第63号 お小遣い

今年の正月、長女(小4)は携帯電話をゲットした。
お年玉で買ったのだ。
「いい買い物をした」と娘は大変満足していた。
購入前、娘はそれなりに悩んでいた。
はじめは、小声で
「ほしいものがあるんだけど、買ってもいいかな」
と、言いにくそうに私に相談してきた。
聞けば、スーパーの子どもだましお菓子売り場に陳列されている
おもちゃの携帯電話”DOCOもしもし”だというではないか。

対象年齢3歳以上
金480円+消費税也


「買ってもいいけど、絶対後悔しないって言える?」と、私は念を押した。
娘は、「絶対後悔しない自信がある」と言った。
「だったら、一晩寝て、それでも買いたいと思ったら買えばいい」と助言した。
次の日、携帯を手に入れた娘の喜びようは大変なものだった。
父親の携帯の充電器に自分のおもちゃの携帯を乗せたりしていた。

私は、小学校1年のときから親に小遣いをもらっていた。
小遣いをもらうにあたって、
私は、父親から金銭出納帳と書かれた帳面を渡された。
新しいページになると「前からの残り」という項目を書き込んだものだ。
たまに父の気が向くと、金銭出納帳の会計監査が行われた。
帳面は残高284円となっていても、
財布の中には272円しかないなどということはよくあった。
でも、そんなとき父はいつもこう言った。
「じゃあ、○月○日消しゴム1個12円としておけ」
父は帳面ヅラと財布の中身が一致していることにのみこだわっていた。
そんな小遣い体験をして私は子ども時代を過ごしたが、
それで私の金銭感覚に問題が出たとは思わないので、
私も自分の子どもには私の父親流を取り入れ、
小学校にあがったら小遣い帳をつけさせるという条件で小遣いを与えている。
しかし、帳簿にウソの記入をする指導はしていない。
合わなくなったら、突然新ページに切り替え、心改めて「前から残り」と始める。

小遣いについて私はこんなふうに考えている。
子どもに小遣いを与えたら、子どもを信じて子どもの自由に使わせていい。
しかし、親が与えたお金だ。
親は子どもがどんなことにお金を使うか知る権利はある。
よって、子どもはお金を使う前にお金の使途を親に報告する義務がある。
子どもがほしいと思うものは、親から見たらくだらないものが多いだろう。
しかし、そこはちょっと大目に見てやって、
それがどんなにくだらないものであっても、
「あれはダメ」「それはダメ」などとは言うまい。

長女に小遣いを与えはじめたばかりのころ、
娘はとにかく”自分のお金”をもつことに喜びを覚えていて、
「使いたい」とは言わなかった。
だから、お金は少しずつだが、貯まっていった。
2年生になってから、近所の駄菓子屋でなにか買いたいというようになった。
それで、毎週木曜日が駄菓子屋の日になった。
はじめのうちはワクワクとひとつ買うにも迷いに迷って選んでいたが、
そのうち、それにも飽きて、駄菓子屋通いはやめてしまった。
小3の夏ごろ、1400円近く貯めた小遣いでアニメのCDを買いたいと言い出した。
たぶん、あれが娘がはじめて自分の小遣いで買った大きなものだったと思う。
次に娘は600円の”サイン帳”なるものを文房具屋で買った。
このころまで、娘の小遣いの使い方にハラハラすることはなかった。

小4のある日、学校から帰るなり、
「お小遣いで○○ちゃんとカラオケに行く!」と言い出した。
本人は、親が不平を言うなどとは思ってもいない様子で嬉々としている。
私は思いがけない娘の提案に、すっかりあわててしまった。
「ええ、子どもだけでカラオケ!」
「○○ちゃんは、こないだ子どもだけでカラオケ行ってきたんだって。
30分100円でジュース付きなんだよ!」
「いいけど、でも、子どもだけでカラオケに行くなんて!」
「ええっ!!ダメなの!?」
利口な母なら、そこでドギマギせずに冷静な判断がくだせるのだろうが、
私にはそんな能力がなかった。
カラオケに行きたいという娘の思いはかなえさせてあげたい。
しかし、私の考えではカラオケなんて子どもだけで行く場所とは思えない。
だったら、私がついていけばいいのだろうが、
娘がせっかく小遣いで行くといってるのに、
大人500円なんか払ってまでついていきたくない。
そんな邪心でいっぱいになって、私の頭はパニックになり、
娘のほうは私の優柔不断な言動にイライラし出した。
結局、私は、カラオケ屋の前までついていき、子どもが30分間カラオケをやっている間、
商店街で買い物してヒマをつぶし、カラオケが終わるころ迎えにいくということで決着した。
余談だが、カラオケ屋に入るとき、娘たちのクラスの担任の先生に会ってしまった。
先生は「楽しんできてね」と言ってくれたが、私はちょっと恥ずかしかった。
その晩、私は娘にカラオケに子どもだけで行くことの危険性を冷静に述べた。
娘は、友達とカラオケにいくと、カラオケ慣れした友達ばかりがガンガン歌って、
自分はろくに歌えないから、カラオケは親のお金で家族で行くほうが得だと悟ったらしい。

またあるときは、娘は学校から帰るなり
「友達と○○屋さんに行ってくる!!」
と言って家を飛び出して行った。
○○屋さんというのは近所の駄菓子屋だ。
友達とお金を使うなんてカラオケ以来の出来事だった。
何がほしいのやら、たぶん、くだらないものを買ってくるんだろうと思っていたが、
案の定、娘は365円分の駄菓子を袋にいっぱい買って帰ってきた。
娘は非常に興奮して喜んでいた。
あんまりうれしそうだったので、「こんなに買えてよかったね」と言ってあげた。
仕事から帰ってきた父親も娘の喜びぶりを見て
「ああ、わかる、わかる。こんなつまらんお菓子を買ったのね。
そりゃ、うれしいことでしょう」と共感してくれた。
しかし、何日かしてから娘は言った。
「アタシ、もう○○屋であんなに買わないんだ。
だって、お金がこんなに減っちゃったんだもん」
そして次から○○屋へ行くときは100円以上もっていかないことにしたそうだ。

子どもに小遣いをどう与えるか、その親によってそれぞれ違うだろう。
でも、それは親の価値観で決めていいと思う。
だが、「おごる」「おごられる」関係は絶対よくないと思う。
子どもの判断に任せていい部分と大人の判断で子どもを導いていくべきところを
大人はしっかり把握しておかなければならない。

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