add 9th 列伝

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…add 9th に集う人々をご紹介する連載企画…

  add9th 列伝 二十二

 つい先達て、落語界では三人目となる人間国宝を受賞した、私が敬愛してやまぬ小三治師匠も実に多趣味だが、この方もそう負けてはいない。
 I さん。大阪市出身。小学二年生の時、狛江市に転居、現在に至る。カルロス・ゴーンと横内 正を足して二で割った様な面持ちで、前頭部が発達した、いかにも賢そうな額を持つ。髪の毛は自身でカット。苦手な食べ物は、魚貝類全般。一週間に一度は顔を見せてくれる有り難いお客さんである。
驚いたことに、私の小、中、高と同級生だったNとは同大学、同学部、グライダーのサークルでもいっしょであったことが判明。以後、彼との距離間がいい具合になったことは確かである。
「今は飛んでないんですか?」の問いに「いや、先週も飛んで来ました」と嬉しそうに返す彼は、今でも現役の”飛んでる男”であった。
趣味はと言うと、野球、テニス、スキー、グライダーに最近始めたヨット。カラオケはビートルズ、そして、お酒。日本酒からシングル・モルトまで幅が広い。
以前は、片道2時間40分をかけて栃木県小山市まで、約2年半の間、新幹線通勤を続けていた。「大変だなぁ」と言うと「いや、大変は大変だけど、新幹線は静かだし、揺れも少ないから睡眠にも読書にも快適だよ。それとほら、隣にさぁ、きれいな女のひとが座ったら一区間が長いからさぁ、ヒッヒッヒッ。まず無いけどね、ハハハハーッ。」と、ポジティブな柔軟性も持ち合わせる。この柔軟な心持ちが、グライダーやヨットに必要不可欠な風や上昇気流に乗るコツなのかも知れない。実際、彼は気象学や天文学にやたらと詳しい。
 話が変わるが、ウチの店で定期的に落語会を演っていただいている、三遊亭小圓楽 師匠(http://www4.point.ne.jp/~koenraku/)はこのIさんのテニス仲間で、大の落語好きの私に紹介してくれたのである。高座は勿論のこと、跳ねた後の師匠を囲んでのお疲れ様会では、先代師匠の初めて知る貴重な話を生で聴かせていただける私なんざぁー、えぇーっ、I さんに足を向けて寝るなんてー、えぇっ、それはそれはー、そんなこと出来たもんじゃーござんせんよ。えぇーっ。感謝してもしきれない程である。
 フレミングの法則や半導体、天気図の解説に三角定規を使った海図の描き方も楽しいけれど、たまには艶っぽい話をサカナに飲みましょう。それなら貴方もお好きでしょ。

’14 08 (け)

