ロバの足音 ➡ 私の山歩き ➡ 北関東・上信越
この地域には百名山は21座もある。そのうち、草津白根山、魚沼駒ケ岳、那須岳、平が岳、浅間山の5座は未登である。
東京から比較的近いので一人で行こうか、それとも登山ツアーに参加しようかと迷っているうちに、私が東京から松本へ転居し行きそびれてしまった。
浅間山は観光旅行で鬼押し出しや軽井沢側から中腹までは行ったことはあるが、山頂を目指したことはない。草津白
根山その他の山は喜寿を迎えた今やほぼ諦めている。筑波山(標高:877m)は常陸・会津の自転車旅で訪れたので
『国内のんびり』のページをご覧いただきたい。
至仏山 標高:2228m 登頂:1968年6月
燧ケ岳 標高:2346m 登頂:1968年7月
尾瀬ヶ原 ハイク:2002年5月、2013年8月
青春時代の私は唱歌『夏の想い出』が大好きで尾瀬に強くあこがれていた。会社の同僚と二人で、夜行バスに乗り
鳩待峠に入り始めて尾瀬を訪れた。残雪の至仏山に登り尾瀬ヶ原を横断した。澄み切った青空と水芭蕉の群落は
私の期待を裏切らなかった。同年翌月一人で再び尾瀬を訪れ燧ケ岳に登った。残念ながら天候に恵まれず山頂は
ガスに包まれ展望はなかった。
それから30年以上たち中高年層となった2002年、2013年は浅草から東武鉄道に乗り会津側から入山した。至仏山
や燧ヶ岳へ登ることよりも尾瀬ヶ原をのんびり歩きたい衝動にかられた。三条の滝や尾瀬沼周辺だけではなく尾瀬
ヶ原の隅々まで花を求め木道を歩き池塘を巡ることにより時間をかけた。
2002年5月はまだ残雪がたっぷりある裏燧を越えて尾瀬沼に出た。長蔵小屋では3代目で故人の平野長靖さんの
奥様の紀子さんともお話しできた。2013年8月は友人と友人の子供たちと4人で尾瀬を歩いたが、中学生と小学生の
子供たちはどんな印象を持っただろうか。 写真をクリックすると拡大します。
巻機山 標高:1967m 登頂:2016年10月
新潟・栃木県境に聳える巻機山へは、松本からJR篠ノ井線、信越線、北越鉄道を乗り継ぎ6時間かかりようやく六日
町に到着、さらにバスで40分登山口の清水に着いたのは夕方だ。 翌朝、清水の民宿を出発、好天に恵まれ鮮やかな
紅葉の中、いくつかの滝や奇岩を眺めながら井戸尾根ルートを進み山頂に達した。
山頂からは、上信越の山々はもちろん日本海、富士山まで見通せた。登りと同じルートを下り同じ民宿に泊まり翌日
松本へ帰着した。 写真をクリックすると拡大します。
谷川岳 標高:1963m 登頂:2004年7月
再登頂:2007年10月
一の倉沢を中心とする谷川岳の岩場は世界で最も遭難者の多い岩場として知られ『魔の山』とも云われる。
クライマーがあこがれる岩の殿堂谷川岳であるが、ロッククライミングを好まない私は岩場ではなく通常ルートの天神平
登山道を二度登った。2004年の真夏に息子と登り、下山後、
残雪のある一の倉沢の岩壁を見上げたがクライマー見つけ
られなかった。二度目の2007年は友人と4人で紅葉の秋に登ったが、いずれも晴天に恵まれ尾根道の快適な山歩きで
あった。 写真をクリックすると拡大します。
雨飾山 標高:1963m 登頂:2012年8月
私はJR大糸線島内駅の近くに住んでいるが、大糸線沿線に北アルプス後立山連峰以外の百名山があることに気づ
かなかった。南小谷まで電車、駅から村営バスで山麓の村営ロッジに到着。翌早朝登山開始、まもなく谷一面の雪渓が
あらわれた。この雪渓を横断すると布団菱の岩峰を見上げながらの急登となった。
稜線へ出るとお花に彩られた、なだらかな草原(笹平)となり山頂もすぐだ。双耳峰の山頂に登頂後は新潟県糸魚川市
側へ下り、雨飾山荘の都忘れの湯に浸かった。雪渓あり、岩峰あり、お花畑ありの変化に富んだ山を独り占めしたぜい
たくな山歩きであった。下山後、東北日本と西南日本の境目となるフォッサマグナ糸魚川・静岡構造線が地表に現れてい
る断層を見学した。 写真をクリックすると拡大します。
苗場山 標高:2145m 登頂:2016年10月
苗場山は長野・新潟県境に広がる上信越高原国立公園に属する百名山で、付近は日本有数の豪雪地帯である。
松本を出て篠ノ井線、信越本線を乗り継ぎ、飯山線の津南駅で下車、さらにバスで苗場山登山口の小赤沢集落へ
入り民宿に宿泊した。小赤沢集落は2011年長野県栄村大地震の被害を受けたところ。時間がたっぷりあったので
集落内を散策したが地震の爪痕はほとんどなかった。
翌朝、民宿の車で三合目の登山口まで送ってもらい登山開始。快調なペースで歩き始め、草紅葉と池塘の点在する
山頂の湿原に10:30頃到着。近くのヒュッテからは団体登山客のにぎやかな声が聞こえたが山頂は樹木に覆われ静寂
