世界林業会議のまとめ


森林塾代表 小澤普照の参加報告記録


     第12回世界林業会議に参加して                       小澤普照
 はじめに
 2003年9月21日から28日までの間、カナダ・ケベック州の州都、ケベックシティにおいて、「第12回世界林業会議(World Forestry Congress)」が開催された。
 筆者は、前々回のフランス・パリで開催された第10回会議(1991年)の際、林野庁を代表して出席したが、今回は民間人ということで立場は異なるものの、140を超える国からの4千人強の参加者の一員として、旧知の人達にも再会するなど、有意義な体験をすることができた。
 世界林業会議は、第一回会議が、1926年イタリアで開催されて以来、おおむね6年ごとに開催されてきたもので、森林・林業分野では世界最大規模の国際会議であり、今回はカナダ政府(天然資源省)及びケベック州政府の共催、国連食料農業機関(FAO)の後援により、開催された。
 参加の顔ぶれは、政府、国際機関、大学・研究機関、非政府組織(NGO)、産業界・企業、ボランティア、学生など多彩で正に森林・林業関係者を網羅する会議といっても過言ではない。
 21日夕刻から始まった開会式は、全体会議場に用意された、3千脚の椅子はあっという間に埋め尽くされ、立ったままの人達が大勢居たところをみれば、公式発表の、参加者4千人には誇張はない。
 開会式典は、主催者側の天然資源大臣、ケベック州知事などの挨拶が、次々と続くところは、何処の会議でもさして変わるところはないが、今回の開会式で参加者を驚かせたことは、挨拶が一人済むと間にアトラクションが入るのである。
 それも思い切り派手なアクロバット演技であったり、音楽の演奏であったり、カクテル光線に彩られたダンスであったりしたことである。
 フランス パリでの第十回会議の開会式が、ミッテラン大統領を中心に据えた荘重な雰囲気の中で行われたことが思い出されるところであるが、今回は極めて平等でアットホームな雰囲気づくりが成功していたように思われる。正に国境を越え、人種を越えた人々が一堂に会し、七色のカクテル光線の彩なす会場で、森林を論じ、未来を論じるという演出が、主催国のカナダの姿を上手に反映していたともいえよう。

 会議の概要
 翌22日から28日までの会議は、先ず22日朝のメーン会場(ケベック国際会議場)での全体会合から開始された。世界の各地域、各組織から撰ばれた、キーノートスピーカーによるプレゼンテーションである。今回は、コミュニティ、森林労働者、林産業、環境NGO、森林所有者等の代表がそれぞれ発表を行った。
 全体会議の司会進行は、1992年のブラジルで開催の国連環境開発会議の際のカナダ政府代表だったジャグモハン・メイニ氏が行った。開会直前にメイニ氏と挨拶を交わした。彼はリオデジャネィロで、林野庁主催の懇談会でカナダのモデル森林活動について紹介し、当時日本政府代表団の一員であった私に理解と協力を求めたことがあり、それ以来のお付き合いである。彼は、その後カナダの森林省(現天然資源省)を退職して、国連本部でUNFFの事務局長を勤めていたが、これも退職して今や一シチズンとして活動しているとのことであつた。
 昼は林野庁招待の昼食懇談会があり、林野庁からの出席の前田次長、山田計画課長、今泉補佐、山之内係長のほか筑波の田中森林総研理事長、鈴木東大教授、JICA増子氏らと懇談を行った。
 また、この日、モントリオールプロセスのワーキンググループ ハイレベル会合が行われた。今次会合の目的は、1995(平成7)年にメンバー国間で7つの基準と67の指標を採択した「サンティアゴ宣言」以来の取組の成果及び今後の活動の方向等を確認することであり、参加12か国からは森林行政部局又は研究機関の幹部クラスが出席したものである。
わが国からは前田林野庁次長が代表としてステートメントを発表した。現地では英語による発表であるが、日本語での要旨は次のようになる。
「日本では、持続可能な森林経営を重要な政策課題の一つと位置づけ、2001年に、従来の林業基本法を見直し、森林・林業基本法を制定したところである。 また2002年には、地球温暖化防止森林吸収源10か年対策を策定し、温暖化緩和のための森林整備を進めている。なお7基準・67指標すべてを網羅した国別森林レポートを完成提出した。このことにより、日本の森林経営の情況を客観的、網羅的に把握し広く提供できたと考える。一方日本は国際的な森林問題の解決に向けた取り組みにおいてモントリオール・プロセスを重要事項の一つに位置づけており、新たな森林・林業基本法の中でも技術協力や資金協力と並んで基準・指標の取組の促進を明示しているところである。日本は今後とも、モントリオールプロセスに積極的に参加しつつ、国内及び世界の持続可能な経営の推進に尽力し、我々の経験と知見を積極的に国際社会と共有していく考えである。この観点から日本はモントリオール・プロセス参加国のコミットメントを再確認する"ケベック・シティ宣言"の採択を支持する。」
