セブンを撮った場所 番外篇



「怪奇な京都を巡る」







05年9月 「怪奇な京都を巡る PartW」



未発表ロケ地を求めて

@尾行される統三を信子はんが待ち伏せする路地

Aリュート物質を手に統三が逃走する路地

          

        05年9月、「PartV」の旅を終えて東京に戻り、「怪奇大作戦・京都篇」
        のDVDを観た。
        その時、未発表のロケ地で、手がかりがありそうな場所に、気がついた。


        両者ともに、京都らしい町家の建ち並ぶ路地で撮影されている。撮影の時か
        ら40年近い月日が経っているので、町家の多くは残っている可能性が低い。
        
        しかし、両者が「T字路」であることに着目したのである。碁盤状に整備さ
        れた京都の町で、T字路は有力な手がかりになるのでないか。

        証拠は画面の中にしか存在しない。食い入るように画面を見回す。何度も止
        め、また動かす。そして、幾つかの手がかりの材料を発見したのであった。






               @尾行される統三を信子はんが待ち伏せする路地



        


              このシーンの最後、引かれた画面の奥には、
              壁面に「水」と大書された銭湯が写っている。



                


      京都でT字路に位置する銭湯は、そう多くないのではないだろうか。しかし

      40年近くも前のことであるので、廃業や移転の可能性もある。とりあえず、
      現在の京都市内の銭湯所在地を調べてみた。
      するとよくしたもので、京都の銭湯を徹底研究したサイトに出会えたのだ。


         「京都極楽銭湯案内」の著書もある、林宏樹さんのサイトである。
      「お風呂屋さん的京都案内」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/ofuroyasan-teki/

      こちらのサイトでは、京都の全銭湯を網羅し、それぞれの外観写真や地図が
      掲載されている。
      各銭湯の個別情報から、T字路に位置する銭湯をピックアップした。
      その上で、画面のアングルを検討するため、詳細な地図で立地を確認した。
      結果、「白山湯六条店」が候補にあがった。


        「白山湯六条店」は、天然名水の湯をうたっている。外観写真によると建物は
      改築されたようで、外壁に「水」の文字は見当たらない。しかし、旧来は掲
      げていたとしても不思議ではない。
      場所は下京区蛭子町、新町通と六条通りの「T字路」である。地図を見ると
      直前のシーンが撮られた正面通りのロケ現場からもほど近い。


      


      画面で見られるように「統三・三沢・野村の衣装は同じであること」や「晴
      天の天候も変わらないこと」などから、双方は、近い距離で連続して撮られ
      た可能性が高い。

      これらの点からかなりイイ線であると思われた。






           Aリュート物質を手に統三が逃走する路地



          


         画面以外に、ロケ地を特定できる手がかりは全く無かった。しかしどこかで
      見たことのある気がした。逃げ去って行く統三の先に写るコンクリート塀に
      記憶の何かが引っ掛かったのだ。その根拠は全くなかった。

         まずシーンのつながりを考えた。
      前シーンは、市井商会の倉庫らしき場所。執拗にリュート物質を壺に塗り込
      む統三のもとに、町田警部らが乗り込む。逃走する統三。後シーンで妙顕寺
      に逃げ込む。
      一連のシーンに登場する、統三・町田三沢・野村らの衣装は、倉庫から逃走
      を経て妙顕寺まで同様だ。
      そこで、セット撮影と思われる倉庫は別に考え、ロケ撮影である妙顕寺との
      移動の簡便性と町並みの作りから西陣地区に目をつけた。

      西陣地区とは、今出川大宮を中心にした半径1qほどの範囲を指す。大雑把
      に言えば、烏丸通り・鞍馬口通り・西大路通り・丸太町通りに囲まれた地域
      である。
      応仁の乱の当時、山名宗全が率いた西軍の本陣があったことから「西陣」と
      呼称された。堀川通五辻西入ルには山名宗全の邸宅があったとされ、小さな
      石碑が残っている。西陣は
1200年もの歴史を誇る織物の街。京都の中でも、
      昔ながらの町家が多く残る地域で、細かな路地も多い。