2014/08/20(Wed) 15:12


  add9th 列伝 二十一

 街を歩いていてふと耳にした音楽に気を取られ一瞬にして過去にタイムスリップし、懐かしさや甘酸っぱい思い出と共に、その時の情景や匂いまでもが走馬灯のように甦ってくることがある。少なからず誰もが経験のあることではないだろうか。私なんぞは「この曲、私のこんな思い出」といった本が一冊書ける程である。
 「Chaco&Chico」。いつも自然体で気分をリラックスさせてくれる歌姫、チャコ。クラシックからジャズまで幅広く弾きこなす、素晴らしいギターとヴォーカルのチコ。
デモ・テープを持参し初めて来店された時、紹介文には「私達が大切にしていることは、”このお店で演ってみたい!”と感じた所で演るということ。演奏と店の雰囲気、全部ひっくるめてお客様にその時間を楽しんでいただきたい”そう思っています。etc・・・」と、今時珍しく丁寧な手書きの字で書かれていた。それ以来オリジナルも含め「あの頃のポップス」と題し、時にテーマを決め懐かしの曲を中心に、お客さんと思い出話を交えながらの楽しい時間を共有出来るライヴを展開。最近ではファンも増え、月一の割合で演って頂いている。「あの頃」とは個々それぞれだが、まさに”歌は世につれ、世は歌につれ”、その時代、時代に各々懐かしの曲があるはずである。
私はこれまでに、ヘドバとダビデの「ナオミの夢」(当初、彼らは私が怪獣か何かの名を創り、冗談を言っていると思っていた!?それが、今では「コーヒー・ルンバ」と並んで彼らの代表的定番となっているのだ。しかも完璧なヘブライ語で。)ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」、R・ストーンズ「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」、R・チャールズ「クライング・タイム」、J・D・サウザー「ユアー・オンリー・ロンリー」、コラ・ヴォケール「3つの小さな音符」などのリクエストをし、見事なアレンジと歌唱力に堪能させて頂いた。他にも彼らがカヴァーする「風に吹かれて」「スカボロー・フェア」「ステイン・アライヴ」「ウィル・ユー・ダンス」「男と女」「ソング・フォー・ユー」などなど、書ききれぬが、私にとって「Chaco&Chico」のライヴは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の如く懐かしの思い出の旅に連れて行ってくれる、美しいハーモニーを奏でる道先案内人なのである。
 音楽のジャンルを問わず胸が熱くなってくるもの、街角でふと足を止め聴いてしまうもの、それは私にとってのブルーズ。大統領も、金持ちも、貧乏人も、誰もがブルーズを感じる時がある。心を大きく占めるもの。その奥底に響くもの。時にはみじめに。時には幸せに。。。
 時計の針を少し戻してみたくなった時、「Chaco&Chico」という名のタイムマシンに乗り、あなた自身の思い出の旅に出かけてみませんか?
「Chaco&Chico」オフィシャル・サイト:http://www.nmmusic.co.jp/duo/

’12 04 (け)

2012/04/15(Sun) 18:51


  add 9th 列伝 二十

今、手元に三冊の生原稿がある。「おれたち青谷子供会」「ぶっこんでやれ 第一部」と「第二部」。どれも主人公が生まれ育った故郷の地を24歳で捨て、上京するまでの出来事を実に生々しく描いた自叙伝である。
 主人公、元井 祐治。本名 羅 祐治(ナ ユンチ)。在日韓国人として三重県津市に五人兄弟の末っ子として生まれる。自他共に認める”永ちゃん”似のイイ男。「若い頃はテカテカのリーゼントでようモテたわ」とは本人の弁。歳は私より四つ上だが、初めて会ったのはお互いまだ20代で、興味本位で行った役者養成所のワークショップであった。
普通は動きやすいようにとラフな格好の連中が多い中、彼だけがTVドラマ「大都会」の渡 哲也のような三つ揃いを着て参加していた。”何やー、こいつ!?、けったいな奴っちゃのー”と笑いを堪えていたのでよく憶えている。またこれが、やたらと私の視界に入る位置に来てはガンを飛ばしてくるのである。ようやく授業も終わり着替えを済ませ外に出ると、「おいっ!」と彼に声をかけられお茶に誘われた。店に着く間、彼は拳銃を構えるポーズを取り、何かしらに狙いを定め「ヅキィーン」と言っては何者かに成りきっていた。すると突然照準を私に向け「俺は在日韓国人だ!!」と言って睨み付けてきた。『それがどないしたんよ、のー』「・・・」『そんなもん関係あるかい!何を言うとんねん。アホちゃうか?』一触即発−−−と思いきや、今度はニっと笑い如何にも芝居がかった台詞まわしで「君とは永遠のライバルになれそうだ」ときた。その時『何やコイツ、ホンマに!?』と心底思った。その後、生まれが隣県という縁もあってか”ケンちゃん””祐ちゃん”と呼び合う仲が現在まで続いている。アクション俳優を目指していた彼は常にボクシングやジョギングで身体も鍛えていた。映画にも詳しく、スティーブ・マックィーンが大好きでよく物真似をしては楽しませくれたり、市川 雷蔵の写真集を買ったと言っては私の当時のアルバイト先に来て、「拙者、なんたら〜かんたら〜」と言って一人で立ち回りを演じていたこともあった。と、ここまで書くと単なる役者バカとしか思えぬ男の話だが。。。。
 何度か彼の生まれ育った環境や家庭事情などを聞かされたこともあったが、この度、初めて詳しく描かれた自叙伝を読ませてもらい、それはそれは筆舌に尽くしがたい凄まじい程の鬼畜の光景がそこにあった。差別、貧困、罵り、策略、暴力、裏切り、家庭崩壊。。。。当然のごとく、やがて10代半ばの多感な少年は、やり場のない鬱憤のはけ口を求め狂気に疾走する。「ぶっこんでやれ」である。1974年、おりしも暴走族が全盛の頃、彼も”外道”という族の頭をはり、毎夜喧嘩の相手を捜して暴れ周り”外道の祐治”としてその名を轟かせていった。そう言えば彼の憧れるマックィーンも家庭環境に恵まれず、不遇の青春時代を経験した後、俳優養成学校に入学しているが、どこかで自分自身を投影していたのかも知れない。
20歳も過ぎ、「いつまでもこんな事してられへん」と、族も辞め以前にも増してミツバチの如く真面目に働きまくる。相変わらずの修羅場と化した家庭環境ではあったが、”こんな狂った親でも、やっぱり親は親だ。世界中で、たった二人の親じゃないか”と我慢を重ねる。やがて本気で付き合い結婚を考えた女性も居たが、結局、人種差別の壁には勝てず破談。彼は決心する。「よしっ、映画の世界に行こう!東京へ行って勝負したろ!俺がこの家で、この土地で、どれだけさげすまれて虐げられて来たか!忌々しい想い出。辛かった事の想い出も、もう終わる。この家を出たら忘れられる。忘れよう、努力しよう。それしか生きる道が無い。そして、夢を追って何処までも走って行こう。」コツコツ貯めた百万円を両親に渡し、二度と帰らぬ覚悟で上京。
その後、波乱の人生を重ねながらも泥沼に陥ることなく逞しく生きている。
現在、彼はその豊富な体験と知識を活かし、執筆行に勤しんでいる。一日も早く映画化されることを願ってやまない。

