小宮 忠義さんのプロフィール 植林事業、治山・植林、流域管理の専門家として、パラグアイ、チリ、ボリヴィアの各国で、1981〜87年、1990〜97年、2002年の間で10年3ヶ月にわたり活躍。 |
これからも 森林・環境管理、流域管理、治山・植林の各専門分野で活動を続けます。
写真の説明、左は小学生も参加して土壌を調べる、右はカウンターパートの土壌保全組合長も一緒に農民に面接聴き取り調査
タイトル 「住民参加型のイメージと現実」
昨年は南米ボリヴィアのタリハ県地方で「流域管理計画の作成」に協力してきた。プロジェクトの名称は住民造林・浸食防止となっていて、荒廃地域の土地復旧事業所がカウンターパート機関である。
最近、農林業・環境分野では「住民参加型」をうたった技術協力が多くなってきている。林業分野では社会林業という用語もできている。一般的に人々は「住民参加」と聞いてどのようなイメージを持つだろうか?
今回の短期派遣の結果報告時に、日本大使館の書記官は「住民参加と言っているが、実際には共同作業に住民が出役して、単に現場で働いているだけなんでしょう」と理解のすり合せを求めてきた。この発言の背景には「住民参加とは、村の改善のために、住民が皆で知恵を出し合い、何をするか決めて、決定した仕事に皆で参加して汗水流して生活環境を良くしていく」というイメージ、ストーリーを描いているのではなかろうか。大方の人が、このような姿になれば民主的だし、村全体の環境も良くなり、各家庭の生活も向上すると思うだろう。ところが現実は、「まず役所が決めた現場作業に、住民がとにかく出役し、共同で作業する」というところから始まる。
「計画づくりの段階から住民が参加できるか?」、これが課題である。
我々技術専門家が協力に入る村落の住民は教育程度が様々なのが実態である。「村の長、例えば行政区長だけでも確りした教養の持ち主で、こちらから言わんとすることもよく分かり、一緒に相談にのり、その結果を村人に解説できる」という状況ならばまだ取り付き易い。しかし、そのようなリーダー格の人も居ない、さらに集会ではエゴむき出しの発言で会議を混乱させる人が居るなどという状況では、先述のイメージはすっかり壊れてしまう。
あるプロジェクトでは要望や計画に関することを大きな紙に書いておいて、集まった人にトウモロコシの粒などを気に入ったところに置いてもらう(投票する)という手段を使っている。またあるプロジェクトでは、住民の中で比較的確りした仕事をしている人や意欲的な人々をまず引き入れて、第一段階の参加型計画づくりを行った。ただしそれ以外の住民の嫉妬心を高めないための第二段階の行動をとることも大切であると報告している。
今回の流域管理計画づくりでは行政区長さん、土壌保全組合長さんが確りした人だったので、調査地における過去と現在における活動と、将来を見通した要望・意見について面接調査で聴き取った。つぎに農民個々にほぼ同様の面接調査を開始したところ、その内容についてはかなりあやふやになってしまうことを経験した。とにかく聴き取った情報と、カウンターパートとともに技術屋として調査した現場観察データ、所見を総合して計画作りを行った。そしてその結果を住民に解説的に発表し、計画段階までの住民参加の形とした。
このように、現実はそれぞれの土地やケースで種々の工夫を考え試行していくという状況である。
最近「二宮金次郎の一生」をあらためて読んでいる。32歳の時から小田原藩主に請われて家老家の財政再建を行い、その後70歳の生涯を閉じるまで栃木、茨城、福島相馬、静岡韮山までなんと9地域、600を超える村落の復興・開発事業に、その地その地に住み込んで陣頭指揮を執っている。時には喧嘩の仲裁、時には幕府への予算折衝、そして農林・治山治水の技術指導と、総合的な村落開発の指揮である。その中で「仁」の心をもって現場を担う技術者を育てたことにも注目したい。
明治時代から外国人技術者の何人かがやはり地域開発の陣頭指揮を執った。成功したところは、新しい技術を導入する必要性を理解した人物と現場を担う技術者が地元から出てきたことが日本人の素晴らしいところだなとあらためて感心する。
開発途上国の多くの地方で、このような全人格をもって現場指揮をやり遂げようとする人、それを理解する人、そしてその人にぴったり付いて技術を身に付けようとする人はそれぞれ非常に少ない。それでも長い目で見て目指すは「住民参加型」である。5年間ではそのキッカケが掴めるかどうか程度である。
翻って現代の日本の各町村はどうだろう。上手く行きつつあるところもあるし、新たな混乱に巻き込まれているところもあるし、住民参加型など無関心というところもあるのではなかろうか。この2000年という間、「人間が歩んできた道」、心の歴史というものをあらためて考えてしまう。