第16号 マニュアル人生


女性向けファッション雑誌に載っている恋愛講座のお世話になるほど、
マニュアル人間ではなかったが、
初めての子育てのとき、私はマニュアル人間になっていた。
子どもが生まれる前までに私は育児書を50冊以上読んだ。
そして、月齢別に育児方法と内容とその時期に合った遊具を具体的に書き出し
”私専用の育児マニュアル”を作った。
生まれた後は自作のノート片手に育児に励んだ。
なにもこわいものはなかった。
信じる者は救われる。まさにそれだった。
ノートを信じていたから迷わなかった。
ノートの通りに子どもを育てた。
信じられないだろうが、本当なんだ。
マニュアルは3歳までだった。
娘が3歳過ぎたら、どうしていいかわからなくなった。



マニュアル人間というと若い人の代名詞みたいな気がしていた。けれど、どうも、そうでもなさそうだ

以前、こんな新聞投稿があった。
・定年後、自分がぼけるんじゃないかと不安になる日々。「ボケやすい人」がテーマの記事なんかが目に入ると食い入るように読んでしまう。そして、「あ、自分は大丈夫。」と、ほっとしたり、時々あてはまる項目があると、急に不安な気持ちに陥ったりしてしまう。(59歳 男性)

彼は、「旺盛な好奇心をもち続けること」がボケ防止の秘訣といい、「その点、私には、まだやり残したことがいっぱいある。それを一つ一つやりとげていけばボケの入り込む余地はないと自分を暗示にかけている」と、結んでいた。「やり残したことがあるとボケの入り込む余地がない」という理論にはちょっと首をひねるが、ま、それはいいことにして、私がびっくりしたのは、59歳のおじさんでも「ボケないためのマニュアル本」が気になるんだという点だった。

よく考えてみると、マニュアル人生というのは、いつ頃から流行っていたのだろう。ごく最近のことなのか?
いいえ、もう、ずっと昔からみんなマニュアル人生歩んでいたのです。


昔、価値観が一つしかなかった頃、人は人生に迷わなかった。
自分の生き様に疑問の入る余地がなかった。
私の母は見合いで結婚した。
「どうしてお父さんに決めたの?」
と、聞くと母は父の前で悪びれずこう言った。
「だって、断っちゃあ仲人さんに悪いから。」
母のお姉さんはもっとすごい。
結婚相手の顔を結婚式の当日初めて見たというのだから。

当の母たちは、そんな自分の人生に一つも疑問をもっていない。
結婚するのは当たり前。子どもを生むのは当たり前。
離婚しないことさえ彼女たちには当たり前だった。
たぶん、子どもが産めなかったら、離縁されて当たり前なんだろう。
そんなたくさんの当たり前に従って生きてきた私たちの先輩たち。
マニュアル人生以外のなんであろう。
さっき話した59歳のおじさんだって、
きっとこんな決まり切った価値観に従って生きてきたに違いない。
年をとって急にマニュアルに目覚めたわけじゃない。

マニュアル、マニュアルと騒がれだしたのは、他でもない、みんながマニュアルにとらわれだしたからではなくて、みんなが自由に生き始めたからだ。自由に生きようとしたら、どうしていいのかわからなくなってしまった。今までなら、世間様のおっしゃるとおりにしていればよかった。好きなようにしていいよと言われて、逆にどうしていいかわからなくなってしまった。
子育て・人生・金儲け・人間関係・恋愛・SEX・・・今、本屋の棚にマニュアル本はあふれている。
自由を手にしておぼれそうだ。だから、マニュアルという浮き輪が必要なのだ。



子育てが3年過ぎたとき、子どもは幼稚園に入った。
いい幼稚園だった。
園の方針は私が過去3年間してきたことと180度違っていた。
私が徹底的に与える教育だったとすると、
園のは子どもが育つ環境を用意する教育だった。
園のすばらしさを感じれば感じるほど、私は自分が今までしてきたことへの疑問に苦しんだ。
私はいったい3年間なにをしてきたのだろう。
子どもが生まれてからの3年間、私はとても楽しかった。
でも、あれはなんだったんだろう。
子どもを無視して自分だけが楽しんでいたんじゃないのか。
でも、幼稚園の先生たちはそんな子育てをしてきた私を叱らなかった。
誰も私の過去を叱らなかった。
誉められもしなかったが、叱られなかったことが私にとっては驚異だった。


幼稚園は母親を育ててくれた。
私はそこで「自分が生きる」ということを学んだ。
「自分が生きる」とは、「人と比較しないで生きる」ということだ。
自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の体で行動する。
ただ、それだけのことなのだけれど、私は今までそれができていなかった。
人目が気になり一般的な標準が気になり世間体と常識だけが私の基準だった。
自分の頭で考えていると思っていたことも
実はだれか偉い人の言ってることを鵜呑みにしているだけだった。
自分の心で感じているつもりでいたけれど、よくよく感じようとしてみると、
正しい良い子の感じ方しかできないでいる自分に気がついた。
そして、なにより私の行動は自分の要求から出たものではなく、
大抵世間の誰かが要求していることをしているに過ぎなかった。
だから、マニュアルが必要だった。
マニュアル片手に分かったような顔して自分の意志で生きているつもりになっていた。
「人との比較」という基準を捨てるだけでも、マニュアル人生から抜け出すことはできると思う。



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