『信条』



「・・・宗次郎」

コトリと、乾いた障子の音と共に、土方の低音が響く。

次いで現れた声の主は、手盥を手に、静かに部屋に滑り込む。

宗次郎は、ぼんやりと土方の動きを目で追った。

僅かに動いた唇は、何の音も紡げなかった。


「具合が悪くても、早起きだな」

土方の揶揄(からか)い声にも、いつものやんちゃな反応は返らない。

見上げる瞳にも、元気な光は見当たらなかった。

薄暗い部屋の中、大きすぎる夜具に、小さな躰が頼り無く泳いで見える。


腰を下ろすと同時に、掠れた声が弱々しく土方を呼んだ。

「・・と・・し・・・」

土方は、乾いた唇にそっと指を押し当てる。

「ひでぇ声だな。・・・口は開くな」

(ぬく)まった手拭を跳ね除け、手盥に放ると、熱い額に掌を当てた。

返す手の甲で頬に触れ、そのままそっと耳の下から首筋へと指を這わせる。

指先を引きたくなる程に高い熱と、急いた脈動、耳から喉にかけては、ひどく腫れ上がっているのがわかる。

当人は、冷たい指の感触に、薄闇色の瞳を心地良さそうに細めている。


「・・よくもここまで、腫れたものだな」

土方は、小さく息を吐く。

それを見上げ、宗次郎は笑んでみせた。

「だい・・じょ・・ぶ・・」

「口を、開くな」

再び当てられた土方の指に、熱で潤んだ薄闇色の瞳が、困ったような色を湛えた。





早朝の、試衛館道場。

行商の荷を玄関に残し、井戸端に立つ諸肌の背に、急いた足音が近付いてきた。

良く知る足音に、土方は、背を向けたまま声を掛ける。

「勝っちゃん、早起きだな」

近付いた近藤は、拍子抜けしたような応えを返す。

「歳か・・」

土方は、振り向かぬままに苦笑した。

「随分だな。久しぶりだってのに」

「すまん。人違いをした」

土方は、手拭を濯ぎながら揶揄(からか)い声を掛ける。

「井戸端に、一体何の待ち人だ?」

肩越しに振り向き、眉根を寄せる。

明らかに面窶(おもやつ)れした近藤は、手盥を抱えていた。


「・・チビの具合、悪いのか?」

「わかるか?」

近藤が、引き攣るように笑ったのを見て、土方は溜息を吐いた。

手盥を見ただけで、すぐに結びついて仕舞う程に、躰の弱い小さな弟弟子。

「まだ、季節の動くには早いんじゃねぇのか?」

手拭を濯ぐ水音に、土方の苛立ちが混ざっている。

「・・季節の動きと関わらずとも、具合の悪くなる時もあるさ」

「あいつは、それが多すぎる」

苦々しげな土方に、近藤は苦笑した。

「好きで、具合が悪くなる訳でも無い」

「好きで寝込まれて堪るかっ」

手拭をきつく絞り、ゆっくりと躰の向きを転じる。


「・・いつからだ?」

「三日前だ。ひどく喉が腫れて、熱も下がらん」

「・・・喰わねぇのか?」

近藤は、頑丈そうな顎を引く。

「今回は・・仕方が無い。水を飲むのも難儀している位なんだ。喉を、通らないんだよ」

「仕方が無いで、済むか」

土方は、機嫌悪く手桶の水を庭に放った。

弧を描く水は、乾いた地面に土煙を立てて染み込んでゆく。

それから、ゆっくりと次の水を汲み上げ、近藤の持つ手盥を満たす。


「熊は、どうした?」

「泊り込んでくれている。ついさっき、診療所に戻った処だ」

「・・誰が、井戸端の待ち人だ?」

「源さんだよ」

土方は、眉根を寄せた。

「源さん、居ねぇのか?」

近藤は、頷いた。

「今日当たり、出稽古から戻る筈だ」

改めて、手盥を持つ近藤を見つめる。

この、器用とは言えぬ親友が、一人で宗次郎の看病を引き受けていたのだろうか。

土方は、着物の袖に腕を通す。


「出稽古は、大先生と一緒か?」

「ああ」

「・・・おかみさんは?」

「居るがね」

歯切れの悪い応えに、土方は渋面になる。

「内弟子なんぞ、関係無いってか?」

「そんな事は無い」

困ったように笑う、近藤の表情は硬い。

