第78号 話し合い

私の家族(実家)はみんな実に明るくおしゃべりでしたが、
まともな「話し合い」ができませんでした。
そのために心の行き違いが起こって、そのままになっていることが今でもあります。
「話し合い」ができない家族であったことを私はずっと苦々しく思っていました。
でも、この夏、小6の娘と日本の歴史を勉強したとき、
「日本の歴史から見て、日本人は今まで家族はおろか他人とだって、
話し合いをしたことがなかったのではないか?
私の家族だけが話し合うことが苦手だったんじゃなく、
日本人みんな話し合うことが苦手なんじゃないか?」
と思いました。
小学校の社会科の教科書を読んだだけで、
こういう結論を出すのは、大胆かつ無責任かもしれませんが、そう思うと、
話し合いのできなかった自分の家族がなんだかいとおしく思えるのであります。

今更ながら、こういうことを言うのも何ですが、
日本人は長い間、実に不平等だったんだなあとつくづく思います。
そう思った直接の理由は、「慶安のお触書」です。
同じ人間同士でありがなら、武士の位についたエライ人が、
農民から農作物を只取りしたいというだけの理由で、
農民を武士より低い身分と勝手に決め付け、
農民の暮らし方について細部に至るまで事細かに命令したのが、
「慶安のお触書」でした。

一口に農民と言っても、その中でまた身分の上下がありました。
昔話に出てくる庄屋どん(名主
それを支える組頭
村役人の百姓代
その下に自分の土地をもつ本百姓
さらにその下に土地をもたない水のみ百姓
百姓同士の間にも順番があり、
家族の中にも順番がありました。
男尊女卑でしたから、夫婦が対等に話し合うことなどありません。
だから、家族で話し合うことなどなかったでしょう。
エライ人の命令に下々の者は「ハハー」って従うより他ないんですから。

今でも話し合って何かを決めるより、
難しいことはエライ人に決めてもらって、
自分は「ハハー」と従ってる方が好きって言う人、いますよね。
私自身、案外そういうところがあります。

両親は戦争中に子ども時代を過ごしました。
日本で一番エライのは天皇陛下で、
家族で一番エライのは父親でした。
エライ人の言うことは絶対です。
自分なりの考えをもつことなど許されません。
もし、エライ人の前で思ったことを口に出そうものなら、
「立てつくんじゃない!」と叱られました。
家族で「話し合う」ことなどなかったに違いありません。

私の家族(実家)の場合、
会話が話し合えるような方向には進みませんでした。
私は3人姉妹(私は真ん中)でしたが、3人で喧嘩をすると、
必ず母に「かずみが一番悪い」と言われました。
私は「自分が一番悪い」などとは思いませんから、
「私のどこが悪いのか、教えて!教えてくれたら改めるから」
などと質問すると、こう言う返事が返ってくるのです。
「そういう口の利き方が憎らしい。
ヨーコちゃん(仮名・私と同じ年の近所の子)を見習いなさい!」

今、思えば、「一番悪い」と言われた人は
「どこが悪いのか」などと質問するのではなく
素直に「ごめんなさい。反省します。もうしません」
と頭を下げるべきだと母は思っていたのかもしれません。

「話し合い」は、難しいことです。
他人と話し合うときは、「ま、どっちでもいいか」と言った距離感のあることが多いので、
「今回は自分が少し損すればいいや」と思えたり、
「ちょっと嫌われたって、今回は引き受けないぞ」
などと割り切ることができます。
ところが、家族となると、ちょっと違います。
夫婦でも親子でも、客観的になれなくなってしまうからです。


話し合いの場では何にも言わなかった人が、話し合いが終わってから、
「あのとき、私は本当はこう思ったけど、言えるような状況ではなかった」
とか言う人がいますが、それはルール違反だと思います。
いくら気の小さい人でも、言いたいことがあったら、
勇気を出してその場で意見を言うべきだと思います。
その場で意見が言えなかったのなら、仕方がない、
決まったことに対して後になってからああだこうだ言わないことです。



今、私は、自分が親になって新しい家族を作っています。
私は昔から”話し合える家族”になりたいと思っていました。
話し合いのできる家族になるためには、
まず、夫婦が話し合える関係になっていないとダメです。
大人は子どもの手本ですから、話し合いもできない夫婦が
”話し合える家族”を作ろうったって、それは無理です。
私は、ついつい、感情的になって余計なことを言ってしまい、
話し合いではなく、喧嘩になってしまうことも多々ありますが、
それでも、できるだけ話し合いができるように気をつけています。
家族の中で充分思いを噴き出すことができ、
主張したいことは主張し、
譲れることは譲る、
そんな習慣の身についた家族なら、
事が起こるたびにあとくされやしこりを残さず、
気持ちよく生活できると思うのです。




家族で話し合える関係になるために、
”親業”を参考にし、私は次のようなことに気をつけています。

                 
子どもの話に耳を傾ける
子どもの気持ちを聞いたとたん、否定的な意見を言ったりせず、
「ああ、そう思ってるのね」と受けとめる。
自分の考えを子どもに伝わるように話す
子どもの言うなりになることがが子どもの気持ちを受け止めることではない。
「私はこう思う」という親としてのメッセージを子どもに伝える。
感情的に即答せず、よく考えて話す。
命令したり、威圧的な態度で話したりしない。
お互いに納得できる解決案を見つける
話し合いは勝ち負けではない。
よく話し合ってみると、案外ちょっとしたことを改善するだけでお互い納得できたりすることがある。





参考図書

「親業」
トマス・ゴ−ドン著・近藤千恵 訳
大和書房

 

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