   ”人は皆平等で有り。
    生まれたからには、
    生きる権利が有る。
    人が人を差別する権利は無く、
    人に差別を受ける義務も無い。”   「ぶっこんでやれ 第一部」より  

11、02 (け)

2011/02/10(Thu) 15:37


  add 9th 列伝 十九

ビートルズの四人が、足並み揃えて横断歩道を渡るジャケットで有名なアルバム”アビーロード”。いろんな説や多くの発見とアイデアがいっぱいに溢れた名盤である。では、その左に写るワーゲンのナンバーは?の問いに何人の方が答えられるだろうか。
 西澤 雅資。1965年、新潟は長岡市に生まれる。「あのワーゲンのナンバーは、LMW 281F です。」「ビートルズの曲名早押しイントロクイズなら、俺が一番でしょうね。」と平然と答える。ジーンズに黒のジャケットとギンガム・チェックのシャツをさりげなくオシャレに着こなす彼は、某大手服飾メーカーの営業マン。金を掛けただけのこれ見よがしな装いや、TPOをわきまえぬ格好など、仕事柄もあってか見たことがない。また、彼は”モンキー・ビジネス”というビートルズのコピー・バンドのリーダーでもある。「ロックン・ローラーたる者、腹は出ちゃいかんです。脱毛は止められないけれど、体重はコントロールできます。スリムな体型を維持してナンボですヨ。」と晴れた休日には1時間をかけ約10kmのジョキングをかかさない。子煩悩でもあり家族想いの彼は、共働きの細君の負担を軽くする為、毎朝息子を自転車で幼稚園に送り届け、会社のある日はそこから出勤する。何とも頭が下がるよく出来たロックン・ローラーである。しかし、こんな失敗談もあるからこの男はおもしろい。バンドの練習後、酔って愛用のギターである”ブラッキー”を駅のホームに置き忘れ慌てて取りに戻ったことや、やはり酔っ払って駅のホームから転落、運良く軽症で済んだ話など。。。酔った上でのエピソードが多い。これは他人事ではなく、お互いに充分気を付けたいものである。
 ’65年と言えば ”ヘルプ””ラバーソウル”が発売された年であるが、早いものでもうすぐ約半世紀を迎える。この愛すべき、ビートルズ大好き酔っ払いロックン・ローラーおやじはこの先、どんな”イン・マイ・ライフ”を築いていくのだろうか、楽しみである。