         つぎに音である。統三の逃走シーンでは、歌舞音曲の流れている。何故に、
      歌舞音曲がかぶっているのだろう。これは撮影前から意図されていたことな
      のだろうか。もしかしたら、現場で拾った音がヒントとなった、という偶然
      もありうるのではないだろうか。
      つまり、たまたまロケ中に付近から歌舞音曲が流れていて、これは「使える」
      と思いついたのでないか、という推測である。

      京都には五つの「花街(かがい)」がある。
      「花街」は、座敷を提供する「お茶屋」と芸妓や舞妓を派遣する「屋形」か
      ら成り、芸妓や舞妓が芸事を研鑚する「歌舞練場」を持つ。祇園甲部、祇園
      東、先斗町、宮川町、上七軒の五か所である。

          

      祇園甲部は、「呪いの壺」タイトルバックを撮った祇園町南側。
      祇園東は、祇園町北側の新橋通り周辺。
      先斗町は、鴨川右岸で四条と三条の間。
      宮川町は、鴨川左岸で四条と五条の間。
      上七軒は、北野天満宮の門前。



      このうち上七軒は、西陣地区に位置している。
      室町時代に、北野天満宮を修造した時の用材で、七軒の茶屋を建てたのが始
      まりである。豊臣秀吉の「北野大茶湯」の際には、休憩所として使われた。
      古い町並みは京都市の「界わい景観整備地区」に指定されている。景観整備
      指定地区ならば、古い町家が残っている可能性も高い。

         ただし、町家が残っていなければ、確定もかなり困難だろう。


                    


         こうして、

        @尾行される統三を信子はんが待ち伏せする路地→新町通六条

      Aリュート物質を手に統三が逃走する路地→西陣(上七軒が最右翼)


         との候補地が挙った。
      実際に現地を訪れて検分しなければならない。
      残暑の嵯峨野巡りから3週間、05年9月下旬、この月二度目の京都へ向かった。


      当日、日本航空の株主優待券を手に羽田空港に着いたのは、正午を少し回った頃
      であった。今回の京都行は、往路に半額となる株主優待券にて空路。復路には、
      JR東海ツアーズのワンドリンク付き割引キップ「ぷらっとこだま」を使った。
      それぞれ
9800円也。「青春18キップ」が使えない時期の苦肉の策である。

      羽田と伊丹を結ぶ空路は、日本航空と全日空が交互に、ほぼ30分毎に発着するシ
      ャトル便だ。
午後1時頃の日本航空便で伊丹空港へ飛んだ。大阪繁華街の上空を
      低空で縦断する伊丹への着陸航路は、好きな眺望のひとつである。伊丹から大阪
      モノレールと阪急電鉄を経て、京都四条烏丸に着いたのは、午後
3時すぎだった。

          

      前回訪れた大衆食堂「萬福」で「京都のたぬき」を楽しむ。出汁の旨さとやわら
      かうどんに舌鼓を打った後、新町通りをぶらぶらと下ることにした。しばらく歩
      き、五条通りを渡る。だんだん緊張してきた。目指す新町六条はもう目と鼻の先
      である。狭い一方通行路には、ひっきりなしに車が通る。道端の軒先に身を寄せ
      て大型車をやり過ごす。左手に煙突が見えてきた。真実はそこにある。






             @尾行される統三を信子はんが待ち伏せする路地

      新町通りも狭かったが、T字交差する六条通りはさらに狭かった。同じく「○条
      通り」を名乗る四条通りや五条通りなどの大通りとは段違いである。

         六条通りの小路に入り振り返る。胸が躍った。間違いない。


                     新町通六条

              

