第70号 夫婦喧嘩





ええ、夫婦喧嘩と申しましても、いろいろ程度がございまして、
喧嘩していたかと思ったら、もうニコニコしゃべってる
というようなのは兄弟喧嘩と一緒で、
まあ、縁を切るの切らないのといった難しいことにはなりません。

私もさんざん夫婦喧嘩をしましたが、このごろは、めっきりしなくなりました。
と、思ったら、喧嘩しなくなったというより、私が我慢してるんです!




先日なんか、こうでした。
夫は、”おいしいものを食べること”と”眠ること”にかけては、
この上ないこだわりをもっています。
さて、その日、夫は仕事が早く終わって帰ってきました。
帰ってくるなり、夫は
「今夜はしゃぶしゃぶを食べるぞ」
と言いました。
見ると、もう材料を買い込んできています。
まだ、夕食の準備をするにはちょっと早い時間でした。
夫は、夕飯前の寸暇を惜しんで
「夕飯までちょっと寝る」
と言って、ベッドへ入ってしまいました。
彼は、どんな時間帯でも、いつでも寝られる特技をもっています。
アッという間に、夫は、夕飯直前の睡眠タイムに入りました。
夫の名誉のために申しますが、夫の特技は寝ることだけではありません。
料理するのもなかなかの腕前です。
外でおいしいものを食べると、その店の料理人から作り方をちょこっと教わってきて、
家でもう一度自分なりに再現してみるという方法で、腕を上げたようです。
夕飯時に夫が家にいると、子どもたちは、私にではなく夫に
「夕飯なあに?」
と尋ねるほどです。

さて、6時近くなって、私は、いよいよ夕飯の支度に取り掛かることにしました。
夫は「今夜はしゃぶしゃぶだぞ」と言って、自分で材料まで用意していたのです。
自分で作る意欲は充分感じられます。
ですから、私は夫を起こして、
「もう、夕飯の時間だから、夕飯の用意をして頂戴」
と甘えればよかったのです。
が、私は、疲れて寝ている夫を今少し余計に寝かせてあげよう
などという仏心を起こしてしまったのでありました。
私は夕飯の下ごしらえをはじめました。
夫はしゃぶしゃぶに「白菜とねぎを入れる」と言っていました。
白菜は、普通に切ればいいんだと思いました。
が、ねぎについては、何か夫の考えがあるのかしらと思いました。
私は、寝ている夫のところに行って尋ねました。
なぜ、わざわざ聞きに行ったのか。
理由は簡単です。
私の常識で行動した結果、夫の考えと違っていたばかりに、
罵詈雑言浴びせられ、それはもうエライ目に合ったことが何度もあるからです。
ですから、こういうときには、自分の考え方など大切にせず、
さっさと夫に尋ねて夫の考えの通りにしておくのが一番だと思ったからです。
ベッドの夫に私は「ねぎってどうやって切ればいいの?」と尋ねました。
夫は「みじん切り」と言いました。
みじん切り???
と、いうことは、”たれ”か何かに使うのだろうか。
私は、ちょっと不信な気持ちになり、
「みじん切りって、納豆に入れるときみたいに切るわけ?」
と聞いてみました。すると、夫は
「違うよ、糸だよ、糸。糸みたいに切るんだよ」
と言い、さらにこうつけ加えました。
「白菜とねぎをせいろ蒸しみたいしておけばいいんだよ」と。
私はすぐに納得しました。
そして、さっそく白菜とねぎを切り、せいろに入れて蒸しました。
「準備できたよ」
と、言って、ずっとたって、ようやく夫が起きてきました。
起きてきた夫は、せいろのふたを開けました。
そして、大きな声で言うのです。
「何これ〜〜〜。
蒸しちゃったの?
こんなのしゃぶしゃぶじゃないじゃないか。
あんた、しゃぶしゃぶ食べたことないの?
しゃぶしゃぶって、テーブルに鍋おいて、そこで煮ながら食べるんじゃないの?
これ、どうやってしゃぶしゃぶにしろってえのよ。
バカじゃねえの?
あんた頭おかしいんじゃないの?」
などなど後は、言い尽くせるだけの言葉を尽くして私を罵倒します。
私は、過去の多くの経験から学んだ様々なことをとっさに分析した結果、
「今から白菜とねぎ買ってくる」
と言って、さっさと買い物に行く支度をはじめました。すると、夫は、
「あ、さっき、しいたけ買ってくるの忘れたんだ。ついでに買ってきて」
と言います。
コンチクショーと思いました。
が、ここで文句を言っても、さらに、私に対する罵詈雑言が続くばかりです。
もう、さっさと新しい材料を買ってくるに限ります。
蒸してしまった材料はどうするのかって?
そんなこと、明日考えればいいんです。


スーパーへ向かいながら、私の心は煮えたぎっていました。
熟年離婚というのがあるそうだが、
夫もそういうことにならないように気をつけたまえ。
バカヤロー、せいろ蒸しみたいにしろって自分が言ったんじゃねえか。
ざけんじゃねえっつうの。
みじん切りだって?
糸だって?
わかんねえんだよ、そんな切り方。
冗談言っちゃいけない。
アタシだって、しゃぶしゃぶくらい知ってらあ。
せいろ蒸しみたいにしろとは、また、おかしなことを言うなとは思ったよ。
でも、きょうのしゃぶしゃぶは、”夫流特性せいろ蒸ししゃぶしゃぶ”なのかと思ったんだよ。
ったく・・・ケッ!!



