第69号 舞台裏

オイリュトミーの発表会
最近、私は舞台に立った。
習っているオイリュトミーの発表会があったのだ。
(オイリュトミーは、シュタイナー学校の芸術教育のひとつ)
私たちの先生が教えている、いくつかのグループの人たちと合同で行った。
会場は、以前、ホントのオイリュトミストたちが公演したこともある大舞台だ。
まず、私たちは楽屋に集合した。
楽屋の鏡に向かっていつもより濃い目の化粧をしてたら、
なんだか役者になったような気分になった。
オイリュトミー服にアイロンをかけなおし、リハーサル室へ行った。
本番では、頭が真っ白になって、
なにがなんだかわからないまま、自然に体を動かして帰ってきた。
よくピアノの発表会などで子どもがうまく弾くと、謙遜して
「うちの子本番に強いから」
と言う親がいるが、本番に強いからうまく弾けたんじゃない。
ちゃんと練習したから弾けたんだ。
練習した以上の結果は出ない。
ということを、オイリュトミーの発表会で私は身をもって経験した。
舞台の上は華やかでも、舞台の裏は過酷なのだ。
なんちゃって!
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芸能人
こんな話を聞いたことがあります。
あるインタビュー番組本番前のスタジオで、吉永小百合が立っていました。
スタッフが椅子をすすめると、
「スカートにシワがつくので」
と言い、彼女は番組が始まるまで椅子にはかけなかったそうです。
番組が始まってからつくシワは仕方がないが、始まる前にはシワ一つつけないというのです。
さすが吉永小百合です。
楽屋だけが舞台裏なのでしょう。
吉永小百合は舞台裏(私生活)を想像させない女優です。
一部の芸能人が、TVで自分たちの舞台裏を暴露し合い、
内輪ウケして喜んでいるような番組を見ると、
「なんとも芸のない人たちだ」と思ってしまいます。
(まあ、それ以上に、脳のない制作者側の問題もあるわけですが・・・)
芸のある人たちは、舞台の上と舞台裏の区別はしっかりつけるものです。
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林檎蝋燭の会
毎年クリスマスの時期になると、うちの子どもたちは
林檎蝋燭の会(シュタイナー学校で行われている行事のひとつ)という行事に参加している。
子どものオイリュトミーの先生が中心になって開かれる厳粛な会で
そこに参加すると、まるで神様の国に行ったような非日常的な心持ちになる。
1時間ほどの会だが、その1時間のために
私たち親は9月ごろからドキドキしはじめ、
会の当日まで、その準備に大わらわの日々を送る。
でも、子どもたちには、その準備の様子を絶対見せない。
子どもたちに贈る手作りプレゼントも、子どもが寝た後、こっそり作る。
年に1度の非日常的な行事の舞台裏は”子どもに見せない”という配慮があってもいい。
親たちがあたふたしている”舞台裏”を見せていないからこそ、
この会で、子どもたちに神聖な感動を与えるのだと思う。
日常生活の中での舞台裏。
例えば、毎日の食事の支度や掃除・洗濯などは、子どもに秘密にすることはない。
むしろ、子どもの目に見えるように行い、子どもにも大いに手伝わせるべきだ。
だって一緒に生活しているのだから。
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電車の中での化粧
ある女子高生の投稿。
「電車の中で化粧をすると、みっともないからやめろと言う人が多いけど、
私は別にみっともないとは思わない。
人に迷惑かけてるわけじゃないんだから、いいんじゃない?」
確かに自分のひざの範囲内でこっそり化粧している分には別段構わないと思います。
しかし、私は電車の中では化粧をしません。
なぜなら、化粧はプライベート空間(=舞台裏)ですべきだと思うからです。
最近は化粧のはじめから終わりまでの全過程を電車の中で披露する女性もいるそうです。
マスカラをつけるとき、大口を開けて、普段、絶対誰にも見せられないようなアホ面を
公共の場でするというのは、どういった感覚の持ち主なのでしょうか。
先の女子高生は電車の中の化粧を「私は別にみっともないとは思わない」と言いました。
ところで、「みっともない」とは「見とうも無い」が変化した言葉だそうです。
「見とうも無い」のは、「私自身」ではなくて「他人」なのです。
こんなことがありました。
私の正面におじさんが座っていました。
会社帰りの普通のおじさんです。
一瞬の出来事でした。
おじさんが、ほじった鼻くそを食べたのです。
おじさんは、「オレは鼻くそほじってるところを見られても平気だよ」と言うかもしれません。
でも、私はおじさんが鼻くそほじるのなんか「見とうも無い」のです。
電車の中での化粧も同じです。
他人が「見とうも無い」「見苦しい」と言っているのです。
一歩、家から出れば自分の周りには他人がいます。
しかし、電車の中で化粧したり、鼻くそをほじるタイプの人にとっては、
電車の中の他人なんか自分にはなんの関係もないのかもしれません。
だから、他人しか乗っていない電車の中は、彼らから見れば”舞台裏”なのでしょうか。
あるいは、
彼らの感覚の中には、もはや”舞台の上”と”舞台裏”の区別がついてないのでしょうか。
もしかして、デート中、彼氏の前でも化粧をしているのかもしれません。

舞台裏
裏があるから表がある。
自分は今、人生の舞台に立っているのか、舞台裏にいるのか、
そんな意識をもって暮らしてみると、生活にメリハリが出ます。
あなたは、舞台の上と舞台裏の区別をしっかりつけた生き方をしていますか。
それとも、区別のあいまいな生き方を選びますか。
