第84号 大人のドリル
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今、大人向けドリルが流行っています。
お年寄りを対象にした学習塾や通信教材まで出ているそうです。
昔、日本人が勤勉と言われた世代の方々は
年をとっても勤勉なんだなと思っていたのですが、
30〜40代の人たちにも流行っていると言うではありませんか。
大人向けドリルの仕掛け人は、東北大学の川島隆太教授。
最新の機器を使って脳の働きを解明し、
計算や音読をしているとき、人間の脳はよく働いていることを発見。
さらに、計算や音読を半年間、認知症の方にやってもらったところ、
得点がアップしたばかりか脳が活性化され、
トイレが自立し、コミュニケーション能力に改善が見られた人もいたとか!
その後、計算ドリル、音読ドリルを次々と発行し、
最近では、「唱歌や料理も脳を活性化させることがわかった!」などと言って、
「童謡・唱歌が脳をよみがえらせる 大人の脳力ドリル」なるものまで出版しています。
最近、私自身、自分の頭の衰えを感じたりするもので、川島先生の本は大いに気になります。
でも、私はそれらの本の前に行くと、どうしても手を伸ばす気になれません。
なぜなのか?
自分でもそのわけがよくわからず、ここ2〜3ヶ月の間、ずっとそのことを考えていました。
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「脳を育て、夢をかなえる」という川島先生の著書の中に、
「わたしは、痴呆症が世の中からなくなればよいのに、と思っています。」という一文があります。
私は、この文を読んだとき、
なぜ”大人向け計算ドリル”に抵抗を感じるのか、はっきりわかったような気がしました。
”大人向け計算ドリル”には、
「脳をよみがえらせる」とか「脳を鍛える」といったサブタイトルがついています。
そのサブタイトルから
”認知症の人の「脳をよみがえらせた」計算ドリルをやって、
みんなも「脳を鍛え」て認知症にならないようにしよう!”
というメッセージを私は読み取ってしまうのです。
川島先生は「オレは、そんなこと言ってないよ」と言うかもしれません。
でも、ドリルの売り込み方からは、そういうニュアンスを受けるのです。
私はそれがイヤだったのです。
私は「認知症が世の中からなくなればよいのに」とは思っていません。
誰も望んで認知症になりたい人などいないと思います。
しかし、「なくなればよい」とは思いません。
「コレラやチフスじゃあるまいに」です。
どうしてそんなに認知症を毛嫌いするのでしょうか。
確かに介護に当たる人は大変だろうし、その当人はもっと大変でしょう。
でも、撲滅を望むような種類の問題でしょうか。
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私の周りにいる高齢の方は誰も計算ドリルなど励んでいません。
でも、みんな元気に過ごしています。
私は、私の母が本や新聞を読むのを見たことがありません。
若い頃は、毎日、家計簿をつけていましたが、ここ20年さっぱりやめています。
年齢は75前後になりますが、別段ぼける様子もなく元気に暮らしています。
脳にいいことを何か一つくらいしているかなと思って考えてみると、
思い当たるのが、朝の散歩です。
母は、夫(私の実父)に長生きしてほしいという一心で、
毎朝5時起きをして、父を起こし、二人で1〜2時間、散歩をしています。
自宅から徒歩1〜2時間圏内は、もう目をつぶっていても歩けるそうです。
実父も、もちろん、計算問題も音読もしていません。
でも、父は趣味で金魚を飼っています。
金魚の増やし方は趣味の域を超えているやにも見えます。
が、それで商売をするわけでもなく、
生まれた金魚はご近所さんに配ったり、自分で飼ったりしています。
両親とも元気で風邪で寝込んだという話さえ聞いたことがありません。
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「認知症になりたくないから計算ドリルをする」
「計算ドリルと音読さえしていれば私の脳は大丈夫」
と信じてしまう人がいたとしたら、なんかこわくありませんか?
計算が脳にいいっていうのはわかるけど、
それだけやってたってダメだぜ。
川島先生だって、計算ドリルさえやってればいいとは言ってないさ。
でも、そういう誤解を与えるような情報を発信してるよ。
人間、頭がいいだけが脳じゃない。
人間、脳だけで生きてるわけじゃない。
川島先生は、「心は脳の中にある」と言っています。
そうでしょうとも。
でも、だからなんだ!
心は脳の中にあるからって、心を脳で感じてどうすんの。
心はハートだよ。
心を胸で感じられなくなったら、あんた、それこそ病気だぜ。
頭と体の真ん中に心があるのよ。
人間はバランスだよ。
バランスが大事!
体を動かして、頭を働かせて、心で感じて、
人生を楽しむこと。
それが一番!
脳にいいから脳にいいからって、そんなセコイ根性じゃあ、
脳のほうだってつまらくなって萎縮しちまうぜ。
失礼!つい興奮してしまいました。
川島先生は
「永久に死にたくない、死なずにすむようにしたい」と、
中学生の頃から思っているそうです。
さらに、死んで「体」がなくなっても「心」さえなくならなければ、
自分の存在がこの世の中から消えてしまうことはないはずだ。
だから、自分の「心」をコンピューターの中に移し、
永久に死なないという”大きな夢”をかなえてみたい(注1)そうです。
私は夏目漱石が好きです。
漱石は100年前に亡くなりましたが、
私の心の中に彼は生きています。
漱石に限らず、亡くなっても、
みんなの心の中に生きている人はたくさんいます。
なぜ、心をコンピューターの中に移さないと永久に生きられないと思ってしまうのか?
川島先生の発想はイマイチ私とはズレでいて、
彼の著書を読むとイライラしてきます。
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ところで、私、眞田祥一先生の「大人のドリル」(注2)を買いました。
眞田先生は脳神経外科の医師です。
多くの脳梗塞の患者さんを診てきた経験から書かれた本です。
この本は、前半に脳の理論がわかりやすく書かれています。
後半には、自分で隠れ脳梗塞が発見できるテストや
記憶力や判断力、集中力、手足の運動感覚レベルを
ゲーム感覚でチェックできるテストや
トレーニングの方法が具体的に紹介されています。
これは、先生の人間愛を感じる暖かい一冊です。
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(注1)「脳を育て、夢をかなえる」くもん出版・川島隆太著
(注2)「大人のドリル」マキノ出版ムック・眞田祥一著