第46号サンタクロース・ファンタジー

子どものころ、我が家にクリスマスは存在しなかった。
多くの友達はたいていプレゼントがもらえたようだし、
ケーキを食べるのはかなり普通のことだった。
クリスマスケーキが街に売られる季節になると、
「今年もあれが私たちの口に入ることはないのだろう」
と横目で見ながら冷めた気持ちで店先を通り過ぎた。
一度、叔母がクリスマスにケーキをもってきてくれたことがある。
あのときは感動した。
味は覚えていないが、
箱からケーキを取り出すときの感動は今でもはっきり覚えている。
家族全員がちゃぶ台の周りに集まり、息を呑んでケーキを見つめた。

そんな子ども時代だったものだから、
サンタクロースを信じるも信じないもサンタがうちへ来るはずがなかった。
サンタクロースが世界中の良い子にプレゼントなんかしてくれないことは
小さいころから身をもって知っていた。
中学生くらいになると、
クリスマスケーキは食べたいやら、どうせ食べられない悔しさやらで、
クリスマスをバカにするようになっていた。
「なんだい、こんなときばっかり、キリスト教の信者でもないくせに!」

キリスト教の信者でもないくせに、私は教会で結婚式をあげた。
本当に小さな街の教会だった。
教会の人はいい人ばかりでにわか信者の私たちにもとてもやさしかった。
が、信者になれなど一度も言われなかった。
結婚した年の暮れ、クリスマス礼拝へ二人で行った。
素晴らしい儀式で感動した。
子どもが生まれるまで毎年クリスマスには教会へいくようになった。
「クリスマスおめでとう」という言葉も自然と出てくるようになった。

子どもが生まれると、自然と部屋にはクリスマスツリーを飾り、
子どもにはサンタクロースからのプレゼントを用意するようになった。

小2くらいになると、ぼちぼちサンタなんかいないと言い出す子が出てくる。
娘がある日「○○くんがサンタは親なんだって言ってた」と言い出した。
娘は半信半疑になっていた。

その年、娘がサンタにお願いしていたものは、
「D-3」なるカッコイイ男児キャラクター玩具であった。
「D-3」にはいろいろ種類があって、色によって中身に違いがあるらしい。
クリスマスの前の晩、娘は枕元にサンタに宛てた手紙をおいた。
「サンタさん、D-3をください。でも、パイルドラモン・カラーはダメです。」
娘はパイルドラモン・カラー以外なら何色でもいい、
とにかく、パイルドラモン・カラーだけはイヤなんだと訴えていた。
私は、夫にちゃんと色の指定をしていたし、夫も絶対間違いないと言っていたから、
「そんなに心配することないのに・・・」くらいに思っていた。
が、次の朝、枕元のプレゼントを喜びいさんで開けた娘は
目をキラキラうるませ、震える声で言った。
「パイルドラモン・カラーだ」
娘は一瞬絶望に陥った。
が、1分以内に自力で立ち直り、「ま、いいや、これで」と言い切った。
そのときから、娘は完璧にサンタを信じるようになった。
だって、親ならこんな失敗するはずがない。
そして、すぐにそのパイルドラモン・カラーの「D-3」が大好きになった。

あるとき、シュタイナーが
「親は子どもに絶対ウソをついてはいけない。
神様がいると思っていない親が子どもに神様がいると言うのも
ウソをついていることになる」
と言っていると聞いた。
私はガチョーーーン(古い)!!と思った。
私はサンタはいないと思っているのに、サンタがいるふりをし、
神様を信じたことなどないのに、「神様が空から見てる」なんて言ったりしていた。

あるとき、ある男性がこう言った。
「オレは子どものころ、サンタが親だったと知ったとき、
親に騙されてたって思いましたよ!!」
彼の家のそばには役所があって、その隣にオモチャ屋さんがあったそうだ。
両親と兄の言うには、
「サンタは、親が役所に届けた用紙を見て、
間違いなく子どもが欲しがっているものを確認し、
となりのオモチャ屋さんで買って、それを子どもたちに届けてくれるんだ。」とか。
小学校の高学年のときまでそれを信じていた彼は、あるとき、友達から
「そんなことあるわけないだろ。サンタっていうのは親たちなんだぞ」
と聞いて愕然とし、「騙された!!」と思ったそうだ。

でも、サンタが親だったと知ったとき「騙された」と思うよりも
サンタを信じさせてくれた親の愛を感じるという人たちもたくさんいる。
クリスマスを本当の意味で人の愛を感じ合う日として過ごした方たちだからこそ、
きっと、サンタも暖かいファンタジーとして胸に刻まれているのだろう。
なんともうらやましい話だ。

さて、今年のクリスマス、うちにはどんなサンタクロース物語が起こるのだろう。



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