第29号  幸福観


幸福を感じる尺度も人ぞれぞれ随分違っているらしい。
多様な価値観が認められる時代のせいなのか。
昔から、みんなそうだったのか。


私の幸福の尺度は、自分の気分が落ち込んでいるかいないかにある。
長い期間に及んで深く心が落ち込んでいたら、私は不幸と感じる。
落ち込んでいなければ大方ハッピーである。
そう考えると、私は人生このかたあんまり不幸に陥ったことはない。
とっても不幸だったことは、あるにはあるが、
今は当面乗り越えてしまった。
概して私は幸福感あふれる幸せなヤツである。
先のことは、わからない。
明日、不幸のどん底に陥っているということもあるかもしれない。
私は不幸を不幸と感じ、幸福を幸福と感じる心をもっている。
もしかすると、それだけで私は結構ラッキーなヤツかもしれない。


自称万年不幸女性に出会ったことがある。
彼女は、日本一偏差値の高い某私立大学の某学部を卒業していた。
経済的にはバリバリに自立していたし、彼氏を絶やしたことがなかった。
誰が見ても物理的には満たされていそうな女性だった。
が、本人曰く、「私はいつも不幸」なのだそうだ。
彼女は、男命(おとこいのち)で、いつも誰か好きな男のために身を削って尽くしていた。
男に愛されているという証拠が欲しくてたまらない。
ひとつ証拠を集めると、次の証拠が欲しくなる。
彼女と付き合った男は、まるでかぐや姫の難問を解かされるお公家さまたちだ。
いくら証拠を集めても満足できない。よって、彼女は常に不幸に陥っていた。
一度、不倫に走ったことがあった。
不倫の面白さは男に妻がいるという点であった。
もちろん、妻がいるという点が気に入らないのだが、
妻を裏切って自分に会ってくれているという快感、
妻を蹴倒して自分が選ばれているという快感があった。
偏差値育ちの彼女には、なんとも理解しやすい愛の証拠だった。
結局、男が妻を選んだので、彼女は愛の証拠を最終的に獲得できず男と別れた。

彼女は偏差値病に陥っていた。
彼女にとって、恋愛はいつもゲームだった。
愛の証拠を獲得するとヒット・ポイント(自分の価値)がアップした。
が、不幸を感じる能力ばかり発達していて幸福を感じる能力が劣っていた。
それが彼女の不幸の原因だった。



先日TVにネットナンパ師・ケン君(21歳独身)が登場した。
優秀な大学に在学中。顔は、まあまあ。自称、生まれつきの自信家。
ネットで出会った女性21人とSEXし、そのSEXの快感度・満足度を点数につけHPで公開している。
現在、同時に3人の女性と付き合い、
彼女たちには「きみだけと付き合っている」ふりをしている。罪悪感なし。
先のことはあまり考えていない。今、楽しいかどうかが問題である。
今、自分には楽しい事象が多い。
よって、楽しいことを幸福と仮定するならば今自分は幸福である。
が、幸福にあふれているという実感はない。

スタジオにケン君と同世代の男女が集まった。
彼がしていることに共感する人20%、反感を覚える人80%
彼が幸福であると思う人42%、幸福とは思えない人58%
「ま、自信にあふれて好きなことやってるって点で彼は幸福なんじゃない」という冷静派
「彼女たちに悪いって思わないの!!」と怒る全うな感覚の女性陣
「21人とSEXなんかしてエイズとかこわくないんですか。」と誰かが聞いた。
「こわくありません。僕はエイズにかかりません。」
「えー、どうしてそんなことが言えるの?」
「根拠はありませんが、そう思ってます。」
うーん、確かにたいした自信家だ。
無機質こそ最上級の自己表現であると彼は信じている。


彼もまた偏差値病におかされている。
彼は、SEXの回数や自分の満足度によって
レベルアップしていくSEXゲームの主人公だ。
数値的に自分自身を評価せずにはいられない。
彼は、根拠のない自信と感情の鈍化のおかげで
不幸を実感しないですんでいる。
幸福を実感する能力も劣っている。
人を傷つけることはなんともないが、自分だけは傷つきたくない。
ロボットのような無機質を誇るケン君。
でも、自分だけは傷つきたくない。
彼の人間らしさはそこにある。



人との比較でしか生きている実感がもてない人々は、
人の人生を踏み台にして自分を幸福にしようとする。
でも、そんなことで本当の幸福感を満喫することはない。
偏差値病の哀れである。



あなたにとって、幸福とはなんですか。
今、あなたは幸福ですか。




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