インドはすごい  その5

インドは不思議な国です。

ブダガヤで私たちはたくさんのインド人と触れ合いました。
みんな、フレンドリーで、表裏がなくて、露骨で、興味津々で、とっても野次馬な人々でした。
イヤな人なんて一人もいなくて、みんな人なつこくて、とってもやさしいのです。


インド人の視線を気にせず、道を歩くのが難しいほど
私たちは、ずっと注目の的でした。
ブダガヤは寺が多いので、インド国内からの観光客(巡礼者)がたくさん来ていました。
彼らから見ると私たちは珍しい外国人だったようです。
村の人たちも私たちを注目しない日はありませんでした。
村の中心から外れた観光客が来そうもない場所で写真を撮っていると、
村の人が集まってきました。
我も我もと写真に写りたがって、結局、大集合写真になってしまうのです。
撮り終わった後に、自分の新妻を連れて来て、
「もう一度、撮ってくれ。」と、言った人がいました。
新妻とやらは、写真に撮られるということに過剰反応して、ひどく恥じらっているようでした。
カメラに収まった人たちは、
写真ほしさに自分の住所・氏名を私たちに知らせたがっているのですが、
彼らのほとんどが文盲で、村の長老や村の文化人のところへ走って行って、
書いてもらった紙切れを私たちに手渡してくれるのでした。

私たちは、有り難い数珠などを売っている
土産物屋の息子ランジェットとその父親と仲良くなりました。
少年は12歳で、いつも、よたよたのTシャツを着て、
青と白のチェックの腰巻きをしていました。
ランジェットに日本の雪国の風景の絵葉書を1枚あげると、
私のまわりはアッという間に黒山の人だかりになりました。
おめえら、どこから湧いたって感じです。
で、我も我もと絵葉書1枚を欲しがるという・・・・
Amazing・・・


ブダガヤを出るとき、私たちは、バス停でバスが来るのを待っていました。
バスが来る時間が近づくに連れて、バス停に人が増えていきました。50人くらいはいたでしょうか。
そして、その全員が興味津々、遠巻きに私たちをじろじろ露骨な視線で見ているのです。
いよいよ、遠くから、バスがやってきました。
いつもの通りの満員バス。屋根にも人があふれている。
そのバスがぐるっと回って私たちのいる停留所に止まるまでの間に、私たちは異様な視線を感じました。
バスの人たちが、全員私たちを珍しそうに見ているのです。
どこのどいつだといわんばかりに、じろじろ露骨に。
屋根の上の人も、バスの中の人もバスの窓から乗りださんばかりに、なんのためらいもなく私たちに注目しているのです。
みんなニコニコ笑っていました。そう、私たちを見て。
なんなんだ、この注目は。
「俺たちは、郷ひろみとリーか!?」
夫はそう叫びました。(ゴメン!古すぎます。)
生まれてこの方、あんなに注目されたのって、あの時が最初で最後です。


無事、バスに乗り込み、席についたときです。
バスの窓の外から、私たちを呼ぶ人がいました。
ランジェットだ!!
「YOKOHAMA 花火大会」
ランジェットのお店に忘れてきた私のうちわだ。
ランジェットは私たちを探し、持ってきてくれのだ。うれしかった。
ランジェットの家族や親類たちもみんな見送りに来ていた。
私たちは、ブダガヤの明るい人々に盛大に見送られ、ブダガヤを去った。



バスの終点で降りて、
私たちは、ガヤー駅に向かって歩きました。
が、駅ははるかかなた遠く・・・・
重いリュックを背負って黙々と歩きました。
汗だくでした。

ガヤーはブダガヤに比べると都会でした。
列車の時間まで4時間ほどあったので、
駅に近いホテルで休憩をとることにしました。
といっても、日本ではお目にかかれないほど古そうな4階建ての石造りの建物です。
もちろん目的はクーラーとシャワーです。

  

驚くほど、狭い部屋でした。
クーラー付の部屋にしたのですが、それらしき物は確かにありました。
くるくる回る羽の後ろに水が入っていて、
たぶん気化熱で気温を下げようと言う代物なのでしょうが
部屋の湿度が上がる一方で、ちっとも涼しくなりませんでした。

でも、シャワーは最高だった。

全身汗まみれの不快を拭いさってくれたのは、
あの、便所に1本シャワーがついてるだけの
あの、不潔な、
あの、こきたないコンクリートに囲まれたシャワールーム。
水だけが出る
あの、水道。

でも、この世にこんな気持ちのいいシャワーがあったのか。
私はあのシャワーが忘れられない。

さすが、インドなのです。

  

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