第22号 三歳児神話

働きながら子育てしている先輩を見ていて
私は子どもを生むなら絶対仕事を辞めたいと思った。
私には、あんな大変なこと、できない。
妊娠することになって、私は仕事を辞めた。
仕事を辞めて昼間暇だったので、女性センターというところの女性学講座に行った。
女性学を学んで久しい人たちが私を迎えてくれた。
もう子育てもすみ、自由になる時間を手に入れた専業主婦たちだった。
彼女たちは、「輝いて自分らしく生きる」とか言って自分の生きる道を考えておられた。
中にはパートをしたりセンターのためにいろいろな仕事をこなしている人たちもいた。
仕事を辞めたばかりの私に彼女たちは「何故仕事を辞めたのですか。」と詰め寄ってきた。
「育児休暇が1年しかとれないから辞めたんだ。
3年とれたら辞めなかった。」
と、話すと、彼女たちは、私を説教するかのように、
「あなたは、三歳児神話を信じるのですか。」
と言った。そして、女性の経済的自立の重要性について講釈してくれた。
彼女たちのほとんどが三歳までは保育所とかに預けずに育てているのに、
何故そんなことを言うのだろう。私には疑問だった。私は言った。
「それなら、昼間っからこんなところで、こんな講座に来てないで、さっさと社会復帰されたらいかがですか。」
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「三歳児神話」とは、
「三歳までは母の手でなんて神話(ウソ)ですよ。」
という働く母を励ますために出てきた言葉だと私は思っている。
働く母たちは、いつも自分を責めて苦しんでいた。
本当は子育ては自分の手でしなければならないのに、自分は子どもと別れて働かなければならない。
非行に走れば、母親が働いているせいにさせられた。
そんな母親たちを励ますために、生まれたのが、この言葉「三歳児神話」だったんだ。
「三歳までは母の手でなんてウソですよ。
ほら、見てご覧なさい。母子密着のせいでこどもたちがこんなにダメになっている。
専業主婦に育てられた子どもの方が本当は非行の数は多いんですよ。
あんな密着育児するくらいなら、保育所行かせた方がいい子が育つ。」
そんなふうに働く母を元気づける人々が現れると、今度は専業主婦の胸がぐらつき始めたんだ。
私たちは子育てなんかに専念していていいんだろうか。
私が本当にしたいことはなんだったんだろうかって。
センターの女性たちは、
保育所育ちの子の方が自立が早いだの、母のそばにいた子の方が心が安定しているだの、
根拠のない議論に明け暮れていた。その話に参加しつつ、私はなにかが違うと思った。
子育てをしたい人が子育てに専念して何が悪いんだ。
なぜ、女性の社会的自立は大切よなんて目くじら立てられなきゃならないんだ。
フィンランドの育児制度を知ったとき、私はかなりたまげました。
フィンランドでは、三歳まで仕事を辞めずに子育てができるのです。
同じ職種のレベルアップした給料で元の職場に戻ることが許されています。
仕事を辞めずに、三歳まで休めるんだよ。
三歳までだよ。
しつこいようですが、繰り返します。
フィンランドでは、
三歳まで母の手で子育てすることができるようなバックアップを親たちに国がしてくれているのです。
私はこの話を聞いたとき、
「ええ!!三歳まで母の手で育ててもいいんじゃないか!!」
と、うれしくなりました。
戦後、男女平等日本は、国民に
「男は外、女は内」という男女役割分業を押し進めました。
男は会社で企業戦士として見事に戦い、
女は家庭で子どもの教育と夫のお世話係に徹底するように、
国は国民に奨励しました。
専業主婦手当はそのいい証拠です。
手当を与えるから、女は家の中に引っ込んでろって。
でも、女は家に引っ込んでろと言われても引っ込みませんから、
国はグッドなことを思いつきました。
「三歳までは母の手で」の登場です。
権威ある医者、心理学者、教育者にそれらを語らせ、
子育ての責任を”母親”に限定したのがお上のすごいところです。
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結論です。
私は、みんな、子育てなんて好きなようにすればいいと思います。
三歳まで母の手でやろうが、父の手でやろうが、
保育所に預けようが、おばあちゃんに預けようが、
母親が仕事を持とうが、持つまいが、
好きにできればいいのです。
好きなように選べる社会であってくれたらいいのです。
それが、今の日本では、選びにくい。
そこが唯一、問題なのです。
それだけなのです。
確かに三歳までは大事かもしれない。
でも、それを母ひとりにおおいかぶせることはない。
それから、もう一つ。三歳過ぎても子どもは大事に育てた方がいい。
「育児をしない男を父とは呼ばない」
なんて、口先だけのコピーでお金を使うくらいだったら、
「男が育休とっても、バカにしない」「出世が遅れない」「窓際にならない」
そんな社会にしてほしい。
妻の病気が理由で仕事を休める社会になってほしい。
男と女が同じくらい家にいられるようにしてほしい。