林政総研理事長・森林塾代表 小澤普照(月刊「ゆか」2007年7月号掲載)
はじめに
かつてわが国には「美林」と呼ばれる森林が各地にあり、国民の多くは「美林」のイメージを容易に想像することができた。
では現在はどうだろうか、価値観の多様化といえば聞こえは良いが、戦後の木材の量的供給増加を重視する政策に基づいて拡大造林策が実行に移されるにつれて、「美林」という語彙は人々の脳裏から消去されていったように思える。
そしてその後、拡大造林政策は終焉し、続いて持続的森林経営の時代に入ったが、いまだ「美しい森林」という概念は確立するには至っていない。
さて最近、「美しい国づくり」に関連して、「美しい森林づくり」の推進という言葉が頻繁に聞かれるようになった。
最新の森林・林業白書(平成19年版)は「美しい森林づくり」運動について、記述している。
白書は、幅広い国民の理解と協力のもとに「美しい森林づくり推進国民運動」を展開することになったと述べている。
先ずトピックス欄で、国民運動の方向を、@国産材利用を通じた適切な森林整備、A森林を支える活き活きとした担い手・地域づくり、B都市住民や企業等幅広い主体の森林づくりを総合的に進めていくことの三点とし、運動を通じて、間伐の実施や広葉樹林への誘導等を図り、多様で健全な森林づくりをしていくとしている。
ところで「美しい森林づくり」についてもう少し具体的な記述がないものかとページをめくっていくと森林及び林業の動向の中に「美しい森林づくり」の推進という項目があり、
運動を進める目標となる「美しい森林」とは何を指すのかということについては、「森林の多様な機能が十全に発揮されるよう、機能に応じて間伐等の森林の整備・保全が適切に実施される等、良好な状態に維持されている森林である」としている。
したがって、美しい森林づくりのための具体策(具体的施業あるいは作業)は何かということを、この項の記述の中から見いだそうとすると「間伐等」という言葉がそれに該当することになる。
他に具体的な指針らしき文章はないかということで見ていくと、「この(美しい森林づくり)運動を通じて、平成19年度以降6年間で330万ヘクタールの間伐を実施するとともに、100年先を見据え長伐期化、針広混交林化、広葉樹林化等多様な森林づくりを推進し、森林のもつ多様な機能を持続的に発揮させていくこととしている」という表現がある。
ここでは、例示的に表現されている「長伐期化、針広混交林化、広葉樹林化」の三点が具体性を持つ表現と見ることができる。
さらに、国民運動における具体的な取組の例が示されている。
これらを列記してみると、
不在村森林所有者に対する「自分の山再発見運動」、民間企業に対する協力の呼びかけ(社内外ボランティア森林づくりへの参加、自社保有林の整備による森林づくりの推進、基金等を活用した森林づくりへの参加)、NPOと連携した取組の推進(森林ボランティア活動への国民参加の呼びかけ、森林環境教育の推進)、農山村地域における森林所有者への働きかけ(森林組合を中心に、自己所有林の現状把握と施業計画の策定を推進)、農山村住民への働きかけ(里山整備の推進)、「木づかい運動」の推進(国産材利用の拡大)ということになるが、これらは運動を進める上で必要なことがらではあるが、「美しい森林づくり」とは何かという問いかけには必ずしも的確に応えているとはいえない。
そこで、本稿では私見を交えつつ美しい森林について読者の皆様と共に考えていくこととしたい。
1) 各地で展開される森林づくり活動
近年全国各地で特色のある森づくり活動が活発化している。
筆者が関わっているいくつかのプロジェクトを紹介すると、例えば、@今年2月にスタートした佐渡市の「鬼太鼓の森づくり」がある。この運動は、佐渡に所在する国有林(関東森林管理局・下越森林管理署)約1,000haのうち、4.90haを佐渡の伝統文化を支えるため、「鬼太鼓の森」として、同森づくり協議会(会長・高野宏一郎佐渡市長)が行う鬼太鼓の森づくりに活用することになったものである。森林の手入れ、ケヤキなどの植林から取りかかることになるが、この運動には、青山佳世氏(美しい森林づくり全国推進会議)も参加されており「鬼太鼓の森」が美しい森の要素を十分に発揮することが期待される。