「食事の世話は、引き受けてくれたが・・・」

「くれたが?」

「宗次郎があまり喰えないのが、気に入らなくてな」

土方は、舌打ちした。

「チビが喰わねぇのは、いつもの事じゃねぇか」

「そうなんだが・・・」

土方は、溜息を吐く。

「それで、源さん待ちか?」

近藤は、頷いた。

「源さんの粥なら、少しは食べるからな」

「粥の味なんぞ、変わらねぇだろうよ」

土方は、苛々と吐き捨てる。


「しかし・・・おかみさんは、まだ、勘違いのままか?」

「誤解だと、言ったさ」

土方は、乱暴に手拭を広げる。パンッと大きな音が庭に響いた。

「いいか?勝っちゃん。女なんてのはな、幾度も言い聞かせなきゃ納得なんざしねぇよ」

「そうは言っても、俺が言い聞かせる訳にもいかんだろうが」

土方は、手拭の隙間から親友の困り顔を睨み付ける。

「・・大先生の不徳を、チビが贖(あがな)う事はねぇだろうよ」

近藤は、乱暴な、しかし要点を突いた親友の言に苦笑した。

「隠し子結構。だがな、チビと大先生は欠片も似てねえだろう?大体、光さんとも貌を合わせているんだ。いい加減わかりそうなものじゃねぇか?」

「そうは言っても、心の有り様は違うだろう」

「何、呑気な事言ってやがる」

土方は、貌を顰めた。

「似てるっていやぁ、勝っちゃんの方が、余程大先生に似ているぜ?」

「歳っ」

近藤は、慌てたように母屋を振り向く。土方は、眉根を寄せた。

「・・・ったく、情けねぇ父子(おやこ)だな」

土方の嫌味は、容赦無い。


「チビは?」

「少し前に、目を覚ました」

「・・・そうか」

土方は、近藤の持つ手盥を取り上げ、替りに濡れ手拭を放った。

慌てて受け取る近藤の肩を、ポンと叩いて擦れ違う。

「勝っちゃん、少し寝ろ。ひでぇ顔色だぜ?」

「お前も、行商帰りじゃ疲れているだろう?今日は稽古も無い、構わないよ」

土方の、背が笑った。

「悪い。ゆっくり遊んでの朝帰りだ。疲れてなんぞいねぇよ」

乱暴に歩き出す。

「歳」

土方は、ゆっくりと振り返った。

近藤は、困ったように親友の仏頂面を見つめる。

「・・叱るなよ?」

「チビをか?・・叱りゃあしねぇよ」

「・・・貌が、怒っているぞ?」

土方は、益々仏頂面になる。

「この貌は、元々だ」



小さな躰は、触れる何処もかも高い熱を持っている。

手盥の手拭を濯ぎ、固く絞って額に乗せる。

土方が、再び小さな溜息を吐いたのを、薄闇色の瞳が悲しげに見上げた。

それに気付き、いつもより赤い頬をそっと撫でる。

「宗次郎・・また、ギリギリまで我慢したのか?」

「・・ち・・が・・・」

再び、乾いた唇は、指で塞がれた。

「喋るな。余計に喉を痛める」

宗次郎は、応えの代わりに小さく頭(かぶり)を振った。その僅かな仕草にも、苦しそうに貌を歪める。

見つめる土方の貌が、僅かに曇ったのを認め、薄闇色の瞳がみるみる潤んだ。

己の事には、てんで無頓着な少年は、他人の感情には、大きく心を揺らせてしまう。

土方は、心裡で嘆息した。

「泣くな。・・・怒っている訳じゃねぇよ」

何とか、笑顔を見せる。

「具合の悪いときに、余計な気をまわすな」


土方の手が、小さな指先を軽く握る。

そのまま持ち上げられ、目の前に寄越されたそれを、宗次郎は不思議そうに見つめた。

「分ったときは、返事の代わりに、指に力を入れろ」

宗次郎は、二、三度瞬きをする。

そして、大きな掌が、微かな指の動きを感じ取った。

「喉は痛むか?」

指先が、諾と応える。

「飯は、喰えねぇか?」

指が、戸惑いながら微かに動いた。

土方は、小さな面を覗き込む。

「・・喰わなきゃ、良くならねぇぞ?」

応えの代わりに、薄闇色の瞳が伏せられた。長い睫毛が、熱に震えている。


日頃から、驚く程に食の細い少年は、不調になった途端、何も口に出来なくなる。

