第25号  ほめすぎだぜ Baby!


私の母は、孫をとってもよくほめてくれる。
叱られるよりはいいけど、ちょっと度を越してる。
お茶が飲めた、靴下が履けた、ご飯を食べた、絵を描いた、
7歳のこどもをつかまえて、なんでもかんでもほめてくれる。
オイオイ、ほめすぎだっちゅうの。
ちょっと、バカにしてるんちゃうかいな。
そんな感じすらしてくる。
ほめられた方だって、なにほめられてんのかわかんなくて、きょとんとしてる。
でも、心の広い私は、母の老後の楽しみとして、孫を存分にほめさせてあげる。



私は自分の子どもをむやみにほめない。
大げさにもほめない。
子ども自身がなにか成就感をいだいて同意を求めてきたときだけ、
「よくやったね。」「ほんとだ、いいね。」
などと言ってあげる。小さい声であっさりと。
わざとらしく大声でほめまくるっていうのはしない。
ほめられて満足するよりも、自分で満足してほしい。
人からほめられてばかりいると、自分で成就感を味わう力を失う。
そして、ほめられていないと安心できない人になる。この私みたいに。
だから、むやみにほめない。くだらないことでは、ぜんぜんほめない。
日常生活のできて当たり前のことができても絶対ほめない。
でも、できないからって、しかったりもしない。
おかげで、ヤツら、ほめられたいからなにかするってことがぜんぜんない。
うーん、悲しいくらいそれはない。
親の顔色を見るということもない。

そういう親子関係を私はひそかに気に入っている。
子どもにこびない。子どもにむりな期待をしない。
だから、親子やってて、疲れない。
たぶん、子どもも気楽だろう。



「ほめる」という行為には、なにかわざとらしいものがある。
期待に応えさせようとする親の下心。
ほめなくても、子どもを正しい方向に導くことはできる。
ダメなことは、ダメと言えばいい。
即効性はないが、効き目はある。
それから、もうひとつ。
子どもに期待する人間像に親自身が近づけばいい。
そんなことできないというなら、
子どもにそんな期待すべきじゃない。



私の知人で、実に子どもをよくほめる人がいる。私の母も顔負けだ。
彼女の場合、それだけではなく、よく叱る。
ほめることも叱ることも、根本は同じだ。
子どもの行為について、親が気に入ればほめるし、気に入らなければ叱る。
行為をいちいち親に評価されて、ああだこうだ言われていたら、
子どもは、さぞかし息苦しかろう。
その子は親の機嫌をとっていた。
なんとも気の毒なことだ。
子供時代にしなくちゃいけないことが他にたくさんあるはずなのに、
親の期待に応えるだけで精一杯で
好きなことをしている暇がない。



そもそも子どもはそうそう道にはずれた行動なんてしない。
放っておけば、結構楽しいことを自ら編み出し、勝手に気楽に暮らしている。
親が妙な期待をしなければ、子どもは大抵ハッピーなのだ。
楽しいことは、親にほめられたくてしているわけじゃない。
自分が楽しいから楽しい。ただ、それだけのことだ。






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