暮らしと教育


シンガポールに着いた次の日の朝、私は友人宅に電話をかけた。
偶然にも友人の家は、私たちが泊まっているホテルのすぐ近くだった。
友人は私たちを飲茶屋へ案内してくれた。
この国はどこへ行っても、上着を羽織いたくなるほどクーラーがきつい。
が、その店は、それほどでもなく上着の必要がなかった。
友人にそのことを話すと、
「ここはお客が多いから寒くないのよ。お客が減ってくると、ここも寒くなるの。」
と言った。なるほど、そう言われてみると、その店は混んでいた。
華僑の人たちはおいしいものを食べることにトコトンこだわる人が多く、
おいしい店と聞けば、遠くからでもやってくるのだそうだ。
だから、混んでいる店はおいしいことが多い。

食事が終わると、友人は、私たちを自宅へ招待してくれた。
30数階建ての立派なビルの22階だった。
リビングは、おそらく、30畳近くあっただろう。
その他に個室が3つ。
洗濯部屋やメイド部屋もあった。
が、ベランダがない。
でも、洗濯物を干す場所に不自由することはない。物干し部屋があるからだ。

シンガポールはとても小さな国だ。淡路島と同じくらいなんだそうだ。
よくそれで国家をやってるもんだと感心する。
車を1時間も飛ばせば、マレーシアへ行ってしまう。
都心には、いかにも設計に苦労したと思われるような美しい高層ビルが多い。
日本の都会と違って、ビルとビルがくっついて建っていないし、緑地が多いから、
高層ビルが多くてもビルの谷間を歩かされているという圧迫感がない。
外から見ていたときは、あのビルはみんな会社なのだろうと思っていたが、
彼女の家へ行って人も住んでいるのだということがわかった。
あくまで私の想像だが、
「都心の住宅にはベランダをつくってはいけない」とか
「窓から洗濯物を干したら、○○ドルの罰金」とか、
そんな法律があるに違いない。
ビルの芸術性や都会の美観を損ねないために、
ベランダ&洗濯物禁止なんだと思う。

シンガポールで、メイドを雇っていたある日本人の奥様のお話。
帰国直前になって、雇っていたメイドが自宅へ招待してくれた。
シンガポール人は、ほとんどの人が持ち家に住んでいる。
(’97年現在の調べで94%とのことだから、今ではもっとだろう)
公共団地を購入して住んでいる場合が多いが、
そこでも広さはだいたい80〜150uはある。
奥様はメイドの招待に応じ、彼女の家へ遊びに行った。
メイドは、奥様の日本の自宅よりずっと広い家に住んでいた。
奥様は帰国するのがイヤになった。

  

シンガポールは、小学校でも義務教育ではない。
児童の人数に比べて学校の数が少ないために午前の部と午後の部に別れている。
というと、いかにも教育不熱心な国のように見える。
でも、それが全然違う。

シンガポールの子どもたちは、7割方がメガネをかけているそうだ。
その理由がマジで勉強のし過ぎだというから驚きだ。
みんな小さいときから、やっきになって勉強する。
「子どもに勉強させるから」という理由で仕事を休むお父さんがいるんだそうだ。

なぜ、そんなに教育熱心なのか。
それは、選別テストがあるせいだ。
小学校4年の終わりに全国共通の一斉テストがある。
その成績で5年生からのクラスが別れるそうだ。
このとき一番下のクラスに入った子たち(約20%)は上級学校へは進めず、
卒業後は職業訓練校へと進むことになる(村井雄著「都市国家シンガポール」による)というから、
低学年のうちから親が必死で子どもに勉強させるわけだ。
高校進学率は2〜3割、大学へのチャンスは一握りの優等生だけにある。
シンガポールには、「大器晩成」なんて言葉はない。

友人の話によると、モンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園がとっても多い。
が、シュタイナー教育を取り入れた幼稚園の話は全然聞かない。
将来、テストに強い子になってもらうためには、
教育結果に即効性のない、のんびりやなシュタイナー教育より、
「モンテッソーリ教具で大きさや深さの勉強ができる」
といったわかりやすい教育が、親たちには受けるのだろう。
5歳になると、みんな、2カ国語で作文が書けるように仕込まれ始めるのだそうだ。
恐怖の選別テストがあるから、親たちの熱心さも生半可じゃないのだろう。