−よもやま話-その14−
所長のコジーノです。今回も前回の続きです。
97年の12月の初頭に「Ray Dream5」のバージョンアップのお金を振り込んだものの、結局
年内に届く事は有りませんでした。記憶によると98年1月の終わり頃だった記憶があります。
期待の「Ray Dream Studio5」の中身はと言うと、流石に「4」とは比べ物にならないくらい
安定強化していました。ただ不思議にPCを起動してからの最初の起動の際は何故か、
100%の確立で起動に失敗する特性(?)がありました。この症状は「Windows98」へOSを
バージョンアップするまで直ることは有りませんでした。
肝心の機能の方も「4」とは比べ物にならないくらい安定していました、基本的な機能は・・・。
いきなりOSごと「落ちる」事も激減(0ではなかった)したので、安心して作業出来る様になり
自分なりに実感できるくらい基礎技術が向上しました。
しかし、少しずつ「こった」物を作成できるようになるに連れPCの方が足を引っ張りだしました。
98年の春にちょっとした室内のシーンを作成している時に限界を迎えます。室内と言っても
今もし見たら「何?これっ!」ってレベルの物だったと思いますが、家具(箪笥や本棚、ベッド)
や色々な小物を根気よく作って配置して、「もう少しで完成だ!」と言う所まで来た時にPCの
「メモリ」容量に限界が来ました。
此処まででもHDに作業中頻繁に書き込みをする時がありましたが、「あっ、これが噂のスワ
ップってやつね」てな具合に余裕のある、時間にするとほんの数秒だったのが、突然数値を打
つだけでも4〜5分HDに読み書きするようになったのです。なぜか突然に・・・?。当初はメモリ増設が億劫だったので、だましだまし作業していましたが数値の変更だけでも
5分ほどHD読み書きを繰り返すので作業になりません。しかも読み書き終了後にソフト自体
が「フリーズ」していたりと、時間と電力ををただ「浪費」しているだけのようなので「メモリ増設」
に踏み切りました。当時使用していたPCは、まず「SIMM」と言うメモリモジュールを2枚1組で増設するように
なっていました。
しかも当時は今とは比べ物にならないほどメモリは高価で、当初「64MB」増設予定でしたが
金銭的な理由で「32MB」に留まりました。これでも1万2〜3千円払った記憶があります。
64MBだと記憶によると、2万円超のお金を要したと記憶しています。メモリを増設し当時なりに「快適」に制作できるように(32MBとは言え)なったものの、作る
絵のレベルは中々このあたりから「向上」していないのを実感していました。俗にいう最初の「壁」
だったのかもしれません。
現在のように「インターネット」を利用していなかったし、「雑誌」の数も乏しく、内容も「2D」
「3D」「印刷」など広く細いものでしたので、絶対的な「情報」が不足していたように思います。
なので1冊だけ発売されていた「Ray Dream」の専門書を、何度も最初から読みかえし、
作品を作りつづけるしかない状況でしたね。
ただ、この「Ray Dream」の専門書は少し変わっていて、「Ray Dream」のTipsなどより
CGを作る上での「心構え」や、「CG作品とは何ぞや?」のような記述が多く、ある意味「哲学」
書のようでした(笑)。当時は「技術解説をもっと載せろよ!」と思いながら講釈文を何度も
読んでは「役に立たない本め(恨)」と文句を言っていたものですが、このとき読んだこの本の
内容が今現在、制作する上でとても「血となり肉となって」生きている気がします。この後、挫折する事なくCGをやりつづけ個人的には「Dragons Tower」あたりから「壁」を
1つ超えた気がします。
これを機に制作出来る「内容」「スピード」も向上しました。データーを消失したので「研究成果」
には数枚の作品しか展示していませんが、あと15前後の絵を制作していたはずです・・・。
しかし、色々実践出来るようになるに連れまずレンダリング時間を莫大に要するようになりました。
記憶では「Last Angel」が最長記録で、印刷の必要があったのもあって「A4」サイズで36時間と
少しかかった記憶があります。もちろん何度かの「テスト」レンダリングは別です(笑)。
それとこの頃から例の「メッシュモデラー」なる、新搭載のポリゴンモデラーを使用してしたのですが、
これはかなり酷い物で、分り易く例えると「メタセコイアを200倍使い難くした物」でした。その上
安定性は「メタセコイアの1/500」でした(泣)。でも良い経験でしたね(笑)。今でこそ、その様に思えますが、当時はかなり切実な問題でしたね。しかも時同じくしてあの
「My Shade」が発売され、色々なCG専門誌以外のPC雑誌にも取り上げられるほどブレイクして
おり、「テライユキ」の登場もあって「世はShadeの時代」と言う感じでした。
僕も記事を読んでは「おお、これが(テライユキ)作れるヤツか!」や「安定度抜群となッ」など
無視できない存在になりつつありました。でも「また1からソフトを憶えるのもなー」とも思いました。が、「My Shade2」発売に伴い各CG専門誌の「手放しの賞賛記事」に目がくらみ、時1999年
12月、とうとう「My Shade2」を購入してしまうのです・・・。「何でも、柔軟にモデリング可能」とされる「自由曲面モデラー」に期待を込め・・・・・・(笑)。
その15へ続きます。
2002/07/29記す。