インドはすごい
  その9



インドの街は、ゴミ箱でした。
どこにゴミを放り捨てても誰にも文句を言われたりしません。
ココナツの食べかす、サトウキビのむきかす、
その他諸々のゴミというゴミが道路に山になって、ちらかっているのです。
清掃車なんか来ません。でも、大丈夫。
牛、山羊、野豚、象、カラス、野犬たちの、
そして或いは人間たちのエサになっていて、
腐る前に食べ尽くされ、食べ尽くされる前に捨てられていくのです。


街はゴミ箱であるだけでなく、お便所でもありました。
男たちは、どこでも、ちょっと塀でもあれば、すわりションベンです。
鼻はみんな道路でかみます。
片鼻をつまんで、フンッと息を吐き出して、うまく鼻を道にとばします。自分にかからないように。
だから、ティッシュなんかいりません。


寝台車に乗っていて、
朝、目が覚めたとき、車窓から何気なく外の景色を見ていました。
のどかな村の朝でした。
人々は起きだし、みんな活動を開始していました。
「あ、朝だな。」
と、晴れ晴れした気分で眺めていると、
どの人も手にコップを持っているのが、気になりだしました。
なんで、コップを持って、家から出て、外を歩いているのだろう。わからんなぁ。
夫に聞いてみると、
なんと、みんな、そのコップ持ってウンコしに行ってるんだそうじゃありませんか。
行ってるって?
どこへ行ってるのか知りませんが、公衆便所でないことは確か。
たぶん、あんまり人に見えない場所ってとこかな。
で、コップに入ってる水でおしりを洗うんです。
手動ウォシュレットなのです。


都会では、朝になると、
突然、街全体が洗面所になるという光景にも私は驚かされました。
普段はなんの変哲もないただの道路なのですが、
朝になると、誰が栓を開けるのか、
突然、道路の中に埋め込まれたちょっとした穴や管から、濁った水がジャージャーあふれ出てくるのです。
蛇口がないのに、あの水はどこから湧くのか私にはいまだに疑問です。
彼らは、その濁った泥水に口をつけて飲み、歯を磨き、顔を洗い、朝シャンし、
ある者は服のまま、ある者は裸(腰巻きは着けている)になって、体を洗うのです。
自分の腰巻きを洗濯している人もいました。




カルカッタでの移動は「リキシャー」でした。
リキシャー。みなさん、ご存じだと思いますが、これ、人力車のこと。
リキシャーを走らせてくれる人はたいした運動神経で、頼むとどこでも走って連れていってくれました。
タクシーや電車やバスとの違いは、街を肌で直接感じることができること、かな。
風を切って街の空気を吸いながら、車やバスと同じ道路を駆け抜ける。
車と一緒に道路を牛がのそのそ歩いている。
そんな牛たちの顔を目の当たりにしながら、混み合った車の多い道路をスイスイすり抜けていく。
街が見えた。人が見えた。ゴミが見えた。
驚いたのは、犬の交尾です。
街のど真ん中で、恥じることなく、照れることなく、
オス犬がメス犬の後ろからペニスを入れて2本足で立ち上がって、
すごい速さでピストン運動していたんです。
メスは嫌がっているようすもなく、感じている風でもなく、おとなしく黙って立っていました。
不思議なのは、あれだけ興味津々のインド人たちが犬の交尾にはまったく無関心だったことです。
おそらく日常の風景なのでしょう。


朝、と言っても、10時ごろ。
スクールバスを待っている金持ちの子どもたちをたくさん見かけました。
みんな、白いブラウスに水色のスカート、ソックスに皮靴を履き、リュックと水筒を持っている。
母親と一緒の子もいますが、父親と一緒の子の方が多い。
男の子は7〜8歳の子でも、髪を七三に分け、油をつけてかためている。

でも、他のほとんどの子どもたちは、真っ昼間、地べたに寝ころんでいたり、赤ん坊を抱いて乞食のまねをしていたり、道ゆく旅行者にポストカードを売りつける商売に励んでいたりしました。


インドの子育てに”オムツはずし”の悩みがないというのも、相当すごいと思います。
生まれたときから、赤ちゃんは、すでにオムツがはずれているんです。
パンツさえはいていない。
ノーパンで、見るからに汚い道路をハイハイしながら、拾い食いしている赤ちゃんを私は多数見ました。
よく死なないなと思ったら、これが、よく死ぬんだそうです。
つまり、この環境にうち勝った丈夫な人だけが生き残るということらしいのです。

うーん、自然の摂理か。
納得するのに、今ひとつ無理がある。




目次へ  前ページへ  次ページへ