インドはすごい その10

乞食という言葉が差別用語で、
今は「浮浪者」とか「路上生活者」とか言っていますが、
インドには、どうしても乞食としか表現のしようがない人々がたくさんいました。
日本には、もう、人にものをこう人などいませんよね、このごろ。
インドの乞食は昔ながらの乞食そのもの、物乞いなのです。
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観光地で、
女性の乞食が5〜6人の子どもをぞろぞろつれて物乞いをしていました。
たぶん、年は20代くらいだったのかもしれません。
乞食になるより、しようがなかったのでしょうか。
家族で乞食やってる人たちもいます。
路上にござを敷いて、一応いつも決まった場所に陣地をとって、そこに暮らしているのです。
朝ご飯なんかをござの上で食べてるのを見ましたが、結構楽しい食事のようでした。
で、昼になっても、なんとなくそこに寝てたりするもんだから、
日本人の感覚だと、ちょっと、ちょっと、・・・って思ったりするわけです。
一番ショッキングだったのは、歩道橋の上の乞食の0歳児に出会ったときです。
まだ、首もすわらないような小さな赤ちゃんでした。
ちょっとした敷物の上に白い布にくるまれた赤ちゃんが寝ていました。
静かに眠っていたのが、幸いでした。
この子の母親はどこに隠れているのだろうと、思わず私は探してしまいました。
が、そばにはいないようすでした。
赤ちゃんのそばには、いくらかのお金が投げられていました。
「働いている」
思わず、そんな言葉が浮かびました。
今、私がこの子を拾って逃げたら、誰か追いかけて来るのかしら・・・
理性で拾いませんでしたが、ちょっと、拾って帰りたかったです。
何度か同じ場所を通りました。赤ちゃんはいつも一人でそこにいました。
あるとき、その場所から近い路上で母親が赤ちゃんを抱いてオッパイをやっているのを見かけました。
あの赤ちゃんでした。なんだか少しほっとしました。
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たぶん、信仰の深さなのだと思いますが、
インド人の精神には、なにか崇高なものを感じます。
カルカッタには、お椀を持って、お金をもらう乞食が大勢いました。
人混みにまみれながら、お椀を差し出す乞食がいました。
大勢の人の間に乞食はたちまち消えていきました。
そのとき、お椀を差し出す乞食とどちらが乞食か区別がつかないほど身なりの貧しい老婆が、
通り過ぎていった乞食を追いかけて探してお椀の中に小銭を入れたのです。
私には、その出来事がかなりのショックでありました。
乞食が来ると、逃げるように立ち去り、ついて来ないで、
と思っていた自分がみにくく思えてなりませんでした。
それから、注意深くインドの人たちを見ていると、
乞食でないインド人が乞食をやってる人たちに当たり前のようにお金を与えているのです。
社会状況が日本と違うからと言っても、
私から見たら、インド人はやさしいなと感じざるを得ませんでした。
自分にとって余ったお金は、人に恵む
という崇高な精神をごく普通の人々がごく普通に持ち合わせている、
そんな風に見えるのでした。