夫婦って・・・

ばあさんにさんざん迷惑かけたじいさんが、
死ぬ直前に「今まですまなかった」と言って成仏した。
果たして、ばあさんは、じいさんの愛を確信して幸せな気分になるのだろうか。
私だったら、許せねえ。
生きてるうちに私にわかるように愛を表現するのをサボっておいて、
死ぬ直前に、ちょこっと謝って許してもらおうなんて、ふざけちゃいけない。

不満をいっぱい貯め込みながら、そのうち、よくなるだろうなんて、
今を耐えつつ生きていくのはイヤだ。
私は、今、いい関係を作りたい。

喧嘩なんかこわくない。
夫婦は、喧嘩したり、仲直りしたり、
泣いたり、笑ったりして、一緒に過ごすのが楽しいんだ。
それが私の「理想の夫婦」だ。

「夫婦って、何?」とため息をつく妻たちがいる。
「結婚なんてこんなもんでしょ」と思っている男たちは、妻のため息に気づかない。

妻たちは、何故、ため息をつくのか。
決して無理な注文なんかしていない。
妻たちの嘆きはこれだけだ。

「会話がない」
「喧嘩もない」
「セックスもない」

夫婦の間に人間らしいコミュニケーションがないことを嘆いているのだ。
人間と暮らしているなら、コミュニケーションを怠けてはいけない。
だいたい相手に対して失礼である。
母親なら、「フロ」「メシ」だけでも許してくれたかもしれないが、
妻は母親ではない。


偉そうに言うが、日本人というのは、コミュニケーションの取り方が下手過ぎる。
「男は仕事、女は家庭」とみんなが思いこんでた時代なら、夫婦のコミュニケーションなんかそう必要なかったろう。
だって、やることは決まってる。
男が考え、女が従う。
黙ってオレについてこい。
女は黙って子どもを育て、ご飯を作っていればよかった。
文句があっても我慢した。

でも、今は違う。
女だって言いたいことがある。
価値観だって、一つじゃない。
育った環境の違う二人が一緒に暮らすとなれば、問題が起こってくるのは当然だ。
そんなとき、問題をどう乗り越えてきたか。
お互いの思いを口に出して語り合ったか。
問題を解決せず、どちらかがいつも我慢ばかりしていたり、
「それはお前にまかせた」なんて放っておいたり、
そんな、うやむやなことを続けていると、
気がついたときには、もう遅い。
いざ何か話してみようと、向き合ったときは、話すことなどなんにもない。

「夫婦の愛ってなんだと思う?」
あるとき、私は友人のU子さんに尋ねた。
U子さんは「我慢すること」と即答した。
「夫に対して私はいっぱい我慢してる。
未熟かもしれないけど、今は我慢するのが、私の精一杯の愛かな。」
そのとき私は愛に我慢という言葉は似合わないと思った。
でも、このごろ、U子さんのいうことはそんなに見当はずれじゃないような気がする。

あるとき、私が「夫婦は愛する努力をすべきだ」と言うと、
ある友人は驚いた口調で言った。
「ええーーーーっ!?愛に努力が必要なの?
自分の子どもを愛するのに努力がいる?」


子どもを愛することは、夫(妻)を愛することより比較的簡単だ。
そもそも夫婦というのは、赤の他人だ。別れようと思えばいつでも別れられる。
子どもというのは、小さいだけで充分かわいい。
その上、どんな親でも、小さい子どもは親を一途に慕ってくれる。
子どもが大人になっても、やっぱり親子は親子だ。
だから、どうしたって、”夫婦の愛”と”親子の愛”を同レベルで考えるのは難しい。


確かに、愛に満ちた聖母マリアの表情から「我慢」や「努力」で疲れた様子は見られない。
「我慢」や「努力」なしに愛を表現できる人から見たら笑われてしまうかもしれない。
でも、私は「我慢」や「努力」なしに愛を表現できるほど上等ではない。


夫婦の間に問題が起きたとき、喧嘩をしてもいいから、お互いの思いをとことんぶつけ合うべきだ。
思いを語ることに「我慢」なんかしちゃいけない。
語り合い、解決方法を二人で懸命に見つけ、歩み寄る。
歩み寄るとき「我慢」しなければならないことが出てくるかもしれない。
でも、そのとき「我慢」できるのは、愛の力だ。

「もうあいつのことは諦めた」という人がいる。
離婚するエネルギーもないし、喧嘩するのも面倒くさいと、家庭で人間やめてる人がいる。
そういうのって、愛する「努力」が足りないと思う。
「私、もうSEXなんかしたくないの。
SEXなんかしなくたって、夫婦仲はいいのよ。
SEXしたかったら、私にわからないように外ですませて。私って寛大でしょ」
お互いがSEXしないことに問題を感じてないなら問題ない。
言葉通り、相手が自分の知らない所で楽しいことをしていたことを知ったとき、
相手を応援してあげられるくらいなら、それでいい。
でも、「信じていたのに裏切られた」なんて怒り出す人がいる。
「SEXは外ですませて」なんて笑いながら言っていたとき、
相手がどのくらい絶望していたかなんて想像さえしなかったのに。
愛することを怠けて相手を裏切っていたのは自分なのに。

夫婦関係が悪化しても、ずっと愛していたかったら、愛する「努力」を忘れちゃいけない。
怠けていると、愛はホントに冷めてくる。

「夫婦なんて騙し合い。ホントは、ずっと別の人を愛してた」と言った人がいる。
それで彼女は幸せだったのだろうか。

愛がなくても結婚はできます。
愛がなくても夫婦を続けることはできます。
それで人生に不満を抱かないのなら、それも人生の選択でしょう。
でも、私は心に潤いのある楽しい人生が送りたい。
同じ結婚という形を選択したなら、心の通った人と一緒にいたい。

私たちの結婚式のとき、牧師様が言った。

愛とは、許すこと
     守ること
      捨てること

あなたは何を許しますか。
あなたは何を守りますか。
あなたは何を捨てますか。

あなたは誰を愛していますか。