09、10 (け)

2009/10/25(Sun) 17:17


  「add 9th 列伝 十八」

かつて、森永 博志はジュークボックスから流れてきた R・ストーンズの”黒く塗れ”に衝撃を受け、「こんなことをしていたら一生を棒に振ることになる」と、翌日通っていた高校を辞め、ポケットにあった100円分の切符を買い、家を飛び出した。月日が流れ、’95年、彼が書いた「ドロップアウトのえらいひと」(東京書籍)の中で、この出来事が彼の最初のドロップアウトだったと記している。この書は学校や家、会社からドロップアウトし、それぞれのライフステージを旅先や街中で見つけた49人の男たちの、出世や名声や富ではなく、自由と冒険と生きがいを選んだ彼らの半生をたどったトゥルーストーリーズである。
 吉田 翔。26歳。北海道は札幌に生まれ育つ。丹精な顔に、いつもきれいに刈られた坊主頭のヘアスタイルがよく似合う。警察官を目指し大学を卒業後、警察学校に入学。無事に配属も決まり、1ケ月後に卒業式を控え、公務員として新しい人生も約束されていたある日、人生何処で何に出会い、生きがいを見い出すか判らない。彼は突然学校を辞め、宮古島に旅立つ。そして約1ケ月半を島のお爺さんやお婆さんと生活を共にする。前出の「ドロップアウトのえらいひと」を読み影響を受け、彼自身がドロップアウトを選んだのだ。
その後いったん帰郷するが、叔父を頼って上京。何の縁が遇ってかここ狛江に住むことになる。命綱を身に付けニッカポッカを穿き、ビルの外窓清掃をする仕事で生計をたてていた。
「”ドロップアウトのえらいひと”っていう本、知ってますか?」
「あぁ、森永さんの書いた本ね。知っとるよ。」
「もの凄く影響受けましてー、何回も読んだっすねー。将来、宮古島のような所でバーの有る民宿みたいなの営ってみたいっすねー。へへ。」
「そっかー。森永さんに会うたことある? 麻布にある”レッドシューズ”っていうクラブって言うのかなぁ、そこで時々ライヴみたいなのを演っとるよ。」
「えーっ!? ほんまっすかー!? レッドシューズのこともあの本に出てきますよねー。」
「うん、一回行ってみなはれ。」
「はい、そーっすねー。」
−それから数週間後−
「レッドシューズで働き始めたんすよー。へへ。」
「翔くん、ほんまにー?!あのレッドシューズ? 赤い靴履いてた女の子やないで。レッドシューズやでー。」
「はい、ほんまっすよー。森永さんとも会いました。」
「話したの?」
「いえ、いつもベロン、ベロンで・・・へへ」
嘘のような本当の話であるが、彼の行動力も半端ではない。たまたまレッドシューズ近くで仕事が入り、せっかくだからと毎日ニッカポッカのままで通い続け、1週間後には正社員になっていたのだった。そして今では矢沢 永吉が店に現れる度、「いっつもの」と彼に注文をするそうだ。
 近い将来、「続、続 ドロップアウトのえらいひと」に、吉田 翔の名が載っているかも知れない。

「ドロップアウトには様々な形がある。反逆、逃亡、失踪、脱走、中退、脱退、退社、家出・・・でも、スピリットはひとつだ。」「ドロップアウトが”脱落”ではなく、無限の可能性をひめた”冒険”であること。(中略)”自由”を望むことが自然であり、”個人”のままに生きることにも様々な方法があることを、そして何よりも、日々の生活の中で満足をおぼえなければ、いくら成功しようが出世しようが、それこそが、”自分自身の人生”からの脱落者である。」「もう、ドロップアウトしなければ、一生を棒に振ることになる、と誰もが少なからず心の中では思っている。ドロップアウトとは、現実からの逃避ではない。」(「ドロップアウトのえらいひと」より抜粋)

08、08 (け)

