インドはすごい  その2

インド人の英語は好きだ。
何故って、私にも聞き取れる発音をしてくれるんだもの。
トレーシーの英語なんか、うますぎちゃって、わかりゃしない。
彼らが最も得意な言葉は、”No problem!”
自分が原因で人に迷惑かけてんのに、平気な顔して、”No problem!”って、言うんだ。
予定時刻になっても一向に発車しない観光バス。
お金は既に払っている。早朝バスでみんな5時から待っている。
いよいよみんながイライラし出すと、
”New time !”と言って、新しい出発時刻を知らせに来る。
New timeは、結局、5:45、6:00、6:30と、どんどん伸びていく。
真っ暗だった空が白み始め、もう朝日がまぶしい。
7時過ぎると、”New plan !”と言い出した。
客の一人が怒り出すと、”No problem !”
違うだろう!!
とは言うものの、バスは3時間近く遅れただけで約束通りの観光をしてくれた。



列車の中で私はインド人の英語を日本語のように聞いた。
フランス人の白人男性と黒人女性のカップルにインドの男が尋ねた。
「おめえさん、どっから来たかね。」
「彼も私もフランス。」
「そうかい。結婚したのかい。」
「来月の予定です。」
「そうかい。幸せにな。」
こんな簡単な話だったが、
私には、これが英語に聞こえなかった。
「おめえさん、・・・」と、聞こえた。



アグラで、私たちは、2日間同じ人にタクシーで案内してもらった。
サリーというインド人で、英語もフランス語も上手だった。
どうやって勉強したのか尋ねると、
イギリス人やフランス人の旅行案内をしているうちに、話せるようになったと答えた。
サリーと写真を撮った。
「送ってあげる」
と言うと、自分の住所と名前を町の長老の所へ行って書いてきてもらった。
あんなに上手に英語やフランス語が話せるのに、自分の名前も書けないなんて・・・
ちょっと、ショックだった。

サリーは前日と同じところに行くように頼むと、昨日より高い値段を言った。
「昨日は○○だったのに、今日はなんでその値段だ。高いじゃないか。」
と、文句を言うと、全くひるむことなく、サリーは言った。
”Yesterday is yesterday. Today is today.”

ウソだろう!!そんな英語ありか???
まるで日本語じゃないか。
「昨日は昨日。今日は今日。」
わっかりやすーい。
そんなこと言ってる場合じゃない。
でも、もうその英語に恐れ入って、文句いう気もしなくなっている。



寺院はどこも石作りで美しかった。
アグラには、イスラム風な寺院がたくさんあった。
ある寺院で、私たちは入場料をちゃんと支払い入場した。
由緒正しい寺院のためか、靴を脱ぐように言われた。
私たちが入場するときから、ついてきていたインド人が
「靴がなくならいようにみていてやる」
と言ってくれた。参拝が終わって、さっきの出口に来ると、例のインド人が
「バクシース」
と、手を出している。
ハテナ???首をかしげた瞬間、なにを言われているかがやっと分かった。
靴を見ていてやったから、金よこせって言うわけだ。
「ええ!!」
思わず、のけぞってしまう。頼んでねえぜ。なんでえ。
でも、ついてくるから、払ってしまった。



ニューデリー駅での話。
そう、駅の流血騒ぎはウソだった、あのニューデリー駅。
駅は人で溢れかえっていた。
駅に限らず、インドの都会はどこでも人でごったがえしている。
タクシーが止まる瞬間、夫が
「急げ、赤フンだ。」
と、言った。なんのことかわからなかった。
大急ぎでタクシーから降りたが、夫は、
「間に合わなかった。」と、言った。
トランクから、”赤いシャツ”を着た大柄な男が私たちの荷物をすでにご親切に取り出していた。
夫はあきらめ顔で彼にアグラ行の列車名を告げた。
むかし夫がインドで暮らしていたころ、彼らは赤いふんどし一丁だった。
それで、日本人は彼らを赤フンと呼んでいた。
日本にも、荷物を運んでくれる赤い帽子をかぶった”赤帽”がいたが、
インドの場合、何故か、赤いふんどしだった。
さすがに今は赤シャツだ。
結局、私たちは自分の荷物を自分で持つことは許されず、
荷物を持ってどんどん歩いていく”赤いシャツ”の彼を見失わないために、
必死で人をかき分け追いかけるしかなかった。
でも彼はちゃんとアグラ行きの列車の前まで連れていってくれた。


一時が万事、そんな感じ。
だから、大きく首を振ってこう言うのです。


”Oh,Amazing!!”



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