第20号 育児参加と家庭サービス

「育児参加」という言葉には
出来ないことを無理にする
したくないことを仕方なくする
よそ者が親切に手伝う

という響きを感じる。
「家庭サービス」という言葉がある。
家族と生活することがサービスだなんて
なんとも家族に対して失礼じゃないか。

私の父は自営業でいつも私たちのそばにいた。
子どものころ、父はいつも居間でお茶を飲んでいた。
そして、私たちに左甚五郎や織田信長や豊臣秀吉の話をしてくれた。
勉強を教わった覚えはないが、父がする話はとても面白くて、100回聞いても飽きなかった。
いつも同じところで驚いた。いつも同じところで感心した。そして、いつも同じところで笑った。
友達が来ると、友達にも同じ話を聞かせてくれた。
初めて聞く友達は身を乗り出して聞き入った。
私は知ってる話なのに、一緒に聞いた。友達が夢中になるのも面白かった。
父は「育児参加」なんて言葉、知らなかったと思う。
たぶん、今でも知らないだろう。
父は母乳育ちでない私たちにミルクを飲ませてくれた。
赤ん坊を風呂にいれるのは父の仕事だった。
でも、父は母を手伝っていると思っていただろうか。
たぶん、父は育児参加していたわけではない。妻と子どもとともに生活していただけなんだ。

サラリーマンたちには時間がない。
家にいる時間がない。
そりゃ、家にいたくなくって、
いつまでも外で過ごしてくる人もいるかもしれない。
でも、家族を好きで、家でゆっくりしたい人でも、
サラリーマンであるためにそれができないという人もいっぱいいる。
私の夫も真面目に働く男の一人であるが、
外で飲んで来なくたって、毎日帰りは9時半以降だ。
朝は8時にいなくなる。
だから、家族と一緒にいる暇がない。

暇がなくても、家族が好きなら男は家族とともに生活する。
暇があっても、家族を好きでなくなったとき、
男はただの同居人になり、家族とともに生活しなくなる。

前者のパパはオムツを代えても
「育児参加だ」「家族サービスだ」って思わない。
後者のパパはオムツを代えると
「育児参加してるから自分は父親と言える」とか
「オレは家庭サービスだってしてるぞ」
といばって胸を張ってみたりする。

私が夫と最悪の仲だったころ、夫は確かに育児参加や家庭サービスをしていた。
遊園地へ連れていけば、連れていった、連れていったと恩にきせた。
半日私が休暇をもらうと、
「あと1ヶ月、オレは何もしなくていいだろう。これ以上、オレになにをさせるつもりだ。」
という圧力を感じた。
家族といるのが楽しくなから、育児が参加になってしまう。
会社の運動会にイヤイヤ参加したときと同じ感覚。そう、育児にボク参加してますって。
上司へのビールつぎサービスみたいな家族のためのサービス。
義務、責任、仕事。
そりゃ、子どもを作ったら、義務や責任があるのは当然だ。
だけど、それだけで生活って成り立つものだろうか。
義務や責任だけで、人は生きているのだろうか。

夫との仲が良くなると、一緒にいる時間が楽しくなった。
一緒にいたいから一緒に過ごす。
これが生活かなと思う。義務でも責任でもない。

お父さんが家族と過ごすことが参加やサービスではないとき、家族はみんなハッピーになる。



TOPへ  会報一覧表へ  前ページへ  次ページへ