第35号  新茶 その2


第34号に引き続き、
新茶と聞いて思い出すのが、お茶にまつわる家族の思い出。



私の姉が小学校4年生くらいのころだったか。
両親の留守中、近所の人が来た。
気楽な時代だったのだろう。その人は上がりこんだ。
姉は「客=お茶を出す」と考えた。
そして、慣れない手つきでお茶を出した。
お茶を一杯飲んでその人は帰っていった。
そのあと、その客は、うちの両親に話した。
「おたくのお嬢さん、しっかりしてるね。
私にお茶を出してくれたよ。
ぬるーいお茶でね、飲みやすかったよ。」
以来、我が家では、姉の”ぬるいお茶事件”は語り継がれている。
朝家族で飲んだお茶のでがらしでもいれたんだろう。
急須の中のすんごく広がったお茶っぱが目に浮ぶ。

母の留守中、お客が来た。
その時は父だけがいて、父がお茶を出そうとした。
が、とうとう父はお茶を出せなかった。
なぜなら、父は急須を見つけることができなかったのだ。
男の人ってこれだからしょうがないと思うでしょ。
チッ、チッ、チッ! 違うんだな、これが。
お茶を出せないままお客を帰した父はなんとも言えぬ気分になっていた。
急須はどこじゃ〜〜〜。
母が帰ってきて、急須のありかを尋ねると
母は「ここよ」といとも簡単に急須を出して見せた。
まさにマジックだった。
台所のテーブルの上には料理用ボウルが伏せてあった。
ボウルがあることは誰の目にもすぐわかった。
父もそれには気づいていた。
でも、それはボウルだった。急須じゃない。
母は、伏せてあった料理用ボウルに手を伸ばすと、
ボウルの底をつかんでさっと持ち上げて見せた。
すると、アーラ不思議。中から急須が出てきた。
「急須にほこりがかぶるといけないから、ボウルをかぶせておいただけよ。
どうしてこれ(急須のありか)がわからないのよ!!」
わかるわけねえだろ!!
万事急須だ。



妹の「お茶をどうぞ」事件である。
妹18。彼氏20。若い二人は不良でした。
シャコタンってご存じですか。
積丹半島じゃありません。
車の背丈を妙に低く改造しちゃった不良専用車のことです。
そのシャコタンに乗ってる不良の彼氏と妹はつきあっていました。
いくら不良といっても彼は結構真面目に働いていたので
デートできるのは仕事が終わってから。
車でドライブして遊んで帰るともう夜中。
送ってもらって家についたときは、もう1時をまわっていました。
妹は、なにを思ったか「お茶でも飲んでってよ」と彼氏に言いました。
「だって、お父さんとかお母さんとかいるんでしょ。やばくないか」
とひるんでいる彼に
「平気だよ。もう寝ちゃってるよ。」
と励まされ、上がりこんだ。
で、妹は言葉どおりお茶を入れた。
妹がまさにお茶を湯飲みに注がんとしたとき、
寝ていた筈の父親が二階から静かに降りてきた。
父親は妹の声を聴いたね、
娘が男にお茶を注ぎながら「お茶をどうぞ」と言ったのを。
「なにやってんだ、お前たち。今何時だと思ってるんだ。・・・・・」
彼氏はお父さんに叱られてせっかくのお茶もそこそこに退散したのでありました。
姉の私といたしましては、夜中だって茶ぐらいいいだろうに・・・と思うのですが、
ま、父親としては、やっぱりこういう場合、
彼氏を叱るってのが一番手っ取り早かったのかもしれません。

その事件以来しばらくの間、家族でお茶を飲むと
みんなで妹に向かって「お茶をどうぞ」と言ってからかい続けたのでした。

新茶と聞いて思い浮かぶのは、こんな家族や母の思い出でした。
お茶の好きな母と暮らす家族。
母が当たり前に入れてくれていたお茶。
そして母がいなくなると、困ったお茶。
きっと、お茶は母の”愛の形”だったのかもしれません。
お茶を出す母はとてもみんなに気を配ってくれます。
飲みきれると次から次へとお茶を足してくれます。
「もういいよ」と言うまで注ぎ続けます。
もうちょっと冷めてから飲もうなんてのんびりしていると、
いらないものと判断され、片づけられてしまいます。
一緒に暮らすと、寂しいことにそれを愛とは感じず、
うっとうしさを覚えてしまう私なのでした。


4141番「さのヨイヨイ」おめでたカウンター番号だったとチャールストンさんから申し出がありました。
普段なにもカウプレはしていませんが、今回「お題頂戴」で書いてみようと思いつきました。
会報第34号・第35号をチャールストンさんにプレゼントします。

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