森林随想「スーパー炭焼窯との出会い」(奧矢作での出来事)


平成19年12月1日、愛知県と岐阜県の県境、矢作ダムの湖畔で大型炭焼窯の完成披露を兼ねて奧矢作森林フェスティバルが開催され参加した。
岐阜県の旧串原村(現在恵那市)、旧串原小学校の校舎が、今では奧矢作レクリェーションセンターとなっているが、会場はここに設営されていた。
矢作ダム管理所長の三浦盛男さんのお話では、平成12年の恵南豪雨災害の時には、何と3万5千m3の流木がダムの湖面を埋め尽くしたという。
筆者は当時、偶々河川審議会の委員に任命されていた関係で、流木の問題については炭化処理をすべきではないかと考えた。
また偶然ではあったが、この頃デパートで流木炭が売られているのを見たこともある。
その後、炭焼活動の第一人者の杉浦銀治さんに会った際、流木の炭化の思いつきを話したところ、大型の炭焼窯を実現するために動いているところだとのことであったが、実は正直な話、ピンときたわけではなかった。
今にして思うと、重機を使うとかヘリコプターで炭を撒くというような話が、一緒になり、筆者の頭の中でのイメージがはっきりしていなかったということである。
この度のイベントですべては氷解した。
大型窯も東南アジアのマングローブ材などを炭に焼くためのものはあったが、今回完成の炭焼窯は、鶴見武道氏の着想になるものと聞いたが、スーパー炭焼窯と言える発想が実ったものである。
窯の大きさは、幅3メートル、長さ10メートル、深さ2メートルである。
具体的な設計段階で、三河の斉藤氏、さらに総合指導杉浦銀治氏らの尽力により、実現したという。
つまり、仮に直径20センチ長さ10メートルの樹木がダムに流れ込んだとしても、この樹木をそのまま炭焼窯に入れて炭化させることができるという点が発想の転換である。
従来の炭焼方法では、樹木を50センチとか1メートルの長さに切断し、さらに太いものは、これを小割りして焼くというように多くの労力を要していた。
大型炭焼窯は、木を丸ごと炭焼窯に機械力を使って放り込み、大量にまとめ焼きをするということである。
2回の試し焼きをしたとのことであるが60立方メートルと大量のため、焼き上がりに1週間、冷却に3週間を要したという。
矢作ダムでは、平年時の流木は、600立方メートルとのことであるから、10回の炭焼で全量の処理が可能である。
焼かれた炭の有効利用が期待されるが、森に返すことで、森林土壌の改良、炭素固定、良質の水の供給、樹木の生長促進などを同時に実現することを期待したい。
世界各地には、清浄な水を求めている地域は多い。
わが国が今後、炭による清浄水の供給と二酸化二酸化炭素の固定等を同時におこなうノウハウを国際的に移転することに務めるべきである。
このフェスティバルに参加された大森禎子理学博士の講演では、温暖化防止の観点から言えば、生木1トンから、炭は10〜15パーセント、中間をとって12パーセント得られるとすると、生木1トンで、炭0.12トンが生産されるが、二酸化炭素を0.444トン固定することになるとのことである。
炭はほぼ純粋な炭素であり、燃焼しない限り二酸化炭素には戻らないものであり、たとえ戻っても、カーボンニュートラルということで、大気中の二酸化炭素を樹木により吸収させることによって増加させることにはならない。
今回のフェスティバルでは、炭焼に携わるNGOの皆さんの炭焼は地球を救うという熱い心に打たれたこと、また三浦所長さんの考えとして、ダムに堆積する川砂を下流の地域に適正に供給したいとのお話を聞くにつけ、このような柔軟かつポジティブな発想を持つ行政担当者が活躍されることを期待し、素晴らしい紅葉に映える奧矢作を清々しい気持ちで後にした。(平成19年12月5日、小澤普照記)



流木処理用大型炭焼窯



テープカット・右端がわが国炭焼実践第一人者の杉浦銀治氏


点火式・子どもさんと三浦所長


パネルディスカッション・パネラーの皆さんは窯の上に座っているこになる



流木



ビッグな炭


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