第26号 初恋の彼


私は、人が痛がっているとき、
「平気!平気!」
「大丈夫!大丈夫!」
「そのくらい痛くない!」
などと言った激励絶対しないことにしています。
痛いときは、痛いんだし、平気なんかであるわけないんだから。
痛がってる人には、「痛かった?」って、言います。
そういうようになった私のささやかな体験談です。

彼を発見したのは、運動会の学年練習で、組体操をしていた時です。
私は2組。彼は4組。名前も知らない。
彼は他の誰とも違った魅力を持っていました。
そう、小学校6年生の女子の母性本能をくすぐる色っぽさを持っていたのです。
子どもの頃の豊川悦司ってとこでしょうか。
では、彼のことを豊川君を呼ぶことにしましょう。


廊下を通るたびに、気をつけて4組を覗き込んだりして、
彼の動きをひそかに把握したりしていました。
そのうち、彼の名前がわかり、
彼とつきあいのある2組の男子とかが分かってきました。
だからって、なんにもならないのですが、
彼のことならなんでも知りたい乙女心には、それすらトキメキなのでした。
4組の廊下に彼の絵が貼ってあったりすると、
そこを通るたびに、じっくり鑑賞したりしました。



彼も私も、めでたく学区内の公立中学に進学しました。
中学に入っても、私は彼のファンを続けていました。
女子は、好きな男子の話とかをするようになってきました。
でも、私は、決して自分が豊川君のファンであることを悟られないように気を配りました。
何故だったのか・・・わかりません。
みっともない、はずかしい、ま、その程度のことでしょう。
で、そんな話が女子の間でさかんになってくると、
なんと、豊川君って、
すっごくもてるヤツだったということがわかったのです。
「なんだ、私って結構ミーハーなんだ。」
と、当時、自分を改めて知ったのを覚えています。

彼は、中学2年生で、身長168cmくらい、
当時としては、背の高い方で、しかも、大変運動神経のいい子でした。
しかも、セクシー度満点のトヨエツ顔でしょ。そりゃもてないほうがおかしいよ。



忘れもしない運動会。
クラス対抗で男子だけがさせられるリレーってえのがありました。
7組まであったので、コースはクラスごとに7コースに別れていました。
私は、4組。彼、3組。
当然、私は3組を応援していました。
ところが、3組は、どうも遅いヤツが多くて早くっから、ビリを走っていたんです。
3組のアンカーは豊川君。
「あ、かわいそう、いくら豊川君だって、あれじゃあなあ。」
と、ドキドキして見ていたんです。
豊川君が早いっていうのは、誰でも知っていました。
けど、あんなに早いなんて、誰も知らなかったよ。
7位のバトンを受け取った豊川君。
走った。走った。抜くんだ。1人、2人、3人、・・・
風のように走って、彼、3位になった。
もっと、コースが長かったら、きっと一番になっていたと思うよ。



ある日の放課後、もう、みんな帰って教室には誰もいない時間だった。
なにしに戻ったのか、私は2年4組の教室に行かなきゃいけない用があって、
廊下をちょろちょろ歩いていたんだ。
階段を登ろうと思って、くるりと向きを変えた瞬間、ゴーン!!
イッテー!!
腹立つくらいひどいものが私の頭に当たったんだ。
大きな木製の道具箱だった。
技術家庭で男子が使ってるものなんだな、それ。
激痛でガーンと思っている私に声をかけてきたのは、
なんと、あの豊川君じゃあ、あーりませんか。
「痛かった?ごめんね。」
うれしかったね。痛かったけど、痛みは半減したね。
初めて声かけてもらって、
「うん」
だけだぜ、答えたのは。
豊川君は、風のようにその場を立ち去り、
二度と再び、私と話をすることはありませんでした。

中学を卒業してからは、それっきり。会ったこともありません。
風のたよりによると、彼は”競輪の選手”になったそうです。




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