第30号 誕生日を祝う


うちの子どもが通う幼稚園の誕生会は、とてもおごそかに行われます。
「クリーンクラーンおめでとう。きょうは○○ちゃんのおたんじょうび。」
静かな歌声とともに、天使役の子に導かれて誕生日の子がゆっくり登場します。
お母さんの書いた0歳から1歳ごとに成長を綴った文章と誕生を祝う詩を先生が読みます。
先生から手作りのこびとや編みぐるみをいただきます。
静かに生まれてきたことを喜び祝福します。
大声で歌を歌ってゲームをやってドンチャン騒ぎする、そんな誕生会ではありません。


私が小学校1年生になったとき、初めて友達の誕生会に呼ばれた。
今思えば、おそらく金持ちの子だったのだろう。庭にブランコと広い花壇のあるような家だった。
たくさんの子が呼ばれていた。見知らぬ子達の中であっけにとられながらぼーっと過ごした。
覚えているのは、生まれて初めて食べたチーズのまずかったことだけ。
その誕生会に呼ばれたすぐあと、私の誕生日がやってきた。
後にも先にも子供時代の私にとって、あれが最初で最後の自分の誕生会なるものだった。
友達が5人くらい来てケーキを食べ、みんなからプレゼントをもらった。
なぜ、あのとき、親が私の誕生会をしてくれたのか今をもってわからない。
姉も妹も友達を呼ぶ手合いの誕生会など一度もしてもらったことはない。
家族だけの誕生会は、うちにはもともと存在しなかった。


妹が小学校3年生のときだった。
その日は妹の誕生日だった。
私が学校から帰ると妹が泣いていた。
母は「誕生会なんかやらないよ」と言っている。
妹は「誕生会をするから来てね」と友達に言ってしまったらしい。
親の了解もなしに友達を呼んだ妹の勝手な行動を家族みんなで非難した。
父が「しかたない。ケーキを買ってくればそれでいいだろ」と言った。母がケーキを買ってきた。
姉は「ケーキが食べたいから友達を呼んだなんてウソをついたんだよ、きっと」と言った。
友達はいつになっても来なかった。みんなが「うそつき、うそつき」と責め立てた。
「本当は呼んでないんだろう」と、みんなが言った。
泣きながら、妹は一番仲のいい友達一人に電話をかけた。
すぐ来てくれた。その子が来てから、ケーキを食べた。
友達と顔を見合わせニコッと笑った妹の顔を私はなぜ覚えているのだろう。
切なく悲しい笑顔だった。

中学のとき、私は「今日、私の誕生日なんだ」と軽はずみに言ったら、
次の日、男の子が針金と黄色いセロファンでサングラスを作ってプレゼントしてくれた。
別に好きな子だったわけではないが、もらえるとなると嬉しいものだった。
色気がなかったので、「どうして彼が私にくれたのかしら」とか深いことは全く考えなかった。
そのサングラスがとてもよくできていたのが感動的だった。
誕生日になにかをもらうという習慣がなかったのでかなり嬉しかった。


結婚してから、誕生会というものをするようになった。
「誕生日だけがうちの家族がそろう日なんだ」と夫は言った。
誕生日だけが一家がそろう日とはなんとも寂しい家族だろうとはじめは思った。
でも、家族が4人いたら年4回は一家がそろうのだ。
離れていれば年4回家族が連絡を取り合うことになる。
夫の義父母は私の誕生会もしてくれた。
誕生会を開かない年でも義母は必ず祝いのカードを私に贈ってくれた。
誕生日だけ一家がそろうということがそれほどバカげたことではないことがだんだんわかってきた。
誕生日を覚えていてくれるということ。そのたびになんらかの会話があること。心を形で表すこと。
ちりも積もればなんとやら・・・・何度か経験するごとに私は誕生日を祝い合うことの喜びを感じるようになった。


この前、うちの次女が5歳になった。彼女は5歳になりたくてたまらなかった。
友達はもうさっさと5歳になってしまって自分ばかりが4歳なのはなぜなのか大変不満に思っていた。
そんなとき児童館の木工室でミニテーブルを作りたいと申し出たところ「5歳になってから」と断られてしまった。
5歳になった次の日さっそく児童館へ行ってミニテーブルを彼女は作った。満足して作品を持って帰ってきた。
誕生日を楽しみにする次女。一つ年をとりたいという切なる願望。
誕生日を迎える喜び。真に年をとることを喜んでいる5歳児。
プレゼントがほしいからでも、ケーキが食べたいからでもなく、真に5歳になりたいから。
そんな彼女がなんともうらやましい。

誕生会は静かに祝った。
夜、暗くなってから、蝋燭を立てて、お話をして歌を歌ってケーキを食べた。
それだけの会だが、家族がそろって子どもの誕生日を静かに祝った。
自分がこの世に生まれたことを肯定的に受け止め、喜んで生きていってもらえたら最高である。



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