         「こんな肺病やみに将来のこと任せて失敗やったなぁ…なぁ信子はん。」
        「統三さん、病気のことなんか気にしてへん、ウチはアンタが好きなんや。」


         地面レベルからでは、足場を組み俯瞰撮影をしたと思われる画面アングルとは異
      なるが、正面に銭湯、角には床屋がある。
      ともに建物は改築されているものの雰囲気は残っていた。
      下京区蛭子町、新町通六条が、信子はん待ち伏せシーンのロケ現場である。


          

       新町通りを南から歩いてきた統三は、床屋の角を左折して六条通りに入った。


          

       その曲がった所に信子はんが待っていた。歩き続ける統三と問い詰める信子はん。


          

       統三にすがりながら話しかける信子はん。立ち止まった二人を見張る三沢と野村。


         ここで一連のカットが撮られたのだ。
      それにしても狭い通りだ。この道幅で横からの移動を行ったのかと思わせる。

      この日の宿は、ロケ現場から100mと離れていないゲストハウスの「コスタ・デル
      ・ソル」。沖縄の石垣島で営業しているゲストハウスの京都出店である。ゲストハ
      ウスとは、ドミトリーという二段ベッドの男女別相部屋を基本スタイルにする安宿
      で、東南アジアに数多い。ヒマはあるけどカネはないバックパッカーに人気だ。
      空室の有無を尋ねてチェックインする。ひと休みしたら、名水の湯を味わうことに
      しよう。ロケ現場確定の大きな手がかりとなった「水」の文字に敬意を表して…。


                    

         翌日、新町通六条界わいから正面通り西本願寺門前にわたって散策する。
      リュート物質を風呂敷に包んで歩く統三を信子はんが塀ごしに見守るシーン、の
      ロケ現場を探してみたのだ。

      信子はんの衣装は六条通りのシーンとは変わっているが、京都町中のロケで信子
      はんが参加しているのは、この辺りで撮影された日だけと思われたからである。
      あてもなくふらつくうち、気になった場所があったので撮影をする。確証は全く
      ない、そんな気がしただけである。


             

             

      新町通りを五条通りへ20mほど進むと右手に入る小路がある。的場通りと名付け
      られているが標識はない。細い道は少し進むとやや幅広くなる。この作りがなん
      となく匂う。画面をよく見ると、信子はんの背景に写る家と似ている気もする。


         新町通六条に戻り、六条通りを西へ向かう。六条通りはこのT字交差から西へ向
      かって細長い商店街となっている。生活に密着した飾り気のない商店街だ。観光
      客向けの「京風」という幻想とは無縁の「本当の京都」がそこにはあった。
      
      ぶらぶらと進むと堀川通りに突き当たった。堀川通りを走るバスに乗り、堀川鞍
      馬口で下車する。鞍馬口通りを西へ向かって2日目の宿、ゲストハウスの「月光
      荘」にチェックインした。
      沖縄那覇の人気ゲストハウス「月光荘」。こちらも沖縄からの出店である。織田
      信長・信忠親子が祀られた舟岡山の麓、西陣の北のはずれに位置するここを足場
      に、レンタサイクルで、西陣の地域を隈なく回る腹づもりである。

         腹が減っては戦はできない、腹づもりよりも腹ごしらえ。自転車で真っ先に向か
      ったのは、大宮通りと御園橋通りとの交差点近くの「中華サカイ御園橋店」だ。
      日本一とご自慢の「冷めん」は、モチモチとした中太の麺に、ほどよい甘さと柔
      らかな酸味の効いたタレが良く絡む。上に乗った刻みノリ、麺の中に隠れた焼豚
      とキュウリを掻き混ぜる。するとまた旨さが増してくる。

                    

             「中華サカイ御園橋店」冷めん焼豚入り670
                 北区大宮東総門口町38-3 075-492-4965





           Aリュート物質を手に統三が逃走する路地
      
      ロケ現場候補の最右翼である上七軒は西陣の西のはずれにある。そこで、東の端
      からT字路を求めて彷徨うことにした。烏丸通りの地下鉄鞍馬口駅付近から捜索
      を始める。鞍馬口通りと中立売通りとの間を、一筋毎に南へ下り、北へ上る。 

