ラトヴィアの歴史と文化


前駐スウェーデン大使、藤井威氏の新作2004年版カレンダーをご紹介します。
昨年までの、スウェーデンの歴史と文化のカレンダーに引き続きご覧下さい。



撮影 藤井 威 氏 以下同じ

幸運を運ぶ鳥「こうのとり」

 ラトヴイアは、1991年ソ連邦の崩壊という歴史的大変動の中で民族の悲願「独立」を達成した新興国バルト三国のまん中の国であり、バルト海の東海岸沿いに位置する。面積は6万5千平方キロメートル足らず、人口も240万にすぎないが、氷河時代に形成された平坦な国土は、多くの湖と湿地帯や森林地帯を有し、豊かな植生と多様な野生動物に恵まれている。
首都リーガ市には、ラトヴイア全人口の約三分の一に当たる80万人が集中するほか、全土に広がる田園地帯のあちこちに小都市が分散している。

 こうのとりはこの国のカントリーサイドに広く見られる。毎年4〜5月に飛来し、ひなを孵化すると、8月末には再び南へ旅立ってゆく。ラトヴイアの人々は、こうのとりを幸運のシンボルと考え、庭先の電柱などに作られた巣を大事にするという。



リーガ市 ブラックヘッド・ギルドとローランの像
 ラトヴィアの首都リーガ市は、1201年ブレーメン司教アルベルトにより礎石が置かれて以来、バルト地域へのキリスト教布教、帯剣騎士団の侵入、ドイツ人の植民の拠点となり、続いて、ハンザ同盟都市として、商業通商ルートの中心となった。更にスウェーデンの、パーサ王朝やロシア帝国によるバルト支配の拠点ともなった。このような多彩な歴史を反映して数々の文化遺産に富む魅力ある都市となっている。
リーガ市の旧市街南部の市庁舎広場には、かつて市政の中心である市庁舎と「ブラックヘッド・ギルド」とよばれるマニエリスム様式の荘厳な建物(17世紀から18世紀建造)があったが、第二次大戦下のナチス・ドイツの侵入及びその後のソ連支配の下で完全に破壊された。1995年、リーガ市当局は、ブラックヘッド・ギルドの再建を決定し、2000年に完成した。ブラックヘッドとは、ハンザ時代の冒険的ドイツ商人のうち単身赴任者あるいは独身者を指している。下の写真はリーガ市創建当時の城壁が復元されたものである。





アーライシ湖の古代遺跡

13世紀以降のリヴォニア騎士団領の成立により、ドイツ人支配の中心地となった古郡ツェーシスの南方6kmの地点に位置するア−ライシ湖には、先史時代の原ラトヴイアの一部族が湖上に展開した集落(9世紀頃のもの)が発見された。集落防衛のために湖上にログハウスが密集して建てられ、集団生活を営んでいた状況が復元されて公開されている。







ラトヴィア歌と踊りの祭典1998年7月

 ラトヴィア人は、伝統的に音楽への愛好心が強く、各地に「ダイナ」とよばれる独特の民謡を発達させてきた。長期にわたるロシアの支配下で、ダイナは民族意識発揚のかぎとなった。
 1873年に第1回が開かれた「ラトヴイア歌と踊りの祭典」はト以降5年毎こ民抜の祭典として開催され、第1次大戦の過程で、ソ連邦に編人されたあとも細々と続いた。
 1985年ゴルバチョフ政権の成立後、ラトヴィア独立の気運は急速に強まり、やがてダイナの歌声は、独立に向けて重要な役割を果たすことになる。
1991年には、基本的に平和的な方法で艮族待望の独立が達成された。ラトヴィアの人々はこれを歌声革命と称している。独立達成後の1993年の祭典及び1998年の祭典ではラトヴィア全土から集まった人々がそれぞれ自慢のカラフルな民族衣装に身を包み、自由と解放の喜びを爆発させた。



5月及び6月



ラトガレ地方の春
 ラトヴィアの東部ラトガレ地方は、強国ロシアやポーランドに近いという地理的位置ににあり、歴史の波に翻弄きれ、しばしば戦火に会い、支配者の交代を経験してきた。この地方の中心都市レゼクネ市中心部の小高い丘の上には、かつて、ラトヴィア民族の一支族ラトガレ族が対ロシア防衛のため13世紀に強固なとりでを築いたが、17世紀にこの地方がポーランドの支配下に入ると、完全に破壊された。 現在ではかつての防壁のほんの一部が歴史の無情を嘆くが如くさびしく立つのみである。なお、レゼクネ市周辺にはこの国最大の湖ルバナ湖があり、広大な湿地帯が広がっている。自然を俣護しつつ地城開発を図る方策が検討されている。上の写真にはビーバーの巣が見えるが、お分りになりますか。





3月及び4月







リヴォニア騎士団の歴史遺産
 900年頃、バルト地域に多数の部族国家が分立する状態が成立していたが、12世紀頃よりキリスト教勢力やドイツ系商人勢力の進出が始まり、13世紀初頭よ
り、帯剣騎士団による組織的な植民活動が進んでリヴォニア騎士団領が成立する。騎士団領の中心地は当初リーガ市に、13世紀中頃以降はツェーシス市(リーガ市北東約90km)に置かれた。騎士団は、各地で現住民族リーヴ人(フィン・ウゴール語族)やバルト人(インド・ヨーロッパ語族)の抵抗に会い、これに対抗するため多数の城塞を築造し、歴史遺産として今に残した。ツェーシスには、1207年築造の強固な要塞ツェーシス城の廃墟がある。(上)
リーガ市北東約50kmの地点にあるシグルダ市には、リーガ司教の築いたツライダ城(中)が今に残り、市内には、騎士団の築いたシグルダ城の廃墟がある。(下)


1月及び2月


ハンザ同盟都市リーガ

 ラトヴイアの首都リーガ市(人口80万人)は、1201年、ブレーメン司教アルベルトがダウガヴァ河の河口に上陸し礎石を置いたことに始まる。1282年、ハンザ同盟に加入し、北海、バルト海からロシアの大地の奥深くに至る商業流通路の中心都市として繁栄する。1991年のラトヴイア独立後の1997年、リーガ旧市街を中心とする歴史的地区がユネスコの世界遺産に指定された。
 リーガ市内聖ベーター寺院(13世紀創建)のタワー頂上の展望台(高さ72m)から旧市街地を俯瞰すると、ハンザ同盟都市のたたずまいがしのばれる。
 かつてのハンザ商船はダウガヴァ川を若干さかのぼって市に接近したが、夕暮の市は商船からどのように見えただろうか。




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