A佐渡林業実践者大学では、受講生の一人から所有山林提供の申し出でがあり、本年度から演習林として活かすことになった。この森林は松食い虫による被害もかなり受けていることから、先ず受講生による森林調査を実行し、その後、新たな森づくりに着手することとしているが、森のデザイン、森づくり計画の作成、森づくりの実行というように段階的に実行することで、受講生のトレーニングに役立てたいと考えているが、当然美しい森づくりを念頭にデザイン段階で十分な検討を行うこととしたい。
B山田京都府知事のリーダーシップにより、昨年から本格的に発足した京都モデルフォレスト運動では、推進の核となる(社)京都モデルフォレスト協会に、既に活動を開始しているサントリーに加え、村田製作所、オムロン、NTTドコモ、京セラ、シャープ、日本生命、東芝などが参加し、11箇所の森づくりや里山整備のプロジェクトが決定している。またトヨタがハイブリッド車シリウスの売り上げに応じた寄付を行ったほか、今後さらに多くの有力企業が加入することが見込まれ、府内の不在村型森林などと協定を結んで(根拠府森林条例)活動空間を確保し、NGO、大学等とパートナーシップを形成し、多様な森づくりの実行を府下全域の森林(34万ヘクタール)を対象に行うこととしており、あわせて伝統文化(文化財)の維持、里山林の復活、自然と人との共生、温暖化防止など多彩な活動を展開することが期待されている。
C島根県益田市では、地域の有志が立ち上げた、「遊木民倶楽部」が不在村所有者から提供を受けた山林を活動基地とし、森の広場のシンボルツリーのサクラの大木の下、幼児から高齢者まで参加する森づくりや県境を越えた地域交流活動を行っている。
D故伊藤助成氏の熱意が実って始まったニッセイ緑の財団による森づくりは全国及び海外にも展開され現在国内では42都道府県、170箇所、385haに達している。方針としては広葉樹の積極的植栽(全55樹種のうち広葉樹42種、本数率35.8%)、子どものための「ドングリ学校」事業などを行っている。なお、植林用地は基本的には国有林との契約によって確保している。
E愛媛県今治市では、市所有の水源林を地域学校林としての機能を果たしながら、最高齢約百年のヒノキ等の人工林2千5百ヘクタールを全面的に複層林化する森づくりに取り組んでいる。すなわち水害等の災害防止機能やカーボンシンク機能の強化とともに優良材の供給も可能とする持続経営森林であり、複層林としての美的景観を形成している。FAOではアジア・オセアニア地域の模範的経営林30個所の一つに選んでいる。
F内蒙古ホロンバイル市ハイラル区でNPO法人呼(ホ)緑協が砂漠化しつつある草原で森づくりに取り組んでおり、既に7年経過し、300ヘクタール以上の植林を実行している。美的要素にも配慮し、樟子松(蒙古松)を主林木とするが、黄花のエンジュを混植している。300年生の樟子松の原生林も一部残存しているが、堺屋太一氏の「世界を創った男」チンギス・ハンの騎馬隊が疾駆した往事を偲ばせる美林を見ることができる。
以上に記述した事例から理解できるように、森林美という観点から捉えようとする場合、非常に多様性があり、美というものをまとめてこうだと断定することはかなり難しいといっても良い。
つまり森林には、その存在する地域を背景とする個性があるものであり、また多様性もあるので類型化は簡単ではないが、一応、上記の森林あるいは海外も含め今まで見聞した森林を心に描きながら、「美しい森」について考察してみることにする。
2) 美しい森とは何か
先ず、直感的あるいは視覚的に、人は「美しい森」と感じる経験があるだろう。
この場合、「美」というのは、荘厳さその他、いろいろな意味で感動あるいは驚きなど心に強い印象を与える森を含めて述べることにする。
人々は巨大な森林や天然・自然の事象に対して感動することがしばしばある。地球の果てまで続いているように見えるアマゾンのジャングルを望見すれば誰しも深い印象を受ける。30年も前にアマゾン川を船で遡りながら見たアマゾンの大森林、特に巨大な夕陽がかすかに見える対岸の森に沈んで行く光景は何十年経っても鮮明に記憶に残っている。アマゾンの森の美は、多様性の美でもある。3千種とも4千種ともいわれる多様性に富む熱帯林は文句なしに素晴らしいのである。
一方、カナディアンロッキーの森は樹種構成は極めて単純である。しかしロッジポールパインの単純一斉林であっても、碧空を背景にして、岩山や、あくまで澄みきった川の流れと調和する大規模森林もまた大きな感動を与えてくれる。
