森林随想 専業・分業・マルチ人材


或る県の山間部の町村職員研修会の講師に招かれて出かけた。
参会者は約百名。講演後、意見交換の場に移った。通常、必ずしも活発な質疑や意見交換の場が出現するとは限らないが、この時はかなり盛り上がり、印象に残る話題が提供された。
すなわち、今、地域で一番忙しいのは、町村役場の職員だという。つまり、あらゆることが役場に持ち込まれる。住民が滑った転んだから、溝さらいの話まで、何でもありということである。
持ち込まれる側としては、故郷をまもるという使命感もあり、嫌がらずに応じてはいるが、正直な話、もう少し何とかならないかと思うという率直な質問である。
そこで、質問を返した。皆さんの人口、二千人とか三千人の村でも、仕事は縦割り、人口千二百万人の東京都とあまり変わらないような、分業システムを採用していませんか。
林業関連で言えば、木を植える人、伐る人、加工する人、家を作る人、それぞれ皆違う職種になっていませんか。一同、頷いたところを見るとこちらの見立てが当たっていたらしい。
つまり、何処に行っても専門職種ばかりで、これでは隙間仕事は、役場の職員に持ち込まれるのも無理はない。
これでは、行政コストの削減もままならないばかりか、産業のコストの押し上げ要因にもなっているのではないかと思わざるを得ない。
結論的には、山村の人材育成において目指すべきは、幾つかの仕事をこなせるマルチ型の教育やトレーニングではないか。
また皆さん大きく頷く。ところが一人が小さな声で言う。「だけどそういう教育システムが無いんです。」
たしかにマルチ型人間を育成するには、教育・育成システムの変更が必要である。
また発想も変える必要がある。
戦後間もなく発足した6・3・3・4年制の教育システムは60年を経過した今日、基本的には変わらず、女性の進出や大学院進学者の増加が目立つものの、山村人材の担い手として期待された、職業高校などは縮小傾向が進み存続の危機にあるケースも増加している。
縦割り型の教育システムの中で、3年程度の修学年数で一人前の職業人が出来上がるということは考えにくい上に、マルチ型ともなるとさらに大変である。
カナダの山間の町、キャッスルガーの林業カレッジを訪問する機会があった。修業年数は2年、座学、実習半々、学生の平均年齢26歳という。実習も州有林や民間企業から依頼された実業をこなしながらのトレーニングと言うことで、卒業時には、植林、育林、伐採等何でもオーケーと言うのも納得がいく。
最近、某県の林業高校に関して関係者から将来ヴィジョンを問われたので、上記の趣旨で、林業短大との連結、団塊の世代狙いの社会人学級の併設、学生募集区域の拡大などについて意見を述べてみたが、実現の可能性となると、楽観は出来ず、当事者や教育委員会などのプラス思考型に立脚した発想や地域の熱意、有識者の支援などが欠かせない。

最近、塩野七生さんのインタービュー記事を読んでいたところ、日本人には分業が必要であると言うことであった。
日頃、分業システムが、日本の林業衰退の原因になっているとの主張をしているものとしては、見逃せないと思い、丁寧に読んでみたら、説明能力に優れた日本人を国際舞台に登場させるべきであるとの分業論であった。
現在の国際社会において日本人の持つ良い資質や日本が目指していることが、ほんとうに理解されているのかと言うことに危惧を感じている人々が増えている。したがって塩野さんのご意見には素直に賛成したい。
要は、縦割り的発想からもたらされる分業増大の弊害を是正する必要がある。
専業農家、専業林家などと言う言葉もあるが、その実態はどうなっているか。言葉が形成されたときとは取り巻く状況は変化している。むしろ現在であれば、地球温暖化対応も視野に入れた、向社会的な農家や林家を目指すことが発展につながると思う。
従来の発想にとらわれず、マルチ人材の育成を核とし、人間力を高める方策を積極的に取り入れ、地域産業と森林産業の連携や地域活性化を目指す方向に進んでほしいものである。                                  (小澤普照、2005/6/16記)


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