買い物をして帰ると、私は夫に言いました。
「もう材料は買ってきて、しゃぶしゃぶは作れるんだから、
せいろで蒸したのがバカだとかなんだとか、もうこれ以上言わないで!
もう、これでおしまい!いい?たのむよ」
ムッとしながら、白菜を切っていると、夫が
「頭に来た〜〜?ごめんね〜〜」
とか言ってきました。私はふてくされながら、
「別に!いつものことですから慣れてます!」
と無愛想に言いました。
でも、言った直後に思いました。
せっかく謝ってるのに、こういう態度取られると、
謝って損した気分になるよな〜〜・・・と。
それから、しばらくして、頭が冷えてから、
「ごめんねって言われて、いつものことですから慣れてますって感じ悪く言ってごめん」
と言いました。夫は
「昼間一人でしゃぶしゃぶ屋でしゃぶしゃぶを食べようかなと思ったのよ。
でも、家族みんなでしゃぶしゃぶを食べたほうが楽しいだろうなと思っちゃったのよ。」
とか言ってました。




「兄弟は他人の始まり」と申しますが、それは決して悪いことではございません。
「夫婦なんて結局他人よね」と嘆く人がおります。
けれど、夫婦が他人であるのは当然で、
むしろ、こわいのは、「夫婦は家族の始まり」ということでございます。

確かに家族はいいものです。
他人が絶対してくれないようなことでも家族はしてくれたりします。
でも、ときに、他人からは絶対言われたりされたりしないようなことを、
家族からは言われたりされたりすることがあります。
自他の区別のついた他人には、「親しき仲にも礼儀あり」で行動できるのに、
家族というのは、ときに、自他の区別を見失って、家族に対する礼儀を忘れ、
ついつい、失礼なことを言ってしまったり、やってしまったりするのです。
だから、夫婦というのは、礼儀を忘れない他人の部分を残しつつ、
他人なら絶対してくれないようなことでもお互いし合えたらいいなと思うのであります。


  


よく「会話もないので、夫婦喧嘩もできない」てなことを聞きますが、
会話がなくなるというのは、ある意味「家族としての甘え」の現れではないかと思います。
夫婦の会話がないとおっしゃる方に伺いたいのですが、
いつごろから会話がなくなったのでしょうか。
結婚前から会話がなかったのであれば、それはもう仕方がないです。
会話がないのを承知で結婚しているのですから。
でも、もし、結婚した後、会話がなくなったというのでしたら、
それこそ、「夫婦は家族の始まり」
お互いが”甘える”という形で「家族になった」ということではないかと思うのです。

恋人をゲットしようというとき、相手の話に耳を傾けず、
TVや新聞から目を離しもしないで、適当に相槌を打つ人がいるでしょうか。
それが、なぜ、夫婦の間では行われてしまうのでしょう。
それは、家族への「思いやりのなさ」、つまり、「家族としての甘え」です。
どんな態度をとっても、相棒はいなくならない。
そんな気持ちが態度に現れてしまった証拠です。

しかし、いけないのは、話を聞かない方ばかりではありません。
話す方は、聞く人の立場もちょっとは気遣って
多少なりとも”聞くに堪える話し方”をするくらいの努力はしてもいいのではないでしょうか。
そういう努力もせずに、毎日毎晩、
面白みもない単なる愚痴を垂れ流されたら、どうでしょう。
垂れ流している方は、楽しいかもしれません。
が、垂れ流されている方はたまりません。
聞いてるふりをしてくれるだけでも思いやりがあるというものです。
夫婦の間で愚痴を言うな、と言っているのではありません。
愚痴を言うにも、工夫をすべきだと思うのです。
話の区切りには”落ち”をつけるとか、
ちょっとした社会批判につなげてみるとか、
エスプリとユーモアを交えて話すとか・・・・
ただ、ただ、漫然と、頭に浮かぶままに、似たような話を毎晩垂れ流していたら、
そのうち、聞いてもらえなくなっても仕方ありません。
愚痴を聞かされる方の気持ちも考えず、
漫然と愚痴を垂れ流すのは「家族への甘え」です。


  

何か問題が起きたとき、
二人で同じだけ自分の考えや思いが言えて、
二人ともが納得できる解決方法をとるのが最もいいと私は思っています。
それが”話し合う”ということです。
話し合いは、ときに、喧嘩のように見えることもあるかもしれませんが、
話し合いがどのくらい上手にできるかによって、
夫婦関係はうまくもまずくもなります。
「相談」と称して、結局、自分の意見ばかりを押し通す人がいます。
そんなことを繰り返していると、相棒は
「結局、私が意見を言ったって、どうせ彼(彼女)は自分の思い通りにするんだ」
ということを学習してしまって、相談しても、
「好きにすれば」
「勝手にしたら」
と話に乗ってくれなくなります。



 

良きにつけ、悪しきにつけ、「夫婦は家族の始まり」です。
「何を言っても(しても)相棒は絶対逃げ出さない」
なんて安心してちゃいけません。
いつもお互い切磋琢磨して、男を磨き、女を磨き、
喧嘩をしてもいいですから、
末永く美しい夫婦でいたいものです。



今回は、
キリ番ゲットのNAOさんからいただいたお題
「夫婦喧嘩」で書かせていただきました。
楽しいお題を、ありがとうございました。
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