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感覚のズレ
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いくら夫婦だからって、
二人の心が常に一致しているはずはない。
昔は「夫婦は二人三脚で」なんて言う人もいたが、
二人三脚なんかしてたら転ぶに決まっている。
同じ道でも自分の足でしっかり歩いた方が歩きやすい。
それでも、夫婦の気持ちが一致しないと悩む人は案外多い。
結婚生活というのは、お互いの感覚のズレの連続だ。
そのズレをどこまで我慢できるか
どこまで許すことができるか
どこまで慣れることができるか
それが夫婦の試練というものだ。
試練を乗り越えた夫婦というのは、愛に包まれている。
はじめから愛に包まれた夫婦が存在しているわけじゃない。
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十年以上も前の私の話。
新婚旅行の支度を済ませ、
さあ出発というときになって、夫が突然言い出した。
「旅行中、親たちがうちに来てくれるんだって」
私たちが住む家は夫の父親名義の家だった。
だから義父に言わせれば「私の家」と言いたいところだろう。
息子夫婦の留守中だって平気で尋ねてくるわけだ。
しかも、それを「来てくれる」と言わなきゃいけないらしい。
私は、かなり唖然とした。
が、それ以上にびっくりしたのは
「”部屋が散らかっていてすみません。かずみ”と書け」
と、夫に言われたことだ。
私は夫とは9年近くつきあって結婚したが、
その9年間の中で一番腹が立ったのは、そのときだった。
「なぜ???」と思った。
私は、その家で暮らしたことなどなかった。
式は済んだが、まだ自分のアパートを引き払ってさえいなかった。
その部屋はにわかに片づけても、とてもきれいにはならないくらい散らかっていた。
その家に住んでいた義父母たちが散らかしたまま引っ越して行ったんじゃないかと私は思った。
だが、彼は「”散らかっていてすみません。かずみ”と書け」と言ったのだ。
ふたりの感覚のズレはここにある。
夫の言い分はこうだった。
結婚式をあげたからには、かずみはすでに○○家の嫁である。
嫁は当然○○家の部屋をきれいにすべきである。
が、部屋は汚い。かといって、片づける暇はない。
よって、両親に『部屋が汚い。かずみさんは何をしているの?』と思われる前に
先回りして嫁に『すみません』と謝らせてしまおう。
そうすれば妻が『気の利かない嫁』というレッテルを貼られずにすむ。
そこまで妻を思いやっての提案であったのに・・・・・。
ところが、妻はそんなことが思いやりとは全く感じられない。
どうして私が謝らなければいけないの?
私が散らかした部屋じゃないわ!!
元から、散らかってたんじゃないの!!
夫婦喧嘩のもとは、だいたいこの手の感覚のズレからきている。
あちらからみれば「思いやり」のつもりでも、
こちらからみれば「自分勝手な主張」でしかない。
何年夫婦をやっていても、そんな感覚のズレはおさまらない。
喧嘩しながら何度となく同じ失敗を繰り返し、
だんだん相手の感覚になじんできたり、
こういうときはこうくるだろうというのがわかるようになってくる。
それでも、ときには全く信じられない相手の言動に腹の立つことだってある。
それでも、相手を許したり我慢したりできるのは、
真にお互いを思いやる心(愛)を失っていないからだろう。
そういう夫婦はなんとかうまく続いていくものだ。
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結婚して何年かたつと「夫婦ってなんだろう」と悩む人は多い。
「家族のために御飯をつくり、一生懸命子どもを育ててきたけれど、
夜遅く帰ってきた夫とは楽しい会話があるわけじゃなし。
夫は毎晩パソコンばかり。パソコンと結婚すればよかったんだわ。
私が髪を切っても気づいてくれない。
新しいセーター買おうとしたら、そんなの買ってどうするつもりだって言ったわ。
夫婦ってこんなものなのかしら。
夫婦っていったいなんだろう。
愛してるつもりだったけど、
時々夫を愛しているのかどうかわからなくなってくる」
夫婦の間で何かことが起こるたびに
とことん話し合うほうがいい。
喧嘩を恐れることはない。
たいしたことじゃないからって我慢なんかしちゃいけない。
一つ一つはちょっとしたことでも
納得のいかないまま、うやむやにしていると
塵も積もれば山となる。
結局、もはや歩み寄れないほど
お互いが遠くまできてしまってから
「夫婦って、一体なんなの?」
なんて、なんかさびしい。
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