2008/08/06(Wed) 16:03


  「add 9th 列伝 十七」

菊池 りか。”Lica・Band”を率いる情熱のヴォーカリスト。
彼女の唄は熱い。バラードを聴いていても低温やけどをしてしまいそうに感じることがある。原色のドレスに身をまといステージ上でトレードマークともいえる長い黒髪を揺らして唄う彼女の姿には迫力も備わる。
尊敬する歌手は吉田 美奈子。趣味は読書。”お酒もかな?”とは本人の弁。
オープン間もない頃からの付き合いになるが、ウチでのライヴの回数がもっとも多いのも彼女である。現在も定番で出演してもらっているが、驚くことに毎回必ずと言っていい程、30人前後のお客が集まる。多い時は立ち見客も出て、まともに彼女の唄を聴いていられないこともしばしば。何故、そこまでお客を呼べるのか?それは彼女が地元民というだけではなく、彼女の人柄によるところが大きい。ライヴの合間には初めての客、常連客を区別することなく、カウンターから各テーブルに至るまで丁寧に挨拶に回る彼女の姿をよく目にする。当たり前といえば当たり前のことなのだが、以外とそういったちょっとした心配りをお忘れの方も中には居らっしゃる。ついでに言わせていただくと我々店の者に対しても挨拶の出来ぬ輩もたまに居るが、”よくそれでメシが喰えますなぁ”と言いたくなることもある。それでもずば抜けて心に響く演奏なりをしてくれれば納得もしないではないが、人生そう甘くはない。その点、彼女は我々店のスタッフに対しても”そこまでしなくていいよ”と思う程、常に気遣いを忘れない。こういう彼女だからこそ、皆応援をしたくなるのではないだろうか。”相応の理”であろう。
また、Lica・Bandを観に来たカップルで「そちらの恋人達に捧げます」と言われ”Tea・For・Two”を唄ってもらうとめでたく結ばれるというジンクスが有ると言う。実際、この2年の間に6組が結婚されたと聞き驚いた。愛のキューピット的存在も人気の要因のひとつなのかも知れない。結婚したいお相手の居らっしゃる方は、ぜひ同伴でお越しを。ただし、早めにお越しにならないと席(籍)が入る保障はございません。
次回、Lica・Band ライヴは 2008年 2月 16日(土)スタート 20:00 乞うご期待。
基本的に偶数月 第3土曜日を定番としております。

07.12(け)

2007/12/20(Thu) 15:45


  「add 9th 列伝 十六」

突然のことに驚いて目をみはる様を”鳩に豆鉄砲”という表現としてよく用いるが、実際のところ、”豆鉄砲を喰らった鳩を見たことは無い。しかし、おおよそこんな顔をいうのだろうと、つい想像してしまう程、驚いた様な表情で熱く話をする男が居る。
 斉藤 謙一。年齢不詳。通称”謙一っつぁん”。人は彼のことを”歩く博物館”と云う。といっても彼自身が特に珍しい生き物でも、国の天然記念物に指定されている訳でもないが、実際、博物館や記念館、何々展といった館内の展示物やディスプレイに関する仕事を生業とする。最近では山梨県立文学館やウルトラマン伝説展など幅広く手がけている。東京都写真美術館も関わりが深く、ここで催される展覧会のほとんどを彼からの招待券で私は観覧させてもらっている。何とも有り難い話である。また彼は職業柄ゆえか、実に様々なことに驚くほど詳しい。雑学の博士と言っても過言ではない。”歩く博物館”と称される所以である。数年前になるが、蕎麦の卸業者の方と遭遇し話は自然に蕎麦談義となった。初めのうちは穏やかに進行していたのだが、何かの拍子にスイッチが入ってしまった謙一っつぁん、豆鉄砲を食らった様な面持ちで速射砲の如く喋りまくること数分。勝負あり。「なんでそんなに詳しいんですか?お蕎麦屋さんですか?」と卸業者の男性がかわいそうに舌を巻いてしまった。後日、この男性が勤める会社の製品をわざわざ持参され「よかったらこの前の方と召し上がってみて下さい」とご丁寧に言い残して帰られた。その後、この男性は現れなくなった。。。よほどこの一件が引っかかったのか、しかし、彼の顔と名前は憶えているので、どこかで遇えば必ずお礼と美味しかった報告をしようと思っている。謙一っつぁんも味は素直に認めていた。
事実、彼(謙一っつぁん)は”金額に関わらず安くても良いものは良い。ではどうしていつまでも人々を魅了し、すばらしいと感動を与える凄さ、秘密は何処にあるのか?”と常に子供のように無垢な探究心を持ち、興味のあることはとことん調べ勉強する男だからこそ否応なしに博識になったのだろう。
蕎麦にカメラに乗り物全般、六法全書に世界情勢、歴史一般などなど挙げれば切がない。訊きたいことがある方は気軽に質問をしてみるといい。例の面持ちで詳しく話しをしてくれるはずである。ただ、音楽の話は避けた方がよい。何故なら唯一彼が興味のないことは”音楽”なのである。それがまたどうしてウチのような店に?!と何とも興味深い話である。