またスケールはアマゾンのように巨大でなくても、深山幽谷の森や巨樹巨木の森も素晴らしい。パリ近郊のフォンテンブローの森のミズナラの大木の森も忘れがたい。わが国でも杉の大木が林立する高野山やせせらぎの音しか聞こえてこない奥秩父の幽玄な森にも広い意味で美を感じる。
林業地の森や人工林であっても手入れの行き届いた森は確かに美しいと思う。吉野の伝統的な林業地や京都北山のスギ林には美を感じさせるものがある。
また、京都の伝統的な林業である台スギ林業も近年は林業不振の荒波を被っているが、一方、林地を荒らさない林業として地球環境にやさしい手法ということでカナダの森林問題専門家から高い評価を得たところでもあり、その美的景観要素を活かしながら、地域材活用などを組み合わせ特色ある地域産業として再構築可能と考えられる。
また最近各地で里山再生の運動や活動が盛んである。確かに里山こそ生活空間と身近な距離にある森林空間であるから、美しい森づくりの対象として重要である。
かつて新緑の季節に岩手県の山村を旅した際、広葉樹やアカマツ林の中にコブシの花が咲き乱れている様を見たとき、これぞ日本の里山の原風景であると感動したことを思い出す。
たまたま今年のゴールデンウイークに新潟県上越で炭焼き塾(森林環境実践塾)の窯開きをした後、新幹線を使わず、在来線で東京に戻ることにして、軽井沢から横川までバスに乗ったところ、丁度新緑の時期で岩手の里山の再現かと思える森林景観に目を奪われた。
ところで、「美しい森」の反対語(対義語)は何か。美醜というから「醜い森」ということになろうか。
すなわち、「美しい森林づくり運動」の一環には、「醜い森一掃運動」があって然るべきではないかと思う。
では、醜い森とはどのようなものか。例えば、人工林では手入れ不足、過密状態で真っ暗な森、地表植生を喪失した森、やはり過密で枯れ竹が倒れかかっている竹林、松食い虫被害で枯れた松が放置されたままになっている森林、里山でも管理者が不在で蔓草が生い茂ったり蜂の巣が増えて入林困難になっている森林、ゴミが持ち込まれている森など数え上げればいろいろあるが、大方異論のないところであろうと思う。
ところでこのような森林は減少させることが望ましいが、実行するには、行政のスローガンだけでは無理というもので各地域での効果が上がる取組が必要となるが、このことについては次に述べる。
3) 美しい森づくりのための運動論
これまで述べたように、「美しい森林づくり」というような運動は、地域の人たちが自らやる気を起こし、かつ連携して取り組むのでなければ、成功の確率は低くなる。
最近、各地で進展している町内美化活動などとも共通するところがあるが、さらに森づくりということになると結果が出るまでに、花を植えるより時間も掛かるので、持続性も必要であるし、ある程度の規模を持った空間の確保も必要である。
従って、個人の活動だけでは成果が上がらないので、必然的に地域協働の発想と行動が浮上してくる。
森林の持続を核とした地域協働運動としては、京都モデルフォレスト運動のような形が効果的であると考えられ先導的な役割を期待するものであるが、大がかりになるので、先ずは、小規模の協働運動から展開してみるのも良いと思う。
いずれにしても中核になるグループの存在が欠かせないが、このようなグループはNPO法人のような組織であるとか、あるいは、やる気さえあれば任意の集まりでも問題はないと思う。
先ず中核グループが出来、あるいは存在するとして、例えば「美しい森林づくり」と「木づかい運動」の連携を考えるならば、両者を結びつけるプロモーターの存在が必要になる。
最近では、行政の担当者や大学人などが自らボランティア活動に参加するケースも増えている。つまりボランティアマインドが逐次浸透しつつあるので、そのような人たちがコーディネートすることはもちろん効果的である。
各地の森づくり事例で紹介した中で地域協働のプロジェクトとして最も大規模でかつわが国で初めてといえるのが、京都モデルフォレスト運動である。
企業、NGOなどによるパートナーシップの形成と活動、さらにこの活動が府の条例によって森づくりフィールドの確保を担保するという仕組みになっているところに特徴があるが、このような運動が各地に広がることが期待される。
