第77号 夏休みの自由研究

娘は社会科が苦手だ。
6年の社会科では「日本の歴史」をやる。
1学期が終わったとき、社会科がどこまで進んだか娘に尋ねると、
娘は、どこまでやったかよくわかっていない上、
歴史に時代があることすら、わかっていないことが判明した。
聖徳太子も徳川家康も、みーーんなただの昔の人だ。
これはいけない!と、私は思った。
日本人なら「日本の歴史」は知っておいたほうがいい。
その方が人生きっと面白い。
理由はそれだけだが、
私は娘に教科書レベルの「日本の歴史」くらいは知っておいてほしいと思った。


夏休みに入ったばかりのある日、
娘の社会科の教科書を眺めながら、私は絶望的な気持ちになった。
授業で娘が覚えてきたのは、どうやら「卑弥呼」と「雪舟」という名前だけのようだ。
そんな娘が、夏休みの間に自ら社会科の教科書を開き、
勉強しはじめることなど、まず考えられない。
塾には行っていない。
それでは、娘はいつ「日本の歴史」を学ぶのだろう。
中学校になってやる気が出てからか。
もしも、ずっとやる気が出なかったら・・・・?
それでは、私が一気に教えこもうか。
しかし、親子喧嘩せずに勉強させる自信もない。
そう考えると、私は一人で暗く憂鬱な気持ちに陥った。
が、娘はいたって明るく、社会科のことなど全く気にしていなかった。



夏休みが半分くらい過ぎたある日、娘が勉強していた。
しかし、勉強に集中している時間に比べて、ぼ〜〜〜っとしている時間の方がはるかに長い。
「ちょっと集中してやっちゃいなよ。
5分でできることを20分かけてやったら、
結局、遊ぶ時間が減って損するのは自分なんだよ」
と私が意見した。
すると、そのとき、娘がとんでもなく面白いことを言い出した。
「私はね、ホントは、集中力あるんだよ。
いっくらでもやれるよ。
じゃあ、明日、やってみせるね」
おおおおおお〜〜〜!?
これはいったいどういうことだ?
娘の言っている意味がよくわからないまま、
「だったら、明日、そのものすごい集中力でもって、社会科の歴史の年表作りをしない?」
と、私がもちかけた。
すると、娘がニコニコしながら、「いいよ」と言うではないか。
それを聞いて、私はワクワクした。

その晩、子どもが寝た後、
私は小学校6年の社会科の教科書と資料集を開いてみた。
「キミのいう集中力でもって、さあ、年表を作りなさい」
と言ったところで、何が作れるか。
ただ、後ろの年表をひたすら書き写すだけではもったいない。
私は、ちょっと欲が出た。
不可能と思って断念していたが、
本人がやると言っているんだ。
今がチャンスだ。
やってしまおう。
私が社会科の家庭教師をしてしまうのだ。
それから、私は夜中の2時半まで社会科を勉強してしまった。

真っ先に、私は新選組が教科書に載っているかどうか調べてしまった。
新選組は載ってない。
旧幕府側は負けたから、負けた人の歴史は覚えなくていいってか?

今年、我が家はNHKの大河ドラマ「新選組!」に家族でハマリ、
毎週日曜夜8時を楽しみにしている。
ついに一家でドラマが楽しめる日が来たかって感じだ。
娘は、特に沖田総司をご贔屓にしている。
以前、娘が朝寝坊をしていたので、私が娘に向かって
「沖田総司、オキタ?寝た?」
と言ったら、私は娘にめっちゃ怒られた。


昔、伊藤博文が千円札で、板垣退助が百円札だった。
大日本帝国憲法を秘密で作った伊藤博文が千円で、
自由民権運動をした板垣退助が百円なのは、何故なんだ。
とるに足らない疑問だが、疑問をもって読んでみると、
小学校の教科書も案外面白い。
思えば、私にとって社会科は単なる暗記科目だった。
だから、教科書を読んだって疑問なんかちっとも湧かなかった。
ひたすら、語呂合わせの年号暗記に終始した。

それから、3日間、夏期集中社会科親子講座が始まった。
娘は私の歴史解説を反発することなく真面目に聞いた。
F6のスケッチブックを使用し、左ページに年表、右ページに解説を書かせた。
娘は、「卑弥呼は結局えばってたんでしょ、だから、嫌いだ」と言った。
「聖徳太子も結局えばってたんだよね」と嫌がった。
そして、「行基は好きだ」と言った。
「源頼朝はまあいいが、北条家はとんでもない」と言った。
そうこうしながら、3日間かけて、めでたく、一学期に習ったところまでの年表が仕上がった。
娘は、思いのほか立派な自分の作品に感激し、
「これ、自由研究にしてもいい?」と言った。
「これを持って行ったら、もしかしてアタシ先生に誉められるかも」
と、ちょっと心で思ったようだ。

いくら娘が「私は集中力がある」と自負しているとは言え、
こんなこと3日以上続けられるはずがないと思った。
1学期の分まで年表は作ったんだし、もうこのくらいでいいだろうと思いつつ、
「この先どうする?」
と娘に尋ねると、娘は
「新選組はいつ出てくるの?」
と、聞いてきた。
「このあとすぐだよ」
と答えると、娘はうれしいそうな笑顔を浮かべて
「新選組のこと、書いてもいい!?」
と、言い出した。



娘が、その年表に「新選組」の歴史を記述する日がやって来た。
娘は新選組の年表を持っていた。
いつだったか、TV解説の雑誌で大河ドラマ「新選組!」が特集になった。
本屋でそれを見つけた娘はその雑誌が欲しくて欲しくて大いに悩んだ末、
とうとう、なけなしの小遣いで購入したのだ。
なんと、その雑誌に新選組の年表が載っていたのだ。

近藤勇、清河八郎の主導する浪士組に参加

突然、今までとは全く違った力のこもったドデカイ字で娘は書いた。
黒船来航・日米和親条約・日米修好通商条約・桜田門外の変のあと、
突然、新選組がやってきたのだ。

縄文時代から江戸時代の大塩平八郎の乱(1837)までで、ちょうど10ページ使っていた。
新選組が活躍したのは、わずか6年。
その6年間に、娘は3ページさいた。
右側の年表の説明は、娘の好きなように書かせた。
すると、娘は、新選組の局長をはじめとする役職のあるメンバーの名前を書きつらねた。
それから、どこで仕入れてきたのか、「局中法度書」を全文書いた。
あとは、沖田総司のことを調べて、全文書き取りしていた。

娘は、はじめ、新見錦の切腹の1ヶ月後に芹沢鴨が暗殺されたと主張していた。
TVではそうだったというのだ。
しかし、いろいろ調べてみると、それがたった4日後だったことがわかった。
そんなこんなで、私も新選組の歴史に詳しくなってしまった。




新選組の時代が過ぎると、また、私の講釈が始まった。
でも、もうここまでくれば、明治、大正、昭和はすぐだった。
こうして、夏期集中社会科親子講座は無事終了した。
暗記中心の勉強ではなかったので、テストをすればたぶんからっきしダメだろう。
でも、日本に歴史があって、いろんな歴史上の人物がいて、
日本の歴史が戦いの歴史だったことを知ったと思う。
だから、もう、これで充分。
めでたし、めでたし、である。

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