07.11(け)

2007/11/23(Fri) 23:31


  「add 9th 列伝 十五」

英国元首相チャーチルの究極のドライ・マティーニや007・ジェームズ・ボンドで有名なウォッカ・マティーニ、
文豪ヘミングウェイの豪快なフローズン・ダイキリなど、酒へのこだわりも人それぞれで興味深いものがある。
 高木 英里。通称”えいり君”。
ブルーズをこよなく愛し、そのブルーズには「飲みづらいバーボンがよく似合う」と語る彼も、大好きなエズラ・ブルックスをロックで飲む時、「氷はステアーしないで下さい。」とこだわりの有る注文をする。数年前、初めて来店された時、派手なシャツに蛇柄のジャケットを羽織って現れたのをよく憶えている。確か大きな手の指にも派手めの指輪が目立っていた様に思う。マーロン・ブランド主演の映画で「蛇皮の服を着た男」というのは観て知ってはいたが、実際に蛇柄の上着を羽織った男性を目の当たりにしたのは生まれて初めてであった。しかし、その恵まれた立派な体格ゆえか、ちっとも変でもキザでもなかった。むしろ着こなして自分のものにしていたのが心憎い。
ブルーズマンでは、フレディ・キングにジミ・ヘンドリックス。「ジミヘンは音楽とセックスをしていると思います。」と言う。生業のかたわら彼も愛用のフェンダー・サイクロンを片手に、弾き語りのライヴを続けている。その姿勢は酒の飲み方同様、頑固でありつつも、素直な一面を窺わせる。
好物は四川風マーボー豆腐。近くの中華屋では”錦”の”たんたん麺”。画家はエゴン・シーレ。確かに色調は一環して似ている気がする・・・。ほんの数ヶ月前までフロ無しのアパート住まいをしていたが、「今は引っ越して、フロ付き彼女付きです。」と嬉しそうに話す。 
 来月、彼が仲間と共に立ち上げた写真家集団”5番目のドア”の第2回目の写真展が催されると言う。
「一瞬に一生を賭けることもある。一生が一瞬に思える時もあるだろう。」と画家の香月 泰男は言った。
一度の人生、こだわりを持ちながら、好きなことを続けられるのは幸福なことである。
高木 英里。決して標識を見失うこと無く、いい具合にこれからも転がり続けてゆくのだろう。

07.02 (け)

5番目のドア 写真展 「変化」 A Story goes on... 07/3/19(mon)〜3/25(sun) 11:00〜20:00(最終日 19:00迄)
                           泉の森会館 2Fギャラリー
                           狛江市元和泉 1-8-12 TEL 03-5497-5444