 22日の夕刻から、分科会討議も開始され、実質的な会合へと移行していった。今回の会議は、全体構成は厖大で、概括すると、「森林、いのちの源」を全体テーマとし、さらに「人類のための森林」、「地球のための森林」、「人類と森林の調和」の3つをサブテーマとして発表、討議等が行われた。
 キーパーソンによるプレゼンテーションや取りまとめのための全体会議のほか、大きな比重を占めていたのが、三つのサブテーマをさらに38の課題に分けての分科会討議と5つの生態地域(熱帯及び亜熱帯湿潤地域、熱帯乾燥地域、亜熱帯乾燥地域、温帯地域、亜寒帯地域)別討議であった。このほか特別な課題についての公開討論会、25日に企画された現地検討会・見学会(28コース)などである。
 23日は専ら分科会の会場をまわってみた。興味深いテーマが多い。米国の森林問題では、森林火災対策についての分析なども関心を引いたが、帰国後のカリフォルニア州で発生した大規模森林火災のニュースには心が痛んだ。「地球のための森林」グループの特定生態地域の機能分科会のリードスピーカーにメッテ ウィルキー女史(デンマーク出身)の名前を見つけて会場に入る。女史のプレゼンテーションは「世界のマングローブ林の変化」と題して、各地のマングローブ林の変化について丁寧な説明がなされた。女史はFAO勤務で森林担当者として、国際会議等で活躍が目立ち、今回も他に二つ三つのプレゼンテーションを行う活躍振りであった。また「森林の劣化減少原因」分科会では、元FAO職員のジーンポール氏(フランス)による「森林破壊と劣化要因」と題するリードスピーカーとしてのプレゼンテーションも行われた。
 また、筆者がカントリー(日本)ヴァイスプレジデントをつとめるISTF(熱帯フォレスター国際協会・本部米国)主催の会合も開催された。当協会は現在新規会員を募集中である。
 24日は討議会場をまわってみた。熱帯等5つの生態地域に分かれ、それぞれの会場では12人が円卓を囲む方式で、数十卓で一斉に熱気あふれる討議が進行するという方式である。 なお主会議場では、討議ルームの他、展示会場が設置され、各国、国際機関、企業、非政府組織など計137の主体がブース設置やポスター展示等を行って、それぞれの取組などを紹介した。国際モデルフォレストネットワークのブースを訪問した。森林認証のFSCブースなども見かけた。
 また併際イベントが隣接のヒルトンホテル、デルタホテル及び至近距離のパレスロイヤルホテルを使って連日行われた。日本から「Honokuni(穂の国) Forest Festival」イベントが24日デルタホテルで行われたので激励を兼ねて駆けつけた。2005年の世界博、日本の森林などが紹介された。
 夜は、天然資源大臣招待のパーティに参加した。場所は当地のシンボル的存在のホテルフロントナックである。豪華なシャトー風ホテルのパーティ会場は、パリでの世界林業会議のパーティを思い出させた。12年前、パリで招待状を受け取ったときは、会場は、オテルドヴィユと記載されており、当時それが、パリ市庁舎を意味するとも知らずに出かけたほどのオノボリさんであったことが懐かしい。ベルサイユ宮殿の一室の如き絢爛豪華なパーティ会場でのシラク パリ市長(現仏大統領)のスピーチの残像が一瞬頭をよぎったが、ケベックでのパーティはパリとは異なるものの素晴らしい雰囲気を醸し出していた。カナダ及び各国から参加の人達と旧交を温めることが出来た。レイクヘッド大学教授のネィスミス氏とは筆者が進行を担当した秋田シンポジウム以来の再会で夫妻そろって徹底した親日家であり、そこに今や国際モデルフォレストネットワーク事務局長に就任したピーター ベッソー氏も加わり、話は尽きないというところであった。前田林野庁次長も今回は多くの知己を得られたことと思う。
 翌25日は、フィールドトリップの日で、1日コース、半日コースと28コースの現地検討会が催された。筆者は、ジャックカルティール国立公園訪問の1日コースを希望し、参加した。当日は生憎の雨となったが、参加者は元気一杯、川の中で水草を食べる大型野生鹿のムースを間近に見たり、正に紅葉・黄葉真っ盛りのカナダの森の中を登山も組み込まれ、スケールの大きいカナダの自然を満喫した1日であった。
 26日に入ると展示が前日で終了ということもあり、かなり静かになったとの印象を受けた。 
 森林経営パートナーシップ分科会では、ネィスミス氏(カナダ)がリードスピーカーとして、カナダのモデルフォレストプログラムについて発表があった。
