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女の性欲
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男にとって、当たり前の性欲が
女にとって、どんなに”ねじ曲げられた”ものであるか、ご存じですか。
女の性欲は、女らしさという罠の中に封じ込められています。
区内の女性センターで女性学講座を勉強していたときのことです。
グループ学習で自分たちの意見を述べる場がありました。
テーマは「性と人権」でした。
話は従軍慰安婦や性の商品化や援助交際のことに及びました。
みんながそういうことを熱く語っているのが、私には不思議でした。
だって、不勉強な私には、従軍慰安婦も性の商品化も援助交際も
ちっとも私自身の心配事なんかじゃなかったのです。
「自分自身の性については、みなさん、どう考えているのですか。」
と、私は尋ねました。
誰かが「自分のことはともかく・・・」と言いました。
進行役のリーダーが「私たちには”NOという権利”があります。」と助言しました。
グループのみんながうなづきました。
「夫に求められてもイヤなときはイヤと言えます。」
と、みんなが言いました。
「NOだけじゃない。SEXしたいって言う権利だってあるのに。」
と、私は思いました。
でも、この講座が終わるまで、とうとう私はそれが言えませんでした。
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なぜ、言えなかったのか。
それは、私の中にある女らしさゆえ、です。
女がSEXで「気持ちいい」なんて思うことは、
私にとって、ふしだら、好色・淫乱、恥ずべきことでありました。
しかし、不感症でない証拠としてのみ、
快感を納得することはできました。
が、基本は”女はSEXなんかしたがらない”でした。
それが、私の思う女らしさでした。
笑われるかも知れませんが、そうでした。
こういう女らしさに縛られていると、SEXを心から楽しむことができません。
感じていても、心のどこかで、常にそれを否定する自分がいます。
だから、思い切り感じられません。
不感症とは言われたくないから、ちょっとは感じてみたりします。
でも、「最高」とか「SEXしたいよ〜」なんて言っちゃあいけません。
男に誘われて応じるときも極めて恥じらい深く。
SEX自体は好きではないが、愛しているから応じているのよ、と自分自身を納得させます。
妊娠のための正しいSEXは自ら進んでします。
快楽のためのSEXなんてとんでもない。
あまりにも古くさいと言われそうですが、私は本気でそう思っていました。
本当は、自分にも性欲があるのを知っていました。
でも、誰にも言いたくなかったし、自分さえも知りたくなかったのです。
その講座に来ていたみんなだって、そんな女らしさに縛られていたのだと思います。
だから、威張って「SEXしたくない!」とは言えるのに、
「SEXしたいって言ってもいいんだよね」とは誰も言えなかったのです。
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性に関する悩みのHPなどで、
「SEXしよう」とパートナーに言えずに悩んでいる女性がたくさんいることを知りました。
言えたとしても多くの女性にとってそれは相当、勇気の入ることなのです。
断るときは、堂々としているし、何回でも断りますが、
自分から誘った時は一回断られただけでも大変落ち込みます。
女からSEXを誘うなんて恥ずかしいし、
SEX好きな女と思われやしないかと心配します。
「私は快楽を求めてSEXしたがっているんじゃないのよ。
愛情を求めているのだけなのよ。」
なんて言い出す人さえいます。
人は肌のぬくもりが好きです。
好きな人と肌を合わせる気持ち良さ。
それのどこがいやらしいのでしょうか。
それは恥ずかしいものなのでしょうか。
人と人が抱き合い、体を温め合う。
美しいとさえ思います。
抱き合ううちにお互いに気持ちがよくなり性的快感を味わう。
なーにも問題ないじゃありませんか。
男も女も性欲のどこが悪いってんですか。
女にだって性欲はあるのです。
あるものはあると自覚した方がいい。
あるものを無いことにして恥ずかしがってるのが女らしさだとしたら、
そんな女らしさなんかには、もう縛られない方がいい。
そんな女らしさにこだわってSEXを充分楽しめないまま、
みすみす大切な人間関係を冷やしていくのは、
あまりにももったいない話じゃありませんか。
女らしさにこだわってなんかいないし、
SEXを楽しみたいのに楽しめない方は実践編をお楽しみに。
性欲など無いと思っていて、今、別に困っていない方はそのままでいいのです。
無いものを「あると思え」とは申しません。
この文章を読んで
「なにこれ、恥ずかしいことをよく書くわね。」と思った女性、あなたはとても女らしい。
「なんだ、こいつ、いやらしい女だなぁ。」と思った男性、あなたは女らしさにこだわっている。