2007/02/12(Mon) 22:17


  「add 9th 列伝 十四」

”いつも陽気なシンガー・ソング・ランナー。”山田 国広。40歳。こよなく愛す高円寺に住み着いて早、数十年。
add9th bandのヴォーカリストでもあり、自身のバンドも都内のライヴハウスにて活動をしている。
たくさんのオリジナル曲を持ち、ロックンロールから美しいバラード、レゲエ調の作品まで実に幅が広い。
一見、アル・パチーノ似のいい男だが、いったん喋りだすと誰もが認めるチャラけた三枚目。勿論そこが彼の素敵なところであり、アホなところであり、また他人を惹きつける所以でもある。素面でも酔っていても、老若こだわらず傍に女性が居ると、「お姉さん、とても美しい方ですね。」と真顔で声をかける。彼流の挨拶代わりのジョークなのだが、以前、同じように声をかけたところ、中国人であったオバサンに怖いくらいに睨まれたこともあった。
 大型自動二輪、大型特殊自動車の免許を持つ運動神経抜群の彼は、ここ数年マラソンに凝っている。一時は自宅から片道2、30分をかけ、走って通勤をしていた程である。たくさんのレースにも参加し、常に完走を遂げている。その時々の様子をこれまたおもしろおかしく話す。どこまで事実でどこから虚構なのか、または、ひょっとして全てが事実で全てが虚構なのか、錯覚に陥ることがあるので要注意である。一昨年だったか、突然「オーロラが観たいから、アラスカに行ってくる」と言って一人旅立ったことがあった。不思義に、この男を見ていると不可能なことでも魔法使いのように、思い通りになるんじゃないかという気にさせられる。絶対に己の苦労、努力を他人に見せたくないという信念、また、義理に篤い彼が長年に亘って演じ続けてきた道化の姿に妙な信頼感がそなわったということかも知れない。
彼の走っている姿を見たことはないが、映画「運動靴と赤い金魚」の少年のように、無心に真剣な顔で黙々と走っている姿が目に浮かぶ。そして無事、完走を果たし係員の女性が現れると、ハァハァ息を切らしながらも声をかけているのにちがいない、「お姉さん、とても美しい方ですね」と。

06.08(け)

2006/08/25(Fri) 02:43


  「add 9th 列伝 十三」

私が子供の頃、町内には何人かの「おせっかいオバサン」が居た。何かと首を突っ込み、話かける。口癖は決まって「あんた何処の子なん?」。また、ちょっとした悪さ、悪戯にも「コラーッ!」と烈火の如く怒鳴り、逃げると猛ダッシュで追いかけて来た「雷オヤジ」も居た。
いたいけない子供に対する犯罪が多発する現在、懐かしくも社会全体が子供を温かく見守っていたこの国の善き習俗を取り戻したいものである。
”雷オヤジ”ならぬ”雷を呼ぶ男”チャーリー。またの名”徳さん”。生業は避雷針を取り付ける仕事。ペン字4級、習字6級の資格を持つ。好物は”タコの吸盤”。趣味は立飲み屋でホッピーを飲むこととベースを弾くこと。それとやくざ映画鑑賞。以前仕事中に誤って落下し足を骨折。自宅での安静中、東映のVシネマ・チャンネルに加入、朝から晩まで飽きもせず観ていたと言う。確かに、縞のWのスーツに少し色の入った眼鏡、パッと見ただけではさっぱり何時か判らぬ派手な金の時計の趣味などからすると解る気がする。しかし、レンズ越しに映る彼の大きな丸い瞳は、実に優しくて人情味ある人柄を表している。音楽イベントに参加して頂いた際、仕込みからバラシまで、文句ひとつ言わずに手伝ってくれたことや、使っていないベース・アンプを「よかったら使いなよ」と持って来てくれたこともあった。
”浅野 雄司とザ・フリーフェイク”。ムード歌謡を主に演るこのバンドで彼はベースを担当している。結成当初、皆で薄紫色のスーツを新調したそうだ。わざと少しハズシて生きることにこの上ない喜びを感じるのか、人生を存分に楽しんで生きている様に見える。羨ましい男である。
「最近、ジャズ・トリオ演りたいねー」と少し顔を傾け、左指を動かしながら言う。もうすぐ恒例の”狛江バンド・フェスティバル”に彼も出演予定だと言う。一昨年だったか、ウチのバンドもご一緒させて頂いた折、定刻どうりに彼が駐車場に入って来た。ハイエースの後部にはウッド・ベースとアンプ。そして何故だか”やきとり”と書かれたノボリとよしずが並んであった。これも彼特有の少しハズシた狙いのひとつだったのだろうか。

06.05(け)

2006/05/26(Fri) 16:20


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