第31号 習い事

大人になると、なかなかドキドキする機会がない。
恋人に初めて会うとき、メル友に初めて会うとき、仕事で大事なお客様に会うとき、
・・・ドキドキするかもしれない。
でも、最近、私は超ドキドキした。
なにって、ピアノの発表会に出たのだ。
ステージに立って、一人でピアノを弾いてきた。
朝から、高揚した気分でなにをするにも地に足がつかない。
そわそわしているってヤツか。
子供も弾いたが、子供の心配よりも自分のことが心配である。
娘がステージで落ち着いて弾いているときは、娘を尊敬した。
やがて、自分の番が来た。
楽屋で待っているとき、掌がべたべたになった。
拭いても拭いても、すぐ掌はべたべたしてきた。
これが手に汗をかくというヤツかと思った。
交感神経が働いてアドレナリンだか、インシュリンだか知らないが、
そういう類のもんが脳からいっぱい出てるんだろうと思った。
私のひとつ前の人が出ているときは、
「もし、ピアノの前に座ったとたん、全部忘れたらどうしよう」
と根拠のない不安にかられた。
自分の番では、なにがなんだが、わからないうちに時間は過ぎた。
最後のお辞儀のとき、足ががくがくしてまっすぐ立っていられなかった。
ふらつきながら、さっさと戻った。
見ていた人からは、「はじめのお辞儀は立派だったけど、
最後のお辞儀はいかにも帰りたそうだった。」と言われた。
夫には、「ピアノに自信がないから、そんなに緊張するんだ」と言われた。
でも、自信があったって緊張するぜとちょっと言いたい。
![]()
子供の頃、ピアノと言えば、金持ちのお嬢さんの習い事であった。
当時、家にピアノがあるというのは金持ちの証拠だった。
ピアノの弾ける子はクラスにせいぜい二人か三人だった。
「エリーゼのために」とかを弾いている子がいると私は別世界を感じた。
私などは、せいぜい習字かそろばんくらいしか習えなかった。
習字やそろばんなんかは芸事・趣味の世界ではなかった。
まさに「読み書きそろばん」、将来の身を助けるための”手に職”であった。
姉は私以上にピアノには相当の執着があった。
姉は就職して初めてのボーナスでピアノを買った。
家にピアノが来たのは、私が大学1年生のときだった。
我が家の居間は洋間でこたつでシャンデリアという間抜けな部屋だった。
そこへ突然黒く重たいピアノがデーンとやってきた。
ピアノの後ろにこたつという不釣り合いさが滑稽だった。
姉には悪いと思ったが、私はたちまちピアノを習い始めた。
18の手習いだから、当然私よりうまい小学生がたくさんいた。
でも、そんなことには全くくじけない性格だったのが、
幸いしたのか災いしたのか、
大学4年のときは発表会でソナチネを弾いた。
私のいい根性というのは、そこで身に付いた。
就職して一人暮らしをしている時、自分専用のピアノを自分で買った。
それから、一瞬エレクトーンに凝ってそれも買ってしまった。
足と手で弾く楽しさはまた格別だった。
子供の頃、自分ではちっとも本を読まないのに
「本を読め、本を読め。」と母から言われるのがとてもイヤだった。
自分が弾きもしないのに、「ピアノの練習をしろ」という母親になりたくなかった。
だから、私は子供にピアノを習わせるのなら自分も一緒に習おうと思っていた。
それに、ピアノを弾くのはとても楽しい。
弾けない曲が弾けるようになっていく達成感。
「お母さん、今のもう一回弾いて」なんて言われると気をよくして何度でも弾いてしまう。
一番楽しいのは、私が弾くのに合わせて子供たちが歌ってくれたり子供と連弾したりするときだ。
が、練習に苦しみはつきものである。
子供が習いはじめのころは、内容も簡単で楽しくできた。
が、2年目くらいから、練習が親子喧嘩になっていった。
情操教育からはほど遠い状況。
「しなさい」「できない」親子で怒鳴りあって戦った。
娘は、いつになっても譜面が読めるようにならなかった。
私のイライラは実はその辺にあった。
が、娘の耳はとびきり良かった。
道路標識の鉄の棒を木ぎれでカーンと叩いて「黒い鍵盤のシ」とか言った。
あるとき、譜面なんか読めなくたってイイやと思った。
私がレッスン曲を弾いて聞かせた。そのうち、まねして弾けるようになる。
練習は一日10分。以上でもなく以下でもなく、ぴったり10分。
これが練習を続ける秘訣だったりする。
あくまで、喧嘩をしないように。できないところを1日2小節くらいずつ練習する。
遅々とした歩みだが、塵も積もれば山となる、継続は力なりである。
![]()
習い事を甘んじてはいけない。
男にも女にも習い事って結構いいことだ。
義父は10年前、尺八を習っていた。
その発表会なるものを見にも行った。
どういう音色がうまいのか私には皆目見当もつかなかいのであるが、
当時70歳だったの義父が首を振り振り尺八を吹く姿は感動的であった。
私の父は、若いころから趣味で書道をしていた。
下宿先の子供にちょっと教えているうちにだんだん習いたいと月謝を持ってやってくる子供が増えていった。
そして、いつの間にか「お習字の先生」になっていた。
私が小学生くらいになるころには、同じ町内の大人たちが大勢私の父のところに来るようになっていた。
まさに50の手習いといった感じの人々が毎週金曜日になると狭い我が家に集まってきた。
こんなに書道人口密度の高い町内というのも他にはないだろうと私は子供心によく思った。
そして、うちに来る大人たちを見て、いつも思った。「人間て勉強が好きなんだ。」
習い事なんて暇な主婦のお遊びに見えるかもしれない。
が、働く男性も働く女性も、そんなお遊びができる時間と心のゆとりがもてる社会になればいい。