は、寂しがりますね」

「勝太様は?」

「え?」

「勝太様は、寂しくはありませんか?」

きんは、綺麗に微笑む。


「きんは、勝太様に貰って頂きたかったのです」

「えっ?」

「初めてお会いした時から、勝太様の事が好きでした」

勝太は、耳まで赤くなった。

それを見た漆黒の瞳が、嬉しげに細められた。

「勝太様ときたら、少しも気付いて下さらないのですもの」

「きん殿っ」

きんは、にっこりと笑う。

「きんを貰って頂ければ、勝太様が、宗ちゃんの兄上となったのですけれどね」


きんは、勝太に背負われた弟を、愛おしげに見つめる。

「・・・どうにか七つになりました。けれど・・・宗ちゃんは、あまり丈夫とは言えません」

それは、歳三や、彦五郎から聞いていた。

「・・大きくなれば、きっと丈夫になりますよ」

「・・そうだと、良いのですが」

労わるような勝太の声音に、きんは、微笑んだ。

「他にも、心配があります」

「心配・・?」

「宗ちゃんは、自分の気持ちを外に出すのが、あまり得手ではないのです」

月が、二人の影を長く伸ばす。

「人懐こいようでいて、中々打ち解けない処もあります」

勝太は、隣を歩く少女を見つめた。


「姉上は、武家の子は、痛いと言ってはならぬ。泣いてはならぬ。そう、私達に教えます」

「はい」

「・・そして、宗ちゃんは、きちんとその言いつけを守っています。けれど・・・」

きんは、言葉を断った。漆黒の瞳が、真摯な色を湛えている。

「宗ちゃんのそれは、堪えているのでは無く、知らないのだと、私は思います」

「・・知らない?」

「この子は、色々な事に、とても淡いのです」

「・・淡い」

きんは、頷いた。

「食や、欲や・・・人が深く思い、欲するものに、執着がとても薄いのです」

確かに、子供にありがちな、独占欲にも似た感情を、宗次郎に見た事は無かった。


「まるで、欲を置き忘れて、生まれたように思います」

きんは、じっと勝太を見つめる。

「それは、とても危うい事だと、私は思います」

背負いながらも、あまり重みを感じない小さな躰に、勝太は、えも知れぬ不安を覚えた。

「けれど、宗ちゃんが関心を持った事があります」

「それは?」

「歳三様に、教わり始めた剣術です」

「剣術・・」

きんは、頷いた。

「それから、勝太様と、歳三様」

「・・俺と、歳?」

「はい」

きんは、明るく笑った。

「宗ちゃんが、何かを欲したのは、初めてのように思います」

歳三は、今、江戸へ奉公に出ている。


「姉上は、いずれは宗ちゃんに、沖田の家を継がせるつもりです」

「俺には、それが当然と思えますが?」

きんは、小さく首を振った。

「私は、宗ちゃんには、別の道があるように思います」

勝太は、黙ってきんを見つめた。

立ち止まった二つの影が、道にも長い影を作る。

美しい漆黒の瞳が、ひたと勝太を見つめた。

「勝太様。宗ちゃんの事、お願いします」

きんは、深々と頭を下げた。

「宗ちゃんには、勝太様や、歳三様のような御方が必要なのです」

「俺や、歳が?」

「はい」

見上げる漆黒の瞳は、夜目にも美しく輝く。


「色々と、教えてやって欲しいのです」

勝太は、黙ってきんを見つめた。

「痛い事は、痛い。泣きたい時は、泣いても良い。・・欲しいものは、欲しい。そう思う心を、宗ちゃんに作ってやって欲しいのです」

勝太は、しっかりと頷いた。

「出来る限り。そう約束します」

力強い勝太の応えに、きんは、漆黒の瞳を優しく細めた。



家作の門前に、小さな灯りが、ちらちらと揺れている。

「遅かったか・・」

きんは、首を竦めた。

勝太も、つられて声を潜める。

「諦めて、お説教されなさい」

きんは、恨めしげに勝太を見上げた。

「勝太様は、姉上の恐さを知らないから・・・」

「きんっ、宗次郎っ」

闇に、静かな声が響く。

青ざめた光が、小走りに近付いて来た。

十八になる長姉の光は、優しく儚げな面差しの、美しい人である。

弟の宗次郎と同じ、澄んだ薄闇色の瞳が、心配と不安に強張っていた。

透き通るような白い貌が、蒼い月の光を受け、より青ざめて見える。


勝太に背負われた宗次郎は、ぐっすりと眠っている。

小さな手は、しっかりと花穂を握り締めたままである。

勝太に気付き、光は、慌てて頭を下げた。

「島崎先生。ご迷惑を、お掛けして・・」

「いえ、そんな事はありません」

「勝太様は、宗ちゃんに会いに来て下さったのです」

腰を屈めた勝太の背中から、宗次郎を抱き上げたきんが、光に応える。

「宗次郎に?」

「光殿」

勝太は、懐から小さな包みを取り出した。


「これを、宗次郎に渡してやってはくれませんか?」

「・・これは?」

「日野(ここ)へ来る前に、大伝馬町に寄りました」

光は、目を丸くした。

「歳三さんの処ですか?」

勝太は、頷く。

「歳から、宗次郎へと預かりました。お守りの礼にと」

光は、驚いた。

「お守り・・?・・でも、あれは・・」

勝太は、笑顔を見せた。

「大事にしていると、それだけを宗次郎に伝えてくれと」

光も、笑みながら頷いた。

「独楽と、言っていました」

手渡しながら、勝太は笑った。

「ありがとうございます。宗次郎も喜びます」

宗次郎と同じ薄闇色の瞳で、光が微笑む。

「歳三さんは、お元気でしたか?」

「あいつは、いつも元気です」


勝太は、きんの腕の中で眠る、宗次郎の頬をそっと撫でた。

「また、明日な」

「勝太様、ありがとうございました」

きんの漆黒の瞳に、勝太は、しっかりと頷いて見せた。

それから、勝太は、光に視線を転じた。

「光殿。お願いがあります」

「何でしょうか?」

首を傾げるようにする光に、勝太は、笑顔を見せた。

「次の祭りに、宗次郎ときん殿をお連れしたいのですが、お許し頂けますか?」

「勝太様?」

驚くきんに、勝太は笑い掛けた。

「きん殿が、嫁にゆかれる前に、宗次郎に、姉上の思い出を作って遣りたいのです」

光は、少し驚いたような貌をして、それから、花が綻ぶように微笑んだ。


「島崎先生がご一緒でしたら、妹のお転婆も、少しは収まるでしょう」

「姉上」

光は、抗議の声を上げる妹を、じっと見つめた。

「きん?あなたの縫い物の腕は大したものですが、宗次郎に、女子(おなご)の格好をさせるのは、感心できませんよ?」

きんは元より、勝太も固まった。

その様に、光は、ふわりと微笑んでみせた。


――お見通しである。





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