      「妙顕寺」の北側に、細い路地が絡み合う一角があった。T字路もあったが雰囲
      気が違う。
      「妙顕寺」西隣の小川通りには、裏千家と表千家の茶室や茶器店が建ち並ぶ、町
      家建築がよく残された地区である。石畳に整備された路盤には、打ち水がなされ
      ている。凛とした空気が漂っていて、敷居の高さが伝わってくる。もっと庶民的
      な雰囲気だったはずだ。

          

      今出川通りを越えて、晴明神社裏手の大宮通りへ。ここでは「町家再生プロジェ
      クト」が進行しており数軒の町家が残されている。町の区画が大きいような気が
      する。もっとこじんまりとした町割りだったはずだ

      進路を北に変えて五辻通りへ向かう。五辻通りには細かい路地が何本も交わって
      いる。西陣では、上七軒に次ぐ候補地だ。五辻通りを西に進みながら南北への路
      地をひとつひとつ行き来した。広すぎる、狭すぎる、T字路でない…。
      
      これという決め手に欠けるまま、今出川通りの上七軒交差点に辿り着いていた。

         変形五差路の上七軒交差点から北西に向かう通りを選ぶ。昔ながらの町家が建つ
      情緒ある町並みだ。お茶屋、老舗菓子司、料理店など、町家建築が続いている。


               

      北野天満宮の入口に自転車を置き、上七軒歌舞練場を求めて、西方尼寺の横から
      路地に入る。歌舞練場を囲うコンクリート塀に沿った細い路地は、少し広めの路
      地に突き当たった。交差点に立ち、辺りの様子をうかがう。
      
      そこには見覚えのある風景があった。
ここだ。間違いない。


                            上七軒歌舞練場裏

                    

              「思うたより早よう嗅ぎつけましたなぁ…待ってました。
                      これで僕も犬死しないですむ…。」

                    


         統三が曲がる角の町家も健在だ。振り向くと走り去る統三の横に写った、特徴の
      あるコンクリート塀も確認できた。上七軒歌舞練場の塀だったのである。
      上京区真盛町、上七軒歌舞練場裏の路地が、統三逃走シーンのロケ現場である。



                

                           リュート物質を手に逃げる統三。


                

                           統三を追う、三沢と町田警部。


                

                          野村の挟み撃ちをかいくぐる統三。


        コンクリート塀に、記憶の「何か」が引っ掛かったはずだ。
     以前、この場所には来たことがあったのだ。京都の古い町並みを巡ったとき、島原、
     産寧坂、石塀小路、祇園、上賀茂、上七軒などを訪れた。
     記憶の奥底に、歌舞練場のコンクリート塀があったのか。それがDVD画像によって
     思い起こされたのか。傾き始めた夕陽の中で、何ともいえない感慨に浸った。


     
充足感に包まれながらペダルを踏んだ。千本通りから鞍馬口通りに入って進むと煙突
     が見えてきた。割烹旅館の建物を転用した京都屈指の名銭湯「船岡温泉」の煙突だ。
     漆で塗られた格子天井からは、牛若丸と鞍馬天狗の彫刻が見下ろしている。
     打たせ湯、薬湯、スポットマッサージに、京都発祥の電気風呂。加えて、遠赤外線サ
     ウナと男女日替わりの露天岩風呂と露天檜風呂をも併せ持つ。まさに風呂のデパート
     だ。しかも入浴料は、これだけ揃って
370円。東京よりも安いのだ。
     ゲストハウス「月光荘」は、船岡温泉の目の前。それでは、怪奇巡りの汗を流し、ロ
     ケ地発見の祝して、冷えたビールで乾杯するとしよう。

              

                         「船岡温泉」入浴料大人370
                北区紫野南舟岡町82-1 075-441-3735









                「怪奇な京都を巡る PartX」





                    





                   「怪奇な京都を巡る PartW」  20/FEB/2006
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