「9歳の危機」とは・・・



小4の子どもをもつ母親が子どもの変化に気づいて悩む声をよく耳にします。
母親たちは子どもを理解したいのに、
なんだかこのごろ我が子が何を考えているのかわからない。
何を言ってもいうことを聞かないし、それどころか親を批判したりする。
「反抗期なのかしら」と母はさびしくため息をつくのです。

そんなとき、シュタイナーが言っている「9歳の危機」を知っていると、
親はこの時期の子どもを理解してあげることができます。

幼児期、母親の中にいた子どもたちがだんだん母親の中から出ていこうとします。
仲正雄先生の言葉を借りると、こうなります。
「幼児期の子どもは、母親を背中に感じていました。
9歳前後の子どもたちは、母親を隣に感じるようになるのです。」

「背中に感じていた」というのは、どういうことでしょうか。
母親に包み込まれている、母親と一体化している・・・そんな感じです。

「隣に感じるようになる」というのは、もう、母親の体に子どもは包まれていないのです。
子どもは、母親のひざから立ち上がり、母親の隣に座ったのです。

母親のひざから降りた9歳の子どもたちは、
自分の周りにいる人たちが、自分とは別の人であることを実感するようになります。
そのとき<死>の恐怖を味わい、孤独感や寂しさにおそわれます。
9歳は、幼児期に別れをつげ、別の世界に入っていく子どもにとっては一番大事な時期なのです。


特別付録

「自分の子どもが9歳の危機を体験しているとき、
自分は親としてどうすることが一番望ましいか」について
とてもわかりやすく述べている仲正雄先生の文章があります。
以下、抜粋引用しますので、興味のある方はご参照ください。

親も兄弟もそして先生も、みんな友達であってほしいのです。(略)

先生も本当は友達であってほしいと願っているといいました。
もしかすると「先生は子どもにとって友達なんかではなく、子どもの前に権威をもって立っていなければならない存在なのである」と反論する人もいるかもしれません。もちろんです。先生が子どもの前にたってナアナアの単なる友達でいれば、子どもは授業から喜びを得ることはないでしょう。子どもにとって先生はどこまでいっても先生で、尊敬すべき存在なのです。しかし一方で子どもたちの中に、先生という存在にも、ただの権威ではなくもうひとつの像を認めようとする要求が育っています。その要求の中で先生も今は友達として見えているのです。(略)

(幼児の子どもにとって)親というのは甘える対象でした。この甘えているというとき、子どもは自分を親にすっかり預けてしまえるということです。絶対の信頼感といえるものをそこに認めているから甘えられるのです。ところが小学校にはいった子どもにとって、親というのはただ甘えるためにいるだけの存在ではなく、親身になって話を聞いてくれる、自分のことを子どもの頃からよく知っている一番親しい友達であってくれたらと願っているのです。この点を親御さんたちが理解しない限り、子どもたちとは本当の信頼関係を持つことはないでしょう。(略)

もう甘えることで環境から栄養を取ることは終わったのです。権威に服従することもないのです。幼児期は過ぎたのです。(略)

9歳児のもつ特殊な在り方は新しい社会関係、人間関係である横のつながりをマスターした時点で克服されるものです。親御さんたちはただ手をこまねいて見ているだけでなく、子どもの友達になる努力をすればいいということになります。

出典:Jan.&Feb.1999,No.93 日本アントロポゾフィー協会

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