また、ニッセイの森づくり運動のように、一企業の発想からスタートした運動であっても、その方針が地球環境への貢献や景観への配慮というように明確性と向社会性を持ち、全国規模での展開、実行基盤の堅実性、持続性などその活動実績が、地域の人たちの森づくりへの関心を高める作用をもたらし、地域協働の促進に繋がることになると考える。
ところで地域協働を発展させる基本哲学は何か、モデルフォレスト運動に見られる発想は、地域住民が「地域」を共有しているという意識から生まれ育つのである。
これを、ニューコモンズ論として捉えることも可能であろう。
さらにまた、柳生博氏が提唱する「庭園作法」も大変興味深い。氏は里山こそ庭であるという。
都市の中にも、屋上にも雑木林や田圃をつくること、つまり都市の中にも里山をつくることも、やれば出来るということである。
安藤忠雄氏の東京湾の森づくり発想などにも興味を覚える。
人は誰でも生活空間の身近なところに花を生けたり絵画を飾ったりする。つまり、部屋の中、家の庭という具合に美を形成しようとする。森林は生活空間と別の次元の空間と考える人がいるかも知れないが、むとろ同一線上にある空間として捉えたい。
やはり、居室、テラス・屋上、庭先、町内、里山、奥山という具合に連続した空間を想定して「美しい」とは何かを追求していくところに「美しい森林づくり」の要諦があるのではなかろうか。
美しい森づくりに役立つ地域協働運動の展開過程において、美しい森を地域で選んでみたり、指標林を多くの人たちが参加して作り上げていくのも良いと考える。
4) 政策論と美しい森づくり
空から見た日本列島は世界でも数が少ない緑に覆われた島であり、全体を緑の世界遺産にしても良いと思うくらいである。もちろん地上に降り立ち、さらに森林に分け入れば、きれい事では済まされない現実にぶつかるのである。
森林行政の視点からいえば、戦後林政の残したツケをどう解消するのか、たとえそれが戦中戦後の住宅資材等の極度の不足を解消するためとは言え、手持ち外貨もなく、国内森林の能力以上の木材供給をせざるを得なかった。その結果、大量の伐採跡地が出現し、短期集中的な造林政策を推進した。筆者が行政官として政策参加をした昭和40年代後半から50年代前半にかけての時代は拡大造林は既にピークを過ぎ、今でいう団塊の世代ならぬ、団塊の森林(人工林)をどのように管理するのかということが問われていた。
もちろん関係者の多くは、成長力旺盛な植林地を見るにつけ「来るべき国産材時代」の夢を重ねていたと思われるが、先見性という視点に立てば行政課題として、非常に偏った植林木の齢級構成に将来を憂いる行政官もおり、筆者もその一人として、長伐期政策の採用、同時に複層林化を進めるめの政策立案に向かって行動を開始していた。
現実的な手法としては、間伐の推進とともに枝打ち(枝下ろし)を受光伐というカテゴリーで捉え、それまでの材質向上のための経済行為とされていたものを公共政策として位置づけるための理論化などにエネルギーを燃焼させていた。
枝打ちが、公共事業として予算化が認められたのは50年代後半のことであるが、今般の「美しい森林づくり」の手段として前述したように、白書では「間伐の推進」と記述しているところが興味深い。
各種の森林施業の中で間伐という手法が重要な施業方法であることは間違いないにしても「美しい森林づくり」にあたっては、より、きめの細かい論拠により、政策を進めていくのが好ましいと考える。
ところで、「森林づくり」の「つくる」という行為は、政策論的見地からは「作為」ということになる。例えば森づくりを法律で義務づけようとすると「森づくりという作為義務」を課する立法措置が必要か不必要か、また可能であるかどうかなどが検討されることになる。
筆者の行政経験からすると立法措置という点では、「不作為義務」を課する場合の方が立論しやすかった記憶がある。つまり、公共の目的のため私的所有の樹木や森林であっても、一定の補償などの必要は生じるが、伐採を禁止することは可能で事例も多いが、「美しい森林」をつくるという義務づけが果たして可能かどうか、法律を作っても効果が上がるかどうか、読者諸賢の皆様には為政者や行政官になった積もりでお考え願いたい。
義務化するには「美しい」という概念を定めることが先ず必要となり、結構難しいということはお分かりと思う。
