第75号 アルツな気分

少し前まで、私はピアノを習っていた。そのとき、
「いくら練習しても、ちっとも覚えられません。
20代のころは、すぐ暗譜できたのに・・・」
と、先生に言うと、先生は笑いながら
「アルツですか」
と、言った。
「まさか、アルツってほどでは・・・」
と思ったが、私も笑いながら
「そうかもしれません」
と、答えた。

自分がアルツハイマー病ではないかという恐怖にかられることがある。
人の名前が思い出せないとき
物の名前が出てこなくて「あれ、あれ」とか言ってしまったとき
会話が途切れて、その続きを話そうとしたら、
さっきまでどんな話を話していたのか全く思い出せないとき

つい最近、用事ができて、十数年ぶりに
以前、勤めていた小学校へ行くことになった。
最寄のT駅で降りた。
出口はおしゃれな自動改札になっていた。
「さすがにここも自動改札になったか」
キセル乗車を見張る駅員さんの姿をふと懐かしく思い出した。
改札を抜けると、私は左に曲がった。
何年も通った道だ。
迷うはずがない。
どんな店があったか覚えてはいないが、行けば自然とわかるだろうと思った。
しかし、見覚えのある店が一軒もない。
私はあわてて反対側の出口へ行ってみた。
思い出せない。
見慣れないビルたちが私を見下ろし、私の頭上をぐるぐる回った。

踏み切りがあったはずだ。
踏み切りを渡れば、すべて思い出すだろう。
そう思った。
しかし、いくら歩いても踏み切りが見つからない。

街ごとそっくり変わってしまったのか。
それとも、私が街の風景をすべて忘れてしまったのか。
見覚えのない街の中で、
私は不安と恐怖にかられ、アルツな気分に陥った。

しばらくすると、私は高架線の下に来ていた。
私の頭の上を電車が走っている。
踏み切りが見つからないわけだ。
線路は高架線に変わっていたんだ。
私が街の様子を忘れたわけじゃない。
街全体が変わったんだ。
何も思い出せない不安な自分にそう言い聞かせた。

しかし、目的地を見つけたとき、
私は新たな不安にかられ始めた。
景色が全然違うのだ。
広い車道を車がヒューヒュー走っていた。
車道の向こうに学校があった。
あれは確かにT小学校だ。
でも、こんな道路、見たことない。
こんなに広い道路が学校の前にあったかしら?
なかったとしたら、ここには何があったの?
思い出せない。

夢うつつな気分で道路を渡り、私は学校の正門をくぐった。
花壇がある。
なつかしい!!
あの花壇のレンガの3つめのところで
Oくんがひっくり返って頭を切って3針縫ったんだ。
私の知らない街の中に、私の知ってる学校があった。
学校だけが昔のままだった。
私が知ってる街にあった学校が、魔法の絨毯に乗って、
私の知らない街へビューンと移動してしまったのではないかとさえ思った。

学校で用事を済ませたあと、教頭先生が
「ここへ来るのは何年ぶりですか?」
と私に尋ねた。
「10数年ぶりです」
と答えると、
「それじゃあ、前の道がまだ川だったころですね?」
と教頭先生が言った。
「川・・・?
そうか、川だったのか!?
やっぱり、広い道路はなかったのね。
でも、川があったってことは、思い出せない・・・」
私は心で思った。

家に帰ってから、私はT小の下敷きをひっぱり出した。
創立20周年の記念品の下敷きだ。
学校付近の様子が航空写真で載っている。
それを見ると、確かに小学校の前に広い道路はなかった。
そこは、川でもなかった。
川を埋め立て土を盛った空き地だった。
下敷きに写っている学校のまわりは畑と空き地ばかりだった。
線路は地べたを這っていた。

10数年のうちにすっかり変わったんだ。
でも、もし、街の様子が変わっていなかったら、どうだっただろう。
私は迷わず歩けただろうか。
その自信はない。

昔、私はアルツハイマー病と聞いたら「家族が大変」という印象しかなかった。
しかし、今は、家族以上に、アルツハイマー病の人自身が病気を自覚し、
それを実感させられていく不安と恐怖と言ったら、どんなであろうと思う。

ある本にアルツハイマー病を発見する方法が載っていた。
今日の日付や生年月日が言えるか、
自分の年齢が言えるか(2歳前後の間違いは許される)
100から7ずつ引いた答えが言えるか
100−7=93 93−7=86 86−7=79・・・
つい、そんな練習に励んでしまう今日このごろ。
あなたは、アルツハイマーの恐怖にかられること、ありませんか?

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