ODA50周年に想う - 調和の世界を目指して -

国際開発高等教育機構(FASID)専務理事、元キューバ大使 馬淵睦夫氏の提言

(本提言は、FASID NEWS 71号 2004年7月20日発行に掲載された提言をご本人のご了解をいただきご紹介するものです。)



(再掲)

財団法人国際開発高等教育機構
ODA50周年に想うー調和の世界を目指して
専務理事 馬渕睦夫

 今から30年以上も前、私がインドの日本大使館に勤務していた頃の事である。ある時、インド外務省のアジア局長は、真剣な眼差しで私に不満をぶつけてきた。「日本政府はこの度インドに円借款を供与するにあたり、インドが近隣諸国に援助していることを問題視しているようだが、我々は日本の意図がまったく解せない。確かにインドは貧しい国だが、にも拘らずもっと困っている他国を助けることは尊い行為であり、批判される理由はない。」このアジア局長の言葉はその後私の心に深く残ることになった。
 実は、その時から20年近く前の1954年に日本は技術協力を中心とする地域機構であるコロンボプランに加盟し、援助国としての道を歩み始めた。そして、1958年には、戦後賠償の色彩を持たない円借款5000万ドル(当時のレートで180億円)をインドに供与した。ここに日本の本格的な対外援助が開始されたのである。しかし、他方で当時わが国は世銀から国内経済インフラ建設のために大口の融資を受けている身でもあった。国会において、援助受入国でありながらどうして他国を援助する必要があるのかとの質問が出た。政府は概略こう答弁した。「確かに、わが国は世銀から援助を受けております。しかし、アジアにはわが国よりも貧しい国が多くあります。同じアジアの国として、困っているアジアの国民のために援助することに意義があるのです。いわば"貧者の一灯"であります。」ここに日本の援助の原点がある。貧しい者が寄贈した一本のローソクは金持ちの1万本のローソクよりも明るく輝いて見えるとの仏教の説話に象徴される援助の初心の精神を、日本政府は10年余りですっかり忘れてしまい、インドが嘗ての日本と同じ事を行っていることに疑問を呈したのである。
 その後、日本は援助大国になった。途上国が途上国を援助する「南南協力」に対しても支援するようになった。そして今年はODA開始以来50年の節目の年に当たる。国内では、過去50年の実績を回顧し今後の日本のODAはどうあるべきかについて、様々な議論が行われることが期待される。私見を述ベれば、今後日本は途上国が国際援助コミュニティーにドナーとして参入することを助けていくことに援助の重点を置くべきであると考える。差し当たり、東南アジア諸国等の新興援助国に対する援助要員の人材育成等の知的協力や、これら諸国と協力して第三国に対する援助を増大させることが期待される。現在の世界が抱える膨大な開発課題、特に貧困削減を目指す国連ミレニアム開発目標を達成するためには、先進国や国際機関の援助だけでは到底不十分である。世界の全ての途上国が、発展段階の如何にかかわらず、己の特技を活用して何がしかの援助を行うことが求められる。たとえ開発の遅れた低所得国であっても、他にはない何かの得意分野があるはずであり、それを生かして他国を援助することを強く慫慂したい。何故なら、援助を受け続けるだけだと政府は更なる援助を獲得することに腐心しがちになり、このような他国を当てにする政府の姿勢は国民のモラルを低下させ、国の発展へ向けた国民の瑞々しい活力を殺いでしまう危険がある。
この悪循環を断ち切るためには、援助を与える経験をしてみることだ。「与える側」に立ってみると、「もらう側」であった時には経験できなかった新たな発見があるはずである。また、自国の発展を実現する上での課題について新たな気づきが生まれてくるであろう。これらの発見や気づきは国民に対し発展へ向けた自立的エネルギーを与えることとなろう。
 来年国連においてミレニアム開発目標の中間レビューが行われるが、わが国はこの会合をミレニアム目標の達成に向けて世界の全ての国が「援助を与える側」に立つことを宣言する場とすることを提唱してはどうだろうか。先進国や国際機関に加え、全ての途上国が一方で不得手な分野で援助を受けつつも、他方で得意分野の援助を行うことを確認しあうことにより、全ての国がミレニアム開発目標の達成へ向けての責任を分担することが可能となるであろう。このような全世界による共同作業は20世紀の残滓である対立を克服し、21世紀において調和の世界をもたらすことになると確信している。


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