日本人墓地


シンガポールでは、どこを観光するかあまり決めていなかった。
が、「日本人墓地」へだけはどうしても行ってみたかった。
からゆきさんたちが眠っている日本人墓地だ。
日本人墓地は、シンガポールの北、中心地から少し離れた郊外にあった。
墓地のまわりには、一戸建ての美しい家が建ち並んでいる。
そんな静かな町に日本人墓地はあった。


墓地に入るとすぐ立派な石塔が建っていた。
これは金持ちの偉い人たちのものだ。
からゆきさんたちの墓地は、小さな石が地面につきささっているだけ。
もう、石はすり減って名前も判読できない。
でも、この小さな石塔たちがからゆきさんのお墓に違いない。


子どもに「誰のお墓なの?」「どうして、そのお墓に来たかったの?」と尋ねられた。
「8歳か9歳くらいの小さな女の子たちがお金で買われて・・・」
そう言いかけて、涙があふれた。でも、続けた。
「昔、貧乏な親たちが、自分の家の女の子をお金で売った時代があったんだよ。
その子たちは、どこへ連れていかれるかもわからないまま、船に乗せられて、
遠いシンガポールやその他の国へ連れて来られて働かされたんだよ。
みんな、早く病気になって、20歳くらいで亡くなってしまった子たちがいっぱいいるの。」
娘にとっては、親と離ればなれにさせられるというだけで充分恐ろしいことだった。
「お母さんは、私を売らない?」
「売らないよ」
「誰が女の子たちを買ったの?」
「女衒」
「その人悪い人?」
「うん、悪いよ。」


からゆきさんは、明治のころには「淫売」「娼妓」「賤業婦」などと呼ばれた。
船の地下の水のタンクに隠された少女たちがいた。
船が出発して数時間後タンクに水がはられ、
そこに閉じこめられていた少女たちは逃げ出すことさえできず、みな溺死した。
そんな話を思い出した。

金持ちのお嬢さんたちは貞淑な乙女であることを求められた。
でも、売られた少女たちは、馬牛と同然。
第1代総理大臣の伊藤博文は、
「淫売は、馬牛と同様なので、人ではない」と言ったそうだ。(唖然)

当時から、ここの陽射しは変わらないはずだ。
からゆきさんとして売られた女の子たちも、きっと、この陽射しを浴びていたのだろう。
彼女たちの墓のそばに、白い花の咲く木があって、美しく散っていた。
私たちは、家族で、その花を拾い、お墓にたむけた。
親と別れ、知り合いもいない外国の地へ送られた子どもたち。
異国で一人、月経を迎え、見ず知らずの男たちに体を襲われ、
働けど働けど、借金は減らず、遠い異国の地で命を落としていった。
一人一人に一つ一つの物語があったろう。
私は墓に手を合わせた。