では、どうするかということになるが、通常義務化にかわる政策としては、誘導政策あるいは奨励政策がとられるであろう。
この場合でも、「美しい森林」の目標イメージがなくても良いものかどうか気になるところである。
ところで「森林づくり」をいわゆる学問的あるいは専門的な視点からみれば、いくつかの類型化は可能である。例えば「法正林」という概念が浮かんでくる。方正林は人工林の保続経営を目的にしたもので、伐期までの各齢級の林分が均等に配置され、毎年同一の収穫が得られる森林ということで、面的には小面積皆伐の組み合わせになる。
「複層林」という手法もあるが、この場合は一つの林分を二段林、三段林というように立体的に構成するもので、針葉樹広葉樹の混生林タイプの発想も取り入れ樹種の多様化をおこなうことで自然林に近い森づくりが可能となろう。
「巨木」とまではいかなくても、長伐期林は、美しい森に近づく要素はあるだろう。
また、共通して、「皆伐跡地」、特に大面積の場合は美的要素において劣るので、なるべく小面積に行うとか道路端では極力回避するのが「景観重視森林施業」の基本とされてきたところである。
なお「非皆伐施業」や「択伐施業」も「美しい森林づくり」に通じるものがあろう。
ところで、里山における「美しい森林づくり」ということになると、いわゆる視覚的に美観を呈する森づくりが受け入れ易いと考える。すなわち、庭園化論などが浮上する所以である。
里山林では、思い切った花木の混植、その他果樹や花卉類なども取り入れた森づくりにチャレンジして欲しい。
竹林整備やキノコ栽培なども組み合わせる方が生活空間との組み合わせで故郷感のある美的空間を出現させるであろう。
また木工及び木工芸、日曜大工、産物販売などが組み合わされて活力が生じることになる。
したがって、里山再生と「美しい森林づくり」との結合は、政策視点からいえば、「地域協働」の運動論をどう行政的にサポートしていくのかという議論が必要である。
なお、「美しい森林づくり」には、多様な森づくりの推進が白書では記述されているが、多様な森づくりを進めるためには、多様な苗木の生産と供給態勢を整える必要があることはいうまでもない。
おわりに
これまで述べてきたように、「美しい森林づくり」を考えると、非常に間口も広く奥行きも深いことに気づかれることと思う。
「美しい森林づくり」という国を挙げての政策について、森林・林業白書を切り口として述べてみたが、本年の白書についての感想を率直に言わせてもらうとすれば、間伐の推進が「美しい森林づくり」にとって主要な手法であるにせよ、より多彩な政策を展開しないと行政の貧困を指摘されかねない。
また白書については、林政審議会の十分な審議を経て発表されると認識していたが、今回、国をあげての「美しい森林づくり」に関する記述としては、記述量も少なく、内容もあっさりした感じを受けるのは、検討時間が足りなかったのか、あるいは議論が多岐にわたり、とりまとめが困難であったのかも知れない。
ところで、最後に一つだけ付け加えさせていただくことにする。
それは、林野庁のプレスリリースで、「美しい森林づくり推進国民運動」のキャッチフレーズの決定というのを拝見したが、その中で特別賞に選ばれた、山梨県 有井操さん(91歳)の「植えておけ! やがて役立つ、森林となる」という一句が印象に残った。
筆者は日頃、森林・林業が教科書でどのように扱われているかについて関心を持っている一人である。百年以上前の明治28年発行の尋常小學讀本巻四に、次の文章を見いだすことができる。すなわち「タレニテモ、子供ノトキニ、小サキ苗木ヲウエオキテ見ヨ。年トリテ、家ヲタテントスルコロニハ、大ナル材木ヲウベシ」とある。
当時の教科書は現在のそれに比べると、表現が簡潔でしかも具体的である。
森づくりの基本は、今も百年前も変わるところはない。「美しい森林づくり」においても百年の計で着実に進めたいものである。
むしろ、これから本格的な議論を交わしていけば良いと思う。
本稿が審議会の諸先生のような有識者や行政官の目に止まるかどうかは分からないが、少なくとも「美しい森林づくり」に関しては、国民の声、地域の声を広く聞いて取り入れるられることを切に望むものである。
森林行政に対する国民の信頼を失ってはならない。関係者のご健闘をお祈りする次第である。
(2007年6月15日 記)