そのもの。下山はカエデ沢ルートを下り途中、大瀬の滝にも立ち寄った。下山後、集落唯一の温泉で静かな山旅の汗を
流し前夜と同じ民宿にお世話になり翌日家路についた。 写真をクリックすると拡大します。
妙高山 標高:2446m 登頂:2003年8月
火打山 標高:2462m 登頂:2003年8月
信越国境に聳える妙高山、火打山、焼山は頚城三山と云われ広大な妙高戸隠連山国立公園に属する。百名山の
妙高山と火打山に登る東京出発の2泊3日のバスツアーに参加した。初日、妙高山麓の赤倉温泉に宿泊するころに
は雨となり、翌日早朝、激しい雨の中を出発、妙高山に登頂しさらに火打山を目指し天狗の庭に達した。雨はますます
激しくなり、私は火打山登頂をあきらめて山小屋に避難し、登頂を強行したメンバーの帰りを待った。雨にたたられた
山行で写真も山の印象もほとんどない。松本から近いので機会があれば晴天の日に再度挑戦したい。
戸隠山 標高:1904m 登頂:2011年11月
高妻山 標高:2353m 登頂:2016年10月
戸隠山は百名山ではないが、信仰の山として有名で、山麓には戸隠神社の数多くの社がある。北から西へ連なる
戸隠山の尾根は修験道の山にふさわしく麓から見上げると鋭い岩稜が続き圧倒される。初冬の一日、息子と二人で
戸隠神社奥宮の裏手から新雪で滑りやすい山道を登った。しかし、冬山の装備も十分ではなかったので蟻の戸渡か
ら先へは進めず、残念ながら登頂をあきらめ引き返した。
高妻山は戸隠連山のもっとも奥まったところにあり、麓からその山頂は見えない。戸隠高原越水原のロッジに2泊し、
初日は紅葉真っ盛りの戸隠神社の広い神域を半日かけて散策した。戸隠五社を初め境内はハイキングコースになっ
ていて、湿地帯にある鏡池、小鳥が池には木道が巡らされていた。
翌朝、戸隠牧場を横切り登山開始、滑滝の鎖場を通過すると稜線に達したが、ここから高妻山頂までの縦走路が
長くかつアップダウンがきつく、山頂は見えているが一向に近づかない。標高2000mを越えると縦走路には薄氷が張り、
樹木には霧氷の花が咲いていた。山頂は巨岩がゴロゴロしていて休息するスペースは少ないが、展望は素晴らしく、
妙高山・火打山はもちろん噴煙を吐く焼山、はるかに八ヶ岳連峰や北アルプスの山々を指さすことができた。下山は、
整備されたばかりの新道を戸隠牧場目指して下った。 写真をクリックすると拡大します。
日光白根山 標高:2578m 登頂:2009年10月
男体山 標高:2484m 登頂:2009年10月
戦場ヶ原を挟んで西の日光白根山と東の男体山が向き合っている。東京出発の登山ツアーに参加してこの二つの
百名山に登頂した。天候に恵まれたこと、参加者が少なかったこともあり、青空のもと紅葉と湖の静かな山歩きを楽
しむことができた。日光白根山はロープウエイで2000mまで運ばれたので山頂までは苦も無く達した。五色沼を見下
ろしつつ戦場ヶ原へ下り湖畔の宿へ入った。男体山は山域全体が二荒山神社の境内であり、山頂には奥宮がある。
私たちは北側の志津乗越までマイクロバスで入り、ダケカンバの中を歩き山頂を目指した。下山路は二荒山神社の急
坂の参道を中禅寺湖畔までまっしぐらに下った。 写真をクリックすると拡大します。
赤城山 標高:1828m 登頂:2008年10月
武尊山 標高:2158m 登頂:2008年10月
皇海山 標高:2144m 登頂:2008年10月
新宿発のバスツアーで上州群馬県の百名山3座を効率良く登った。赤城山は連峰全体を指す名称であり、最高峰は
黒桧山である。赤城神社で登頂を祈願して登ること2時間弱で黒桧山山頂の展望台に達し、駒ケ岳を経由して下山
した。武尊山麓の湯ノ小屋温泉に宿泊し、翌朝武尊川沿いの登山道を約3時間かかり武尊山山頂へ。中の岳、
セビオス岳を縦走し武尊牧場へ下山し尾瀬戸倉温泉に宿泊した。標高差1100mの登山は中高年の体にはいささか
きつい。皇海山は不動沢コースを登り2時間半で渡良瀬川源流の標識が立つ山頂に着いたが樹林に拒まれて眺望
はない。鋸山の鋭鋒を眺めつつ往路を下山した。これも2泊3日で三座を登頂するかなりきつい登山ツアーであった。
四阿山 標高:2333m 登頂:2010年7月
ロマンチックな響きのする嬬恋村(群馬県)の四阿山(あずまやさん)は、長野県側はスキー場で有名な菅平高原
である。四阿山は吾妻山とも云われ、なだらかな裾野の山容は優美で女性的ですらある。私たちはガイドの先導で
嬬恋村ルートを登り山頂までを往復した。山頂直前に若干の急登があったが概ね高原歩きの感覚であった。
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