 27日はまとめに向かっての討議が行われ、最終日の28日は、全体会合で声明文の採択、
閉会式が行われ終了した。
 声明文の要点で目に付いた項目内容は、政策、制度及び統治の枠組みとして、文化的価値の保護、土地の所有・利用権及び資源のアクセスをもたらすような多様なモデルの確立。
パートナーシップとして、持続可能な森林経営の追求に当たり青少年のエネルギーと才能の活用、女性・森林所有者・先住民・NGO・地域住民・産業界・公的機関の参加を得た協調的なパートナーシップの奨励、公的機関と民間組織とのパートナーシップを含め国際的及び地域的なパートナーシップを促進すること。このほか、研究・教育・能力開発、森林経営では流域管理の改善など、及びモニタリングの各項目である。そして今後の行動として「本会議の参加者は、森林が"ミレニアム開発目標"やその他の国際的に合意された目標の達成に大きく寄与するよう、新たな熱意と決意をもって、上記のビジョン及び戦略の実現を目指す」こととし、すべの国の政府、関係部局、専門機関、企業、団体、地域住民、個人が早急にかつ強い決意をもって、本声明に掲げるビジョンと戦略の実現を目指すよう呼びかけることを決定した。
 なお6年後に予定される次回会議については、韓国、オーストラリアの二国から開催国として立候補するとの表明があった。
 終わりに
 さて次回会議にのぞむ日本の行動、持続可能な森林経営への貢献と情報発信であるが、一つの考え方として、政府と他の機関、民間等が一体となった活動が進展し、これが国際的な場で発表されることや或いは、持続可能な森林経営の国際交流拠点となりうるフィールド、施設等を提供していくことなどが早めに意志決定され準備を進めることが、森林・林業の先進国としての責務であろうと考えた次第である。
 ところで筆者が今回の会議にボランタリーな出席を決意した裏には、開催地がケベックということで文化的な魅力もあったが、オプショナルに企画されていたモデルフォレスト活動体験ツアーへの参加ということも大きな理由になった。
 既にカナダのモデルフォレストについては三か所体験しているので、今回の東部オンタリオ モデルフォレストで四か所目ということになった。
 このため、26日の午後6時にケベックに別れを告げて、バスでオタワに向かった。途中で腹ごしらえをして、オタワ到着は午前零時半となったが、直ちに就寝、翌朝9時に出発、東部オンタリオのファーガソン森林センターに向かう。一行約30名、アルゼンチン、チリなどスペイン語圏主体、アジアからはFAOバンコクのタンさん、中国のチァンさん。さて、この森林センターは地域のボランティアーにより5年前に設立され、360エーカーの苗畑を経営し、モデルフォレストの会員となっている。当日は林業祭ということで丸太、板材のオークション(競り市)が行われた。参加者は殆どが一般住民で主婦の参加も多く真剣に入札する。日曜大工が当たり前で、購入した材は家の補修や家具の製作に使うという。丸太は現地に移動製材機が用意されており、お好みに合わせ挽いてくれるシステムである。
 午後は当モデルフォレストの説明、夕食後は先住民による活動参加のプレゼンテーション10時終了。翌朝クイーンズ大学生物学ステーションへ。日曜日であるが、湖水でバージを使っての学生実習が行われていた。学生の宿泊施設も整備され、学生のトレーニングも教室ではなく専らフィールド学習に重点を置く姿勢が読みとれた。また休日でも指導体制を整えていることも印象に残った。
 次に訪問したのが、フォーチュンファームである。ここはシュガーメープル(サトウカエデ Acer saccharum Marsh.)の森でメープルシロップを生産している。このような森は別名シュガーブッシュとも呼ばれているが、東オンタリオではシロップ生産林は80か所ほどあるとのことである。ケベック州或いは米国でもメープルシロップの生産は盛んである。天然林では200年生の樹木でも生産可能である。林内は樹液を集めるチューブが張り巡らされ、あたかも工場のおもむきである。2ないし3月が適期とのこと。最近シュガーメープルの人工林造成も進められているが、シロップ生産が可能となるのは植栽後30年とのことである。
 これらの訪問先は皆、モデルフォレストの会員となってネットワークを形成し、その活動は地域活性化や環境改善に貢献しているもので、発足後10年余を経てモデルフォレスト運動が着実に前進していることが感じられた。
 以上を以て、WFC参加報告とするが、持続可能な森林経営の進展のためには、更に国際交流を盛んにしていくことが必要との考えを新たにした次第である。


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