床就(とこづ)く事の少なくない脆弱さを思えば、これだけは何としても直さねばならぬ。

「・・後で、喰わせてやるからな」

薄闇色の瞳を見開いた宗次郎が、困ったように土方を見上げる。

土方は、知らぬ振りをした。

「・・午(ひる)になったら、少し喰おうな?」

口元を引く土方に、宗次郎の目が否と訴えている。

握られたままの指を動かさぬよう、小さな腕が震えている。

土方は、薄闇色の瞳を覗き込んだ。

「嫌いも、一つ直そうな?」

「・・・や・・」

掠れた声は、すぐに指で塞がれる。


「分ったときは、指で応えろ」

薄闇色の瞳が、抗議の色を浮かべている。それに、土方はニヤリと笑った。

「お前の『違う』も、『大丈夫』も、今は聞かねぇよ。否と言うなら、口で応えな」

慌てて開いた唇は、すぐさま指に封じられる。

「口は、開くな」

理不尽な所業に、包み込んだ小さな指が、抗議の為に握られた。

それに、土方はしたり顔で優しく頷く。

「良し。まず、昼餉は残すなよ?」

「とし・・・ちがっ・・」

「口を、開くな」

どうにもならない状況に、薄闇色の瞳から一粒涙が零れ、小さな手が、土方の指をぎゅっと握り締めた。

土方は、笑いながら頬を撫でる。

「いいか?チビ助。これは、意地悪じゃねぇぞ。お前の見栄は仕舞っておけ」

涙で潤んだ薄闇色の瞳は、玻璃玉のように光っている。


「今日の土産は、間合いが悪い」

苦笑しながら懐に手を入れた土方を、濡れた瞳がゆっくりと追う。

懐から取り出された紙包みの中身に、宗次郎は小さく口を開いた。

「・・あ・・」

小さな手が、土方の袖を握り締める。

「鍵屋の葦(あし)花火。・・・手持ち花火だよ」

熱に潤んだ宝石の瞳に、好奇心の光が点(とも)る。

土方は、その瞳を覗き込んだ。

「元気になったら、な?」

繋がれた指が、今度は力強く応えを返した。




「おう、土方。チビちゃんの具合はどうだい?」

土方は、巨体を屈めながら、部屋に入る道庵を睨み付けた。

(ひる)過ぎ、申し訳程度に粥を口にし、眠り込んだ宗次郎は、苦しげな呼吸を繰り返している。
井上は、まだ戻らない。


「それは俺の台詞だろうが。三日もこの状態ってのは、どう言うこった?」

「熱が出るのは、仕方なかろう?」

事も無げに応え、ドッカリと向かいに座した道庵を、土方は鬼のように睨み付けた。

「・・てめえ、やっぱりヤブだな」

道庵は、土方の貌を覗き込む。

「土方。おめえは、チビちゃんの事となると、どうも短気でいけねぇよ」

布団を捲り、脈をとる。

「熱は、今夜限りだよ」

診察を始めたながら、道庵がさらりと応えた。


「何故、わかる」

「医者だからな」

陽に焼けた坊主頭は、いつものようにつるりと綺麗に剃られている。

しかし、その貌ときたら、半分以上が無精髭に覆われ、ますます熊のようになっている。

「・・・大体、何だその面(つら)は」

道庵は、顎を撫でた。

「剃る間が無かった。気にするな」

土方は、呆れ返る。

「頭のついでに剃りゃ、済む事だろうがっ」

「馬鹿言うな、無駄な時間を使えるか」

道庵は、大真面目だ。

「なら、頭も剃るなっ」

「そんな無精が出来るか」

重低音の応えに、土方は、冷たい目で道庵を見つめた。

その遣り取りに、宗次郎が薄く目を開く。


「チビちゃん。もう少し辛抱しな」

道庵は、無精髭の中から、にこりと笑った。

小さな躰を抱き起こすと、薬箱から竹筒を取り出す。

嫌がる間を与えずに、道庵は手際よく口元に寄せる。

「朝迄の薬とは、少し違うぜ。喉の痛いのは、ちょっとだけ我慢だ」

この三日、同じように飲まされ続けたのだろう、宗次郎は素直に口を開く。

土方は、黙ってその様子を見つめていた。

わざわざ煎じて持って来てくれたのは、近藤の苦境を慮っての事だろう。

土方は、心裡で溜息を吐く。

(女の悋気(りんき)は、始末に負えねぇ)



再び眠り込む宗次郎を間に、かなりの時を置いて土方が口を開いた。

「熱は、下がるんだろうな?」

道庵は、病人から目を離さないまま応える。

「喉の腫れは引き始めている。少しすれば下がり出すよ」

「・・・風邪か?」

道庵は、視線を上げた。

「寺子屋で流行(はや)っているんだ。・・貰っちまったようだな」

土方は、息を吐いた。

「こんなに酷いのは、こいつだけなんだろう?」

道庵は、笑った。

「・・子供なんてのは、高い熱を出すものさ」


一刻程後に、道庵は、ゆっくりと腰を上げた。

薬箱から、更に二本の竹筒を取り出し、土方に手渡す。

「他の往診を済ませたら、夜にまた来る。なるべくこれを飲ませろよ?」

「わかった」

障子に手を掛けた道庵が、思い出したように振り向いた。

「徳さんが茶碗蒸しを拵えている。後で届けるから、喰わせてやんな」

土方は、道庵を見上げた。

「・・・礼を言う」

「ほう?珍しいな」

道庵が、面白そうに笑った。土方は、仏頂面のまま反論する。

「てめえにじゃねぇ。礼は、徳治さんにだ」

「相変わらず、無礼な奴」

道庵は、笑いながら障子を閉めた。


呼吸が荒くなる度に、抱き起こし、薬湯を飲ませる。

土方は、その作業を根気良く繰り返した。

その内に、少しずつ熱が引き始めてきた。

様子を見守る土方は、漸く表情を緩める。

そのままゴロリと横になり、肘枕で、宗次郎の寝顔を見つめ続けた。



「・・うん?」

枕辺で、転寝(うたたね)をしていた袖を、小さな手が引いていた。

それに目を開き、小さな面を覗き込むと、宗次郎がにこりと笑顔を見せた。

いつの間に眠ってしまったのか、障子の向こうは、鮮やかな茜に染まっている。


土方は、手拭を跳ね除け、熱を測る。掌に伝わる熱は、随分と引いている。

「・・・苦しいか?」

宗次郎は、小さく頭(かぶり)を振った。耳元にそっと指を這わすと、腫れも大分引いている。

土方は、深々と安堵の息を吐いた。

小さな躰を抱き上げ、残りの薬湯を全て飲ませる。

手拭を濯ぎ、再び額にそっと乗せた。

「もう少しすれば、熱が引くからな」

宗次郎は、小さく頷く。


小さな両の手が、空(くう)を切る動きをした。

土方は、暫しその動きを追う。

どうやら、竹刀に見立てて動かしているようだ。

少し元気になると、途端に剣術へ考えを向けるあどけなさに、土方は口元を薄く引いた。

この分なら、二、三日後には、いつものやんちゃが戻るだろう。


そんな思いに捕われつつ、幾度も繰り返された動きから、宗次郎の問いが知れた。

「ああ。剣先(けんせん)が攻め合った場合だな?」

薄闇色の瞳が、頷いた。

土方は、小さな手を取り、動きを教える。

「相手の竹刀が下がった場合は、正面に打ち込む」

宗次郎の手に、土方の掌が応戦する。

「上がった時は、押さえてから鍔元へ滑り込ませて、篭手を打つ」

小さな手に、流れを教える。

「いいか?流れをよく見て相手の懐に入る。打ち込む時は容赦するな」

返事の代わりに、小さな手が、土方相手におさらいをする。

細く頼り無い腕の、流れるような動きに、土方は内心舌を巻く。

たった一度、寝物語に聞かせた事ですら、この少年は一滴(ひとしずく)も洩らさず、掬い上げ、吸収していく。

人形と見紛う程の容貌に隠れた、煌めくような剣の才。その天稟に、魅せられる瞬間である。


「宗次郎」

土方は、小さな掌を包み込んだ。

覗き込んだ薄闇色の瞳は、驚く程に澄んでいる。

「・・わかってはいるだろうが、これは喧嘩剣法であって、天然理心流じゃねぇからな?」

「と・・しぞうさ・・」

掠れた声が、土方を呼ぶ。

「喋るなと、言ったろう?」

端整な貌が苦笑したのを見て、宗次郎もにこりと笑う。

「あの・・ね」

土方は、小さな唇に指を当てた。

「お前の言う事なんざ、聞かなくてもわかる」

薄闇色の瞳が、不思議そうな色を湛えた。

「元気になったら、稽古だろ?」

唇に当てた土方の指を、小さな指が握り締めた。

――はい。

「俺とやると、大先生に叱られるぞ?」

宗次郎は、大きく頭(かぶり)を振った。それに、土方の渋い声が飛ぶ。

「動くな」



廊下を進む近藤の耳に、親友の低音が流れてきた。

その暗誦に、近藤は、目を丸くした。

「天に象(かたど)り地に法(のっと)り、以て剣理を究める」


部屋の中では、土方の暗誦に、宗次郎の唇が共に動いている。

土方は、宗次郎の頬を優しく撫でた。

「声に出さなくても、心で唱えりゃいい」

宗次郎が、小さく頷く。

「今のお前には、何よりのまじないかもな」

宗次郎が、にこりと笑顔を見せた。

「だいじょう・・ぶ」

「口を、開くな」

繰り返される小言に、薄闇色の瞳が悪戯気な色を浮かべた。


「とし・・」

「喋るな」

「・・はな・・び、できる?」

土方は、首を振った。

「熱が下がって、声が戻って、飯を残さず喰えたら、だ」

宗次郎は、ガッカリしたように瞳を伏せた。

「花火は、逃げねぇよ」

土方が、笑った。

繋がれたままの指に、力が込められる。

「まだ・・・でかけ・・ない?」

土方は、小さな手を握り返した。

「お前の悪戯に、尻を叩けるようになるまでは居るさ」

宗次郎が、頬を膨らませた。


布団の上から、あやすように撫で続けると、宗次郎から寝息が聞こえ出した。

苦しげだった呼吸は、漸く落ち着いたものになっている。土方は、ゆっくりと息を吐いた。

「・・・早く、元気になれ」



障子が静かに開き、手盥を片手に持つ土方が、素早く部屋から出てきた。

廊下に立つ近藤に驚き、慌ててそっぽを向く姿に、近藤は吹き出した。

「歳。代わるぞ」

「・・ちゃんと休んだのか?」

「ああ、充分寝かせて貰った」

手盥を受け取り、近藤は笑った。

「・・ちゃんと覚えているじゃないか」

「何の事だ?」

しらを切る土方の耳に、聞きたくは無い文句が聞こえる。

「天に象(かたど)り地に法(のっと)り、以て剣理を究める」

土方は、仏頂面になる。

「一応は、門人だ」

近藤は、破顔した。


「流石は、兄弟子だな」

「煩えっ、流派の信条が言えなくてどうするっ」

近藤は、満面に笑顔を湛えている。

「その調子で、もう少し道場(ここ)に居ついてくれると、嬉しいんだがな」

土方は、親友に視線を流した。

「忘れたか?俺は、薬屋だ」

近藤は、笑顔で頷く。

「二足の草鞋も、出来ればウチに脱いで貰いたいだけさ」

「・・・先の事は、わからねぇよ」

「先など、己で作るのがお前の信条だろう?」

土方は、鼻を鳴らした。

「・・チビと花火をする迄は、居るぜ?」

近藤は、微笑んだ。

「歳が居れば、宗次郎の治りも早い」


遠く玄関から、大きな声が聞こえてきた。

「只今、帰りました」

二人は、目を合わせる。

「源さんだ」

近藤は、笑った。

「これで、宗次郎の待ち人が揃ったな」




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