第47号 叱れない大人たち

娘が言った。
「今日、○○くん、宿題やってこなかったのに、
『やったけどノートを家に忘れてきた』って嘘ついたんだよ。
でも、先生にバレテ、怒られたんだ。○○くん、地獄に落ちるかな」
私は「う〜〜〜ん、どうだろうね」と生返事をしつつ、
娘に「嘘ついたことある?」と尋ねた。娘は、
「あるよ。・・・・地獄に落ちるかな」
とちょっと心配そうに言うので、私は言った。
一度も嘘ついたことないっていう人が一番嘘つきなんだって。
嘘ついたことがあるって正直に答えたから大丈夫でしょ」

親が見る限り、うちの娘は、おおかた正直である。
お風呂で遊ぶのが好きで下の子と一緒ならいつまででも入っている。
そんなとき、なにをしてるんだか
「お母さんには内緒だよ」というバカでかい声が聞こえてくるから、
親には内緒の隠し事の一つや二つあるのかもしれない。
でも、おおかたバレテいる。
そのうち、親には絶対秘密のマルヒノートなどを書き始めるかもしれない。
でも、嘘と秘密はちょっと違う。

Aちゃんの母親はとても厳格な方で、ちょっとしたことですぐAちゃんを叱る。
そのかいあってか、Aちゃんはいかにも親の躾の行き届いた真面目そうな子だ。
あるとき、一緒に電車に乗っていて席が空いたから「座ろうよ」と声をかけたら、
Aちゃんは「母に聞いてから」と答えた。
それは、「座りたいけど、一応母に聞いてみる」というものではなかった。
自分が今座っていいのか座っちゃダメなのかわからない、
自分が座りたいのか座りたくないのか、その意見はない、そんな感じだった。
私は、かなり驚いた。
うちの子だったら、「座ろうよ」と誘われて、座りたければ遠慮しないですぐに座るだろうし、
座りたくなければ「いい。立ってる」と答えて誰が勧めても座らないだろう。
Aちゃんのお母さんの支配的な姿が目に浮かんだ。
が、Aちゃんのお母さんに言わせると
「かずみさんの子育ては甘くて生ぬるい。子どもたちの将来が心配」らしかった。

Aちゃんの家でAちゃんとうちの子が遊んでいた。
Aちゃんが電気をつけようとして電気のひもを引っ張った。
そしたら、プツンとひもが切れた。
私はその一部始終を隣の部屋で見ていた。
そこへAちゃんの母親がきた。
するとAちゃんは母親に「○○ちゃん(うちの子)が切った」と平然と言ってのけた。
母親はうちの子を叱ったりはしなかった。
うちの子はぬれぎぬをきせられたこと事態に気づいていなかったから、抗議もしなかった。
私は、Aちゃんが嘘をついたことをAちゃんの母親に伝えなかった。
Aちゃんが無闇に叱れるのが、あまりにも忍びなかった。

やっぱり、叱り過ぎはいけない。
子どもが正直になれなくなる。
叱られないための自己防衛の嘘をつくようになる。
Aちゃんの母親の場合、
母親のイメージどおりに子どもが行動しないといちいち叱る傾向がある。
でも、子どもは母親のイメージロボットではない。
もっと子どもを許容する態度をもてば無闇に叱らずにすむだろう。
子どもはくだらないことをたびたびするが、早々悪いことはしないものだ。

「叱り過ぎはいけない」と気づくと、今度は「叱らない子育て」というのが流行りだした。
が、「叱らない子育て」の流行は「叱れない大人」を大量生産してしまった。
「叱らない子育て」というのは、なにがあっても「叱らない」「叱ってはいけない」という意味ではない。
まず、いいことと悪いことをきっぱり区別する親のはっきりした態度が必要だ。
そして、親は叱らなくていい状況や環境を工夫する必要がある。

幼児期は特にそうだ。
言語理解力の乏しい子どもにああだこうだの理由はいらない。
親がダメと言ったらダメなのだということを幼児期に学ばせておく必要がある。

クッキー作りで部屋が粉だらけになりそうなら、始めにビニールシートを敷けばいい。
その一手間で叱らずにすむなら簡単なことだ。
お菓子を買わせたくないのに子どもに負けてお菓子売り場に来てしまい、
グズグズ文句を言い続けているお母さんをスーパーなどでよく見かける。
だったら、お菓子売り場に連れてくるなと言いたい。
連れてきたなら、親はもう文句を言ってはいけない。
気持ちよく子どもにお菓子を選ばせてあげたらいい。
それが叱らなくてもいい状況を作るということだ。

「叱らない子育て」を誤解している人の場合、子どもがどんなことをしていても
「うちはおおらかに育てている」とか「あんまり叱るとトラウマになる」とか言って、
叱らないどころか、子どもに媚びたりしていることさえある。
また、「叱っちゃいけない」というマニュアルが頭から離れない真面目なお母さんは、
子どもが深刻な問題を起こしたときに「どうしたらいいのかわからない」と言って頭を抱える。

子育てしていると、いろいろな問題にぶち当たる。
子どもが起こした問題が叱るべきか、見逃していいのか、
その判断は親がしっかり見極めなければならない。
判断の基準は親の価値観でいい。マニュアル本など必要ない。
自分が許せると思ったら、自信をもって許せばいい。
許せないと思ったら、自信をもって叱ればいい。
嘆いてもいい。泣いてもいい。怒ってもいい。どなってもいい。
親の価値観は子どもにしっかり伝わるだろう。
自分なりの価値観をもっていないと、子どもが問題を起こしたときに、とっさの判断ができない。

  

ある子が1ヶ月も塾をさぼっていた。
塾の時間になると勉強道具をちゃんともって家を出て、終わったころに戻ってきていた。
だから、母親は少しも気づかなかった。
塾の先生から「ずっと来てない」と言われて知った。
塾の先生は「叱らないでくださいね」と言った。
母親は、どうしていいかわからなくなった。
親は塾へ授業料を支払い、子どもは行くふりをして親を騙していたわけだ。
なぜ塾へ行きたくなかったのか、これからどうするか親子で話し合うのは当然だ。
が、この場合、充分、親は子どもを叱るべき状況にあると私は思う。

  

ある人の話。
子ども(小2)が万引きを告白した。
子どもが「ごめんなさい。もうしません」と言った。
母親は「もうこんなことしちゃダメよ」と言った。
が、母親は子どもが万引きを繰り返すのではないかと心配だ。
そして、「子どもを信用できない自分がイヤだ」と言う。
母親は、お店に謝りに行くことも子どもをしっかり叱ることも思いつかない。
私は思う。
この母親は、子どもを充分叱っていない。
子どもに万引きの悪さを充分伝えきっていないのだ。
だから、子どもの「もうしません」という言葉が信用できないのだ。

私の知人の話だが、子ども(小2)が万引きしてつかまったときのことだ。
彼女は半狂乱になって子どもに「今度こんなことしたら、お母さんは死ぬ」と宣言した。
子どもは自分が今度万引きしたら、お母さんを殺すことになることを自覚した。
「ごめんなさい。もうしないから、おかあさん、死なないで」
と、子どもは泣きながら訴えた。
知人は、「子どもが信用できない」とは言わなかった。

本当にいけないことをしたときには、ちゃんと叱